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人魚の墓  作者: Mariko
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陸・澪(2−3)

 ひとつ読み終えたところで、熱い風とともに電車が来た。昼時だからか、乗客は少ししかいない。乗り込むと、冷房のひんやりした空気が体をつつんで、澪はほっと息をついた。


 路面電車はワンマンだ。降りるとき、運転席のすぐ後ろに置いてある箱に切符を入れる。澪は、長いシートの端に座って、体を少しひねって窓の外を見た。

「しほ」停車場の周辺には、町役場や商店のビルが多いけれど、次の「はまの」「しおみ」と電車が進むと、次第に一般の住宅が増える。電車通りに面した場所には小さなスーパーマーケットもあるが、個人商店も多い。そして、家々の屋根の間から防風林の松林が見えてくる。


 澪の降りる「ふさざき」まで、たいして時間はかからなかった。こんなに暑くなかったら、図書館までは歩いたって行ける距離だろう。

「ふさざき」で新たに乗ってくる人もなく、降りたのも澪ひとりだった。


 電車通りを渡る。細い道で、車はやっとすれ違えるくらいだ。防風林に向かって家はまばらになり、小さな墓地があったり、夏草が丈高く伸びた空き地があったりする。

 そして、黒松の木が増えてくる。

 道の両側に黒松が並んでいるところは日陰になっていて、日光の照り返す道路から踏み込むと一瞬何も見えなくなったような気がした。


「あれ……」

 目をこすって暗い道の奥を見たとき、どことなく見覚えのある人物が先を歩いているのに気づいた。

 同級の少年に似ている。


 たしか……守生もりおリョウだ。


 守生リョウの髪は、おさえようとしても、たてがみのようにてっぺんが立ってしまうらしい。前を行く後ろ姿の少年もそうだった。


 クラスの誰ともまだ特に親しいわけではない澪は、周囲とのわずかな距離のおかげで、なんとなくクラス全体の様子がわかることがある。不思議なことに、根っからの土地っ子であるはずのリョウも、クラスの子たちの中に親友がいるとか、遊びに行き来するとかの付き合いがあまりないように思えた。

 リョウは誰とでも言葉をかわすし、みんなもリョウを疎んじることはない。仲間はずれなのではなく、「リョウはそういう子」という雰囲気がある。


「あの子、じいちゃんと親戚のおばさんと、三人で暮しよるんよ」

 世話好きな女の子のひとりが教えてくれたことがある。

「お母さんは、あの子がこんまいころにのうなっとるし、お父さんははなからおらん」


 お父さんが最初からいない。


 そのころは、今よりもさらにここの言葉がわからなくて、澪はそれ以上のことを聞かなかった。


 守生くんて、ちょっととっつきにくい感じだし、なんていうか……。


 澪は、頭の中で言葉を探した。


 ときどき、教室でリョウの視線に気づくことがある。その視線は澪の方を向いてはいるものの、澪とはちょっと離れた別のものを見ているような気がする。そういう、「ちょっと離れた」感じ……。


 超然としてる……っていうのとも違うかな。


 前を歩く少年は、竹ぼうきを肩にかついでいる。電車通りの荒物屋の薄緑の包装紙が巻きついているから、買ってきたところなのだろう。

 ほの暗い道で、松の枝の間からところどころに射す陽の光が少年を照らすと、ふと、彼が神具をかついで何かの儀式に向かう神話の登場人物のように見えて、澪はまばたきした。


 変なの。あそこにいるのは、ひざで切ったジーンズと白いTシャツを着た男の子で、かついでいるのは竹ぼうきなのに。


 黒松の道は防風林につきあたって、そこから左右に分かれている。少年は左に曲がって見えなくなった。澪の家は右にある。


 あれが守生くんなら、家はうちの近くだったんだ……。


 守生リョウの家が海のそばだということは、やはり同級生から聞いて知ってはいた。一学期の終わり頃、体育の授業がプールになったときだ。


「あいつ、泳げないんやで」

 ひとりの男子生徒が、おもしろがっているような、困ったもんだ、というような調子で言った。

「泳がないんやで」

 女子生徒のひとりが、弁護するように言った。


 そのときの話だと、守生リョウは、小学生のときから水泳は絶対にやらないらしい。


「リョウは、運動神経ええくせに、泳ぎとなったらアイロンや」

 男子生徒が言った。カナヅチならば、柄が木でできているから浮こうとする部分もあるけれど、アイロンとなったら沈んだきり浮かぶことはない、というのだ。

「リョウんくは海のそばやのに、泳ぎを覚えんかったんや。案外、おとっちゃまやの」

「おとっちゃま」というのが「臆病者」という意味なのも、そのとき知った。


 家に帰ると、部屋からちょっと顔を出した母親は、気のない調子で「そうめんがゆでてあるから」とだけ言った。きっとまたパソコンに向かっていたのだろう。

「『大丈夫』の弓さん」と思ってしまって、澪はそんなことを思った自分が嫌になった。でも、その言葉は消えなかった。「『大丈夫』の弓さん」は、パソコンの中で生き生きと前向きなお母さんをやっているけれど、澪に対しては、のびたそうめんのようにやる気がない。


 澪はひとりで昼食を食べ、二階に上がって部屋のドアと窓を開け放した。風は通ったが、暑いことには変わりがない。それでも、部屋にこもっていた暑さの匂いは風と共に去って、澪はベッドに寝転がって図書館の本を開いた。


 藤原不比等と海女の物語、本当かしら。昔話に実在の人が出てくるのって、あんまり読んだことなかった。藤原不比等は実在だよね。それとも、昔の歴史はもうみんなファンタジーなのかな。

 志芳寺って、どこにあるのかな。海女のために建てられた碑が本当にあるなら、見てみたい。


「しほ町のむかし話」の中には、「りゅうぐうの話」というのもある。


 海女が宝珠をとりに行ったのは、竜宮だったよね。この海の底にある、竜のすがたをした海神がいる竜宮と、乙姫様のいる竜宮は違うのかな。竜宮って、あちこちの海にいくつもあるのかな。


 本によれば、海神は竜だが、ふだんは背の高い老人のすがたで、海の底の宮に暮らしているという。


     ◆


 ……むかしから、しほの町には、海の神さまをまもるやくめの人が住んでいます。しほの人びとは、海のめぐみをうけてくらしているからです。


 海の神さまは、「ふさしま」という小さな島のほこらにまつられています。わたしたちはふかい海の底のりゅうぐうまで行って、海の神さまをおがむことはできませんから、このほこらにおまいりするのです。

 この島は、むかしはりくからつづいた、みさきだったそうですが、ながいあいだになみの力でいわつちがけずられ、今のような島になりました。かんちょうのとき(海の水がひいて少なくなったとき)は、この島まであるいてわたることができます。


     ◆


 小さな島。


 澪は、ベッドにひじをついて窓から外を見た。防風林にさえぎられてここからは見えないけれど、庭から海岸に降りると、左手の方に小さな島があった……。


 ふさ島。その名前がなんとなくひっかかる。


 ふさ島。昔は岬だった?


 澪はすっかり起き上がって、ベッドの上に座った。


 路面電車の停車場は「ふさざき」だ。昔岬だったふさ島は、「ふさざき」と呼ばれていたんじゃないだろうか。

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