2.人の生活は平等ではない。
*過激なもので優生思考が若干入っている可能性あり、それでも良い人のみ読み進めてください。
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2.子どもの頃に全ての人は平等で全ての人間が尊重されるべきだという価値観を学ぶ機会があったと思われる。その意見には賛成だ。
全ての人間は生きていても死んでいても、その人の言動、行動には意味や歴史があり理解をしていくべきだと思う。
しかし今回書き記す内容は人という生物としては平等だと考えているが、全ての人間が同じように優遇されて生活できるわけではない事を個人的に解釈している内容になっている。
今あなたはどのような生活をしているだろうか。学校や習い事、仕事などを通して苦しいと思ったり悩みながら生きていて楽しいと思えているだろうか。それとも早く人生を終わらせたい。もう終わりでも良いと思っているだろうか。
その視点は人それぞれ違い、また周りからもあなたの生き方はよく見られている。インスタグラムやX(旧Twitter)などのSNS、普段の世間話の内容などで楽しそうと思われることがそうだと思う。
自分の今の現状と比較対象のしやすい媒体がありふれているのが今の現代で、あくまで私の予想としては、人生はいつ終わりでも良いと考える人の方が多い現状なのではないかと思っている。
そうした比較が人間の生活が平等ではないと考えている。給料面、休日の過ごし方、友人関係、職場関係、自己肯定感、障がい特性、親の教育環境等々があなたや周りの人々に格差を生じさせる。
そして幸福でない物はいつしかそれを妬んだり、いつ終わっても良いと感じているため、相手を引きずり下ろすような言動や犯罪をおこしたりSNSでの誹謗中傷をしはじめるのではないかと考えている。
私は「人生なんてもう早く終わりにしたい」と話しを聞くたびに「今のあなたの人生はマイナスにいるんだね」と話している。
これが良い事か悪い事かは分からないが、そう伝えている。
なぜなら私の中で人生は平等ではない原因は社会や周りではなく自分自身にあると考えているからだ。
比較先はSNSや周りの人達で特定の誰かではない。不特定多数だ。
しかし比較元は私たちの視点だ。私たちは自分の目線でしかものを見れない。
そうした生活を繰り返して自分にネガティブな感情を持ちづくけると、そうした感情が常備の状態になる。遊園地のように客観的に見ると楽しそう、充実した出来事をしていても本人の目線が楽しくないと思っていたら、それは楽しくなくなる。
その目線を人生が「楽しい、面白い」と思うプラスの立場で見ている人間と、「早く終わりたい、死にたい」と思うマイナスの立場にいる人間で存在していると考えている。
イメージとしてはスクールカーストやひな祭りのひな壇のように自分はどの位置か置いて、真ん中に横棒を引く感じ。
語弊も生まれるが簡潔にまとめると自己肯定感の高低差が人生に平等を与えていないのだ。
(自己肯定感が高くても給料が低い人もいるし、自己肯定感が低くても楽しく生活できている人はいるが、自分を好きでいるという意味ではなく、今の生活が気に入っているという意味も込めての自己肯定感としておく)
さて、ここまで記して今読んでいるあなたはどこの位置にいるだろうか。
なんとなくプラスでいるだろうか、マイナスでいるだろうか。それともプラマイゼロだろうか。
どれでも今のあなたの視点ではそれが正しい答えなのだろうと思う。
そのうえで今、あなたの現状に落ち込んだり、悔しいといったネガティブな気持ちを持ったのなら、あなたはその視点でいるべきではない。
あなたは本来そこに行くまでの力があるはずなのに、それを行っていないまたは行き方を知らないのだ。
ならば今までの人生の生き方もプラスの世界への行き方も変えていく必要があると考える。
あなたの目線でしかあなたの世界は作れない。あなたの考えでしかあなたは動けない。
先生や親がこうしろと言われた内容に素直に行動できなかったり、ぎこちない行動になったりしたように、誰かの声だけではあなたは幸せになれない。
あなた自身で考えてこう生きたい。こうありたいと思わなければ行動には映らない。
あなたがしたいことや、こうなれば幸せになれると思ったことを自分で考えて行動する。
(犯罪をしろとは言っていない。人様に迷惑をかけない範囲で。犯罪をしたら周りの環境が悪くなるので余計にマイナスにいくので本当にやめてほうがいい。)
それをしてまだ物足りない。幸せじゃないと思ったのなら次の目標を立てて行動すれば、あなたの行動を見た周りの視点もあなたの人生を羨ましく思うときがくる。
そうしたときはあなたがその人にプラスの目線に立てる生き方を教えてあげてください。