将心比心
いつからか、もう既に忘れてしまったが私達は薄汚い牢屋に監禁されている。ここからは決して逃れることは出来ない。私達ニンゲンは目の前の恐怖に怯えながら日々を暮らす。
「もう少しで昼食が配られるよ。急いで準備しよう」
彼は私と同じ牢屋の一人で無理な作り笑顔をいつも浮かべ人生を歩んでいる。だが恐怖の下で暮らす者達にとってそれはまるで希望の光、天使のような存在だ。
「昼食の時間。各自配給された分だけを食べるように。違反した者には罰を与える。」
相変わらず無機質な喋り方だ、こちら側の抱く気持ちなど向こうは何も知らないし、知るはずもない。日々絶望するばかりのこの生活に嫌気が差しているのは無論私だけでは無いが、それを周りに悟られてはならない。もしも悟られた時にはどうなるか、もはや想像もしたくもないが、この牢屋は悪いことばかりでは無いことも確かだ。ここでは全て予定通りに事が進む。普通に生きてりゃ罰を食らうこともないし、充分な食事も三食満足に食べられる。それでもここは地獄だが。私はいつも思う。この地獄の外はどんな景色が広がっているのか、私を迎えるに相応しい光景がきっと待っているはずだ。それだけを頼りに生きてきた。いつか外に出られることを信じて。
「君、いつも元気がないよね。ほかのみんなに比べてもさ」
突然あの天使が私に話しかけてきた。
「えっと、私?そう見えるだけじゃないの?」
「そうかな、何か分からないけど君は心の奥底に何か深いものを秘めてる感じがするんだ。」
彼はいつもこんなことは言わない、詩的な言葉を並べて良い気になってる彼に少しばかりの苛立ちを覚える。
「そうかしら、まあたしかに私はここから抜け出したいという気持ちが他の誰よりもある気がしてそれ故にここからは決して逃れられない現実を受け入れられないからかな。」
「あ、それで思い出したけど、いるよ。ここから出た人」
「えっ」
驚愕、歓喜、不安などの様々な感情が私を戦慄させ、しばらく困惑した。
「それを、貴方は何故知ってるの?」
「俺たちニンゲンの健康調査の時に見たんだよ。外に繋がる道に連れていかれてたニンゲンが」
「一体なんのために」
「それは俺にも分からないけどさ、良かったじゃん少しでも可能性が現れたよ」
「そうね」
最終的に導き出した答えは驚喜だった。私の心臓は暗く響めいた鼓動だったはずなのに明るく希望に溢れるものへと一変した。
「顔色、良くなったじゃん」
「ありがとう、おかげで少しだけここの生活を楽しめそう。」
この薄暗い空気は私のおかげで居心地が良くなっただろう。実際にはそうでなくても少なくとも私は久しぶりの幸せを噛み締めることが出来ている。格子の向こうの輩共への下克上を決意した。
「おい、就寝の時間だ。早く寝ろ。」
私の脳内を邪魔しにきたみたいだ。今に見てろと言わんばかりの顔をそいつに向け、私はそのまま眠りにつく。
「起きろ、朝の時間だ。2分以内に起きなければ飯は無い。」
眠い目を擦り、誰よりも早く起床する。歯磨きや顔を洗うなどの身支度はさせて貰えない。やはり住めば都というのは虚勢なのだろう。朝の食事を済ませ、小一時間経ってぞろぞろと牢屋の前に輩共が集まってくる。これがいつもの朝の始まりだ。そういえば何故私達がここにいるのか、誰も知らない。気付かぬうちに皆ここにいる。一体何故だろうか。まぁそんなことを考えてもこの世界はどうにもならないし、無駄な考えだろう。そう思うとなんでもどうでも良くなる気がする。ふと気がつく。彼が居ない。絶望の淵に立たされた者を導く天使の気配を一向に感じない。ここはトイレも風呂も共通である。つまりはこの牢屋から出ることは一切出来ないはずだ。だとするならば、彼がどこに行ったのか見当がつく。外に出た。これしかない。彼のことを知っているのは私だけなのか同部屋のニンゲンは平然としている、逆に知っていなかったのは私だけだったのかもしれない。
「ねえ、彼がどこに行ったのか知ってる?」
「天使のことなら外に出たみたい、それに明日は貴方らしいよ。」
彼が外に出たのは良いとしてどうしても聞き捨てならない言葉が聞こえた。
”明日は貴方”?
