出立の朝
朝の光が、旅籠町の屋根をやさしく照らしていた。
霧がゆっくりとほどけ、町全体が息を吸い込むように目を覚ます。
まかない部の荷はすでに整っていた。
木箱に布包み、背に小鍋。どの道具にも、使い込まれた跡があった。
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静かな通り
広場へ向かう道は、まだ人影もまばらだった。
けれど家々の戸口には、灯がひとつずつ灯っている。
――見送りに来る者たちの静かな合図だった。
パン屋の女将が一歩前に出て、包みを差し出した。
「昨日焼いたばかり。冷めてるけど、腹は満たせるよ」
ソラは受け取り、笑って頭を下げる。
「この匂い、旅の間ずっと覚えてると思う」
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小さな言葉たち
井戸のそばでは、子どもたちが眠そうな顔で並んでいた。
「ソラ兄ちゃん、これあげる!」
差し出されたのは、小さな木のスプーン。
「ありがとう。これで、また誰かにごはんを作るよ」
ルナがしゃがみ込み、子どもの髪を撫でる。
「この町の水は、どこの薬より澄んでるわ。
――だから、もう大丈夫ね」
ミナは手ぬぐいを結び直しながら笑った。
「次に会うときは、もっと大きな鍋でごちそう作るで!」
その明るさに、泣きそうになっていた母親が少し笑顔を取り戻した。
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ダグと鍛冶屋
荷車の傍らで、ダグは鍛冶屋の男と握手を交わしていた。
「お前さんの剣、錆びついても捨てるなよ」
「わかってる。……もう振るうんじゃなく、磨くために使う」
短い言葉のあと、互いに笑い、手を離した。
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刺客のひとこと
刺客は町の外れで立ち止まり、振り返る。
その姿を見つけた老婆が、そっと声をかけた。
「もう怖い顔してへんな」
男は一瞬だけ目を伏せ、やがて小さく答えた。
「……この町が、俺を変えたから」
その声は風に溶けて、誰の耳にも柔らかく届いた。
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旗のもとで
旅籠町の旗が、朝風にゆらめいていた。
修繕の糸が光を受けてきらめき、そこに込められた手のぬくもりが見える。
まかない部の四人は一度だけその前で足を止め、
深く礼をした。
誰も拍手をせず、誰も声を張り上げなかった。
ただ、町全体が静かに息を合わせるように、その姿を見送った。
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結び
陽が少しずつ高くなり、影が伸びていく。
背を向けた四人の背に、柔らかな風が吹き抜けた。
――旅籠町を発つ朝は、涙も声もない。
けれど確かな温もりが、そこにあった。




