風の名残
夜明けの風が、谷を渡っていた。
昨日まで重く滞っていた空気は、
今は軽く、柔らかく流れている。
風鈴の音があちこちで響いていた。
同じ音ではない。
高く、低く、時に不揃い――けれどそれが心地よかった。
まかない部の四人は、荷車を整えながら谷を見下ろしていた。
ミナが深く息を吸う。
「うん……ええ風やなぁ。あったかい。
この風、もう“閉じた空”の風ちゃうわ」
ソラが笑う。
「うちらの鍋の香り、まだちょっと残っとるかもな」
ルナが微笑んだ。
「残り香って、風の記憶なのよ」
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新しい朝の町
谷の中央では、子どもたちが追い風を受けて走っていた。
昨日まで揃って歩いていた彼らが、今は思い思いの方向へ駆けている。
笑い声が、まるで風の旋律のように響く。
長老が丘の下に立ち、まかない部に向かって手を振った。
「旅の方々、礼を言う。
風を取り戻せたのは、お前たちのおかげじゃ」
ソラが頭を下げた。
「うちらは、ちょっと火を貸しただけです。
風は元々、この谷の人らのもんですから」
長老は微笑む。
「そうかもしれん。
だが、風が再び“食卓の音”を覚えたのは、お前たちの音ゆえだ」
ミナが照れ笑いを浮かべる。
「ほな、うちらの音、どっかでまた鳴るとええな」
⸻
風と灯
人々が広場に集まり、手を振っていた。
誰も泣かない。
けれどその笑顔の奥に、“また会える”という穏やかな確信があった。
ルナがふと、風鈴のひとつを見上げた。
それは彼女たちの滞在中に、子どもが作ったものだった。
風が通るたび、音が優しく重なっていく。
「この音、まだ鳴り続けるのね」
ソラが頷く。
「うん、風がおる限り、止まらん」
ミナが荷を押しながら言う。
「音も風も、よう似とるな。
誰のもんでもないけど、確かに“おった証”残してく」
ダグが短く言った。
「それで充分だ」
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結び
丘を登る途中、まかない部は一度だけ振り返った。
谷の上を、風がゆっくり流れていた。
木々がそよぎ、屋根の布がはためき、
風鈴が、遠くで連なるように響いた。
ルナが静かに呟く。
「風って、不思議ね。
誰かが“信じた瞬間”から、もう動き出してる」
ソラが頷いた。
「ほんまや。止めようとしても、結局また流れていくんや」
ミナが笑う。
「流れて、混ざって、また誰かのとこ行く。
それが風のまかないやな」
――背を押すような風が吹いた。
強くもなく、ただ優しく。
彼らの髪を撫で、荷車を包み、道を照らす。
谷の空は、もう閉じていなかった。
風は名残を残しながら、
次の旅路へと彼らを導いていった。




