海の底
海津見の底では、時はゆっくりと過ぎる。
ゆっくりと、しかし容赦なく。
深い海の中、地上人が龍宮と呼ぶ宮で、龍王は静かに年経ていった。
「あの子は、今年十四歳になります」
宮の広間の真ん中に立って、青い衣の和仁がそう言った。
この広間は、昔はもっと華やかだった。人間たちが海神を敬い、ささげ物をかかさなかったからだ。広間を飾って、あちこちに海と陸の宝がきらめいていた。
けれど、龍王がそんな宝を集め、守ることの虚しさに気づいてからは、それらは散りぢりになるにまかされ、今ここは、仄暗くただ広いだけのさびしい場所となってしまった。
老人は、鈍く輝く金色の衣をまとっている。背の高い白髪の老人だ。彼は、広間の奥に一段高くしつらえられた座に体を休めている。老人は、和仁を見た。
「どうかな、あの子は」
彼が尋ねると、和仁はうなずいた。
「海が好きな、良い少年です」
老人は目を閉じた。彼が何を考えているか、和仁にはわかる。失ったひとり娘、玉藻のことだ。
玉藻のことを思うと和仁の胸も痛む。玉藻はいつも、不器用で無骨な和仁の心に射し込む一筋の光だったのだ。
「あの子は、我らの血につながる最後のひとりゆえ、この宮に迎え入れなければならぬ」
老人はそう言って、ゆっくりと目を開けた。
「光蟲を集めよ。あの子が道をあやまたず、この宮に来ることができるように」
和仁は、その少年をよく知っていた。少年が海で泳ぐとき、和仁はいつも彼を見守っていたのだ。少年はたくみに泳いだ。その母のように。
その、母たちのように。
「和仁」
老人の声がきびしくなった。
「聞こえたか。光蟲を集めよ。我らの子に宮へのしるべを示すのだ」
和仁が答えるのは、一瞬遅れた。
「はい」
老人の目が光る。
「そなたも忘れてはいまい。わが娘ながら愚かなこと。玉藻は海の民を裏切り、そなたを裏切った。だが、我らはこのまま滅びはすまいぞ。玉藻の残した息子は、この宮の新しい命。おろかな娘とて、この宮が消え去り、海の民がほろびることまでは望むまい」
「はい」
老人は笑った。龍宮に笑い声が響くことはめったにない。
「やはり、光蟲はわしが集めよう。本来の姿をまとって海を行くのも久方ぶりのことじゃ」
老人の姿は、広間の天井に届くほど丈高くなった。と同時に、鈍く輝く金色の衣は体に吸い付くように全身をおおい、布のひだは金色のうろことなる……。
変化を終えたとき、老人は巨大な龍となっていた。