明日は私が外に出られるということなのか。恐らくそうだろう、と言うよりはそうとしか考えられない。彼が外に出たのも事実だ。私が外に出てもおかしくは無い。やった、ついにこの地獄から抜け出すことが出来るのだ。この喜びは一体なんだろうか。言葉という安いものじゃ決して言い表すことは出来ない。兎に角今はこの幸せをゆっくりとじっくりと深く味わうしかない。それからの時間は刹那のごとく過ぎ去っていき、あっという間に就寝時間を迎えた。楽しみであまり眠りに着くことが出来ない。明日には私は外にいる。そう思うと笑みが溢れて止まらない。
「起きろ、朝の時間だ。2分以内に起きなければ飯は無い。」
普段なら物凄い嫌気が差すはずだが、今日だけは違う。もうこの声を聞かなくて良いと思うと感慨深いものも湧いてくる。
「おい女、こっちに来い。」
「はい。」
ついいつもより明るい振る舞いを見せてしまった。まだこの牢屋に残っている別のニンゲンを蔑むような目で見る。私はお前たちとは違う、という視線を下民に贈る。
「あの、外に出られるんですよね」
「そうだ。」
「その後はどうなるんですか」
「知らない。出ればわかる事だ。」
知らない道を先導され、ワクワクとドキドキが止まらなずにいる。しばらく歩いて、大きな門に辿り着いた。
ガチャアアンと金属が鳴り響き扉が開いた。陽の光が差し込む。太陽だ。これこそ私が求めた物そのものだ。牢獄の外へ一歩踏み出すと同時に大きな深呼吸をする。とても清々しい気分だ。地獄とおさらばした今なら何でも出来る気がする。自信に満ち溢れるこの気持ちをどこに発散したら良いのか。
「そのまま道なりに進め」
「あの、私はもう自由なんですよね」
「進めばわかる」
さっきから抽象的な事しか教えてくれないが、今ならそんなことどうでも良い。最後ぐらい言いなりになってやろうと言わんばかりの顔を最後に見せて別れを告げた。数分歩けば大きなトラックが私を待っていた。
「街の方へ運転してくれるのかな」
運転手は私に気づき気だるそうにトラックを降りる。
「あの街の方へいってくれるんですよ、ね、」
輩はそっと近づいて、隠し持っていたスタンガンを私にぶつけた。されるがまま気絶した。目を覚ますと、あそこに似た光景が広がっていた。前とは広さ快適さが格段に低くなり、牢屋とも呼べない程だった。絶句した。後に悟った。私達ニンゲンは外に出ることなど出来ないのだ。容易く外に出られるなどと世界を甘く見ていた、私なら私ならと良い気になっていた。ここは前より居心地が悪い、おそらく最終的には殺処分されるのだろう。牢屋の周りを見ると彼がいた。あの天使からは想像も出来ないほど顔色が死に、冷え固まってるようだ。向こうはこちらに気づいていたようだが、シカトしている。もう何もかも嫌になったのだろう。それはこちらも同じだ、地獄に叩き落とされた者に与えられる感情はこの世のものとは思えない。私達の存在を弄び、慈悲の感情もなく、容赦なくニンゲンを世界から追放する。一度希望を持たせた後にドン底に叩き落とし、ニンゲンを恐怖で限界を超えて追い込む。あれもこれもニンゲンの知性を超えた存在、AIの思惑通りだろう。この世界のニンゲンはAIという名の悪魔からぞんざいな扱いを受け要らない存在と化している。格子の外には悪魔がいる。外側に建てられた看板にはニンゲンについての詳細が細々と書かれている。
「これがニンゲンか。興味深いね。」
「すごく頭がいいんでしょう。一度飼ってみたいなあ。」
私達ニンゲンは目の前の恐怖に怯えながら日々を暮らす。