風を呼ぶ音
夜明けの光が、塔の白壁を染めていた。
町はまだ眠っている。
けれど、昨夜までの沈黙とは違う――
空気の中に、かすかな“脈”のようなものがあった。
風鈴がひとつ、揺れた。
ほんの少し。けれど確かに、音を残して。
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朝の支度
まかない部は、宿の裏庭で鍋を整えていた。
ソラが火を起こし、ミナが香草を刻む。
ルナは水を汲みながら、ふと風を感じ取った。
「……昨日より、軽い風ね」
ダグがうなずいた。
「火が呼んだんだ。風は匂いを覚える」
ミナが笑う。
「ほな、もっとええ匂い出して、目ぇ覚まさなあかんな」
杓子が鍋に当たる音。
油の弾ける音。
それらが重なって、静かな町に“初めての朝の音”が響いた。
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音に誘われて
通りの奥から、人々が顔をのぞかせた。
小さな子どもが鼻をひくつかせ、
老婆がゆっくりと戸口に立つ。
「……音が、してる」
誰かが呟いた。
ソラが気づいて手を振る。
「おはようございます! 朝飯、どうですか!」
ミナが笑いながら鍋をかき混ぜる。
「風の音が戻ってきたら、腹の虫も鳴るわな!」
人々の顔に、戸惑いと微笑みが混ざった。
その笑みが、風に乗って広がっていく。
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音と香りの共鳴
ルナが香草を火に落とすと、
ぱち、と音を立てて香りが広がった。
すると、不思議なことに――
風鈴がひとつ、またひとつ、鳴りはじめた。
最初は弱々しく、やがて、町のあちこちから響きが返ってくる。
まるで鍋の音と呼応するように。
ミナが目を丸くする。
「これ……うちらの音に、風が返してる?」
ルナが頷く。
「音を忘れた町に、声が届いたのよ。
料理の音も、人の笑いも、風の中で生きるものだから」
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眠っていた記憶
老人が近づき、鍋の香りを嗅いだ。
しばらく黙っていたが、やがて呟く。
「……懐かしい。若いころ、旅人に作ってもらった味に似ておる」
ミナがにっこり笑う。
「風が覚えとったんや。あんたの舌の奥でな」
老人は目を細めた。
「風は忘れんのか……わしらが忘れても」
ソラが頷く。
「忘れてもええんです。
風が思い出してくれたら、また繋がるんですから」
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結び
塔の上で、風鈴が一斉に鳴りはじめた。
柔らかい音が空を渡り、屋根から屋根へと流れていく。
町の空気が変わった。
整いすぎた街並みが、少しだけ歪み、
そこに“生きている音”が戻ってきた。
ミナが息をついて笑う。
「これや。風がようやく“おはよう”言うたな」
ルナが目を細める。
「音がある町って、あたたかいわね」
ソラが笑い、杓子を掲げた。
「風、もう眠らんといてな!」
火の音と風の音が重なり、
その朝、町はほんの少しだけ“生き返った”。
――風が、人の音を覚えていた。
そして、人が風の音を思い出した。
それが“共鳴”という名の、最初の祈りだった。




