風見の谷
丘を下りて二日、
まかない部の前に、深く切り込んだ谷が現れた。
風が谷底を渡り、いくつもの旋律を生んでいる。
高く、低く、時に囁くように――
まるで谷そのものが楽器のようだった。
ソラが息を呑む。
「……すごいな。風が歌ってるみたいや」
ルナが目を細めた。
「この谷、“風見”って呼ばれてる。
風を読むことで季節も雨も、土地の機嫌も知るのよ」
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谷の人々
谷の奥には小さな集落があった。
石と木で組まれた家々が並び、屋根には草が生い茂っている。
その屋根が風を受けて揺れるたび、柔らかな音が鳴った。
ミナが耳を傾ける。
「屋根が鳴ってる……笛みたいやな」
近くで草を束ねていた女が、笑って答えた。
「風の通り道を塞がないようにしてるのよ。
屋根が歌えば、家の中も安らぐの」
ソラが感心して頷く。
「ようできとるなぁ。風を敵にせんと、仲間にしてるんや」
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風を読む長老
広場の中央に、石を積んだ台があった。
そこに腰を下ろしていた老人が、まかない部を見上げた。
髪は白く、瞳は澄んでいる。
手には細長い木の棒――先には小さな羽根飾りが付いていた。
「旅人か。風が“来客の匂い”を運んできたわい」
ルナが微笑んで頭を下げた。
「はい。風の導きで、ここまで来ました」
老人は羽根を風にかざし、軽く回した。
「風は見えぬが、気をつければ“音”で分かる。
谷が笑うときはよい日、谷が沈むときは嵐が来る。
わしらはそれを聞き分けて、生きておる」
ミナが感心して言う。
「耳で天気を読むんやな。すごいわ、自然の先生や」
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まかない部の手
老人が穏やかに尋ねた。
「お前たちは、何を持ってこの谷に来た?」
ソラが答える。
「風の道で拾ったもんばかりです。
火を貸してくれた人の記憶、飯の香り、風の音……
それを次の土地に渡してくのが、うちらの仕事です」
老人はゆっくり頷いた。
「それもまた“風の使い”じゃな。
ならば、今夜は谷の風を味わっていけ。
地のものも、風に鍛えられておる」
ミナが笑顔で杓子を掲げる。
「ほな、うちらも腕まくりやな!」
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風の晩餐
その夜、谷の広場でまかない部と人々が共に料理をした。
谷の香草、岩魚、風乾きの穀――
それらを風を通す網でゆっくりと炙る。
風が火の強さを変え、香りを運び、
人々の笑い声がその音に混ざった。
ルナが穏やかに呟く。
「この谷では、風が調味料になるのね」
老人が笑った。
「そうさ。風がなけりゃ、塩も甘くなる。
だからわしらは、風に感謝して食うんじゃ」
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結び
夜の谷は静かだった。
星明かりの下、風がまた旋律を奏でる。
人々は眠りにつき、まかない部はその音を聞きながら鍋を片づけた。
ソラがつぶやく。
「……ええ音や。風が生きとる場所やな」
ルナが頷く。
「この谷では、人が自然に合わせて呼吸してる。
争わず、奪わず、ただ生きてる」
ミナが笑った。
「そんな場所で飯炊けるん、うち幸せやわ」
ダグが短く言う。
「風は、こういう場所に帰ってくるんだろうな」
――谷を渡る風は、まかない部の旅の音をやさしく包み込んでいた。




