他人の始まり
見てはいけないものを見てしまった。
ついに、ランキング1位が決定したのだ。
兄貴の、たぶん「思い人ランキング」最上位の位置に書いてあった言葉、それは。
「第1位:妹」だった。
最初はものすごい勢いで鳥肌が立ったのだが、何時ものポエティックな文章を読んで行くと、どうやらこの「妹」とは、正確に私の事をさしているわけではない。
兄貴の空想の中の妹像らしい。
まず、童顔で目は大きく黒目がちで、鼻筋が通っていて、輪郭は丸顔に近い。そして細身でありながら、膨らもうとしている…もう、この辺で表現が気持ち悪いんだが、膨らもうとしている胸は同年代より豊かで、いずれは豊満な体つきの女性になると想像される、そうだ。
実際の私の外見としては、まず、童顔ではない。頬骨の位置が高く、全体的に面長であり、鼻筋は通っていると言いたいが、辛うじて「団子鼻ではありません」と言える程度の通り様である。
目は割と大きめだが、三白眼で、黒目の部分が少ない。
細身かどうかは個人の主観によるのでどうとも言い難いが、運動部に入っているため、文化部や帰宅部の女子と比べると、多少筋肉質である。
で、膨らもうとしているらしい胸は…無い。思春期に運動ばっかりやってて走り回りすぎた結果、胸は膨らむどころではなかった。肉が膨らもうとした名残はあるが、胸囲が七十センチの胸はほぼ平らだ。
そんな事を思い出して気分を落ち着け、恐らく兄貴の最新の恋愛対象であるはずの「脳内ドリーム妹」についてを読んでみた。
まず、脳内妹は、例にもれずドジっ子だった。どうやら、「昨日」は目玉焼きを焦がし、「今日」はトーストを焦がしたらしい。
「お前は本当に間抜けだな」と、意地悪を言うと、「もう。お兄ちゃんたら! 私だって、いつかはお嫁さんになって…」云々と言う、かなり手痛い台詞を脳内妹は吐く。
「その時に、お兄ちゃんが、お前の料理が食べたいなんて言っても、食べさせてあげないんだからね! もう! プンプン!」
素面の状態で、怒る時に「プンプン」と口に出す女が何処にいるのだ。
私は、さっき食ったポテチが逆流してくるんじゃないかと思って、一度ノートを閉じ、炭酸水を飲みに行った。
改めてノートを盗み見てみると、脳内妹は、時々、兄貴と一緒に眠りたがるのだそうだ。
「だって、今日、寒いしぃ…」とか、「だって、怖い夢、見そうだしぃ…」とか言って。
「しょうがないなぁ」と言って、兄貴はぬいぐるみを間に挟んで、脳内妹を抱きしめながら眠ってあげる。
「僕はその時、妹がちょっとずつ女性っぽくなってる事に気づいて、少しだけドキドキしちゃうんだ。こら、この子は妹だぞって、僕の心の中で、神様が言う声が聞こえる」
やばいこいつ。なんか聞こえてる。
脳内妹の事について情報収集をしてしまった後日、社内ニート活動から戻った兄貴は、部屋に戻って私服に着替えて来た後で、その時夕飯を食っていた私に言った。
「ノート、見ただろ?」と。
その時は、脅しをかけていると言うより、確認をしていると言う風だった。
私は何の反応も返さなかった。
「俺が、どんな妹が欲しかったか、分かっただろ?」と、奴は言い出した。
「お前は『妹』に相応しくないんだ。女のくせに、声は低いし、顔が可愛くないし、運動ばっかりしてるし、爪も伸ばさないし、胸は絶壁だし」
私は、世迷言を聞きながら、椅子から静かに立ち上がった。
兄貴は気づかずに、まだ私への文句を言っている。その音を雑音として感知しながら、私は両手を握って、軽く構えた。
「そんなんだから…」と、まだ何か言おうとする兄貴の、唇の分厚い不細工な顔面の右側頭部と、腹直筋の形も分からないタプタプの鳩尾へめがけてのフックを一撃ずつぶちかました。
兄貴は体を震わせながら崩れ落ちた。
私は再び夕飯の席に戻ると、「黙れ変態」と述べた。泡を吹いている兄貴は、何もしゃべれなそうだったが。
それ以後、兄貴は私を避けるようになった。働きづめの両親も、私と兄貴の間柄がおかしい事に気付き、理由を聞いていた。
「私は『妹』に相応しくないそうだよ」と、私は告げた。それから兄貴が、「事実とフィクションの入り混じった同人小説を書いて居て、その中に出て来る『妹』みたいな妹が欲しいらしい」と教えた。
「作ってあげたら? そんな『妹』」と言うと、私の中のムカつき度合いが既にキャパオーバーであることを両親は理解した。
両親は、兄貴が社内ニート活動に行っている間に、フィギュアが置いてありアイドルのポスターにまみれた奴の部屋を漁り、問題の同人小説を読んだ。
そして、自分達が第一子をまともな人間として育てる事を失敗したと知った。
兄は家を追い出された。家賃だけが高いワンルームのアパートで、自立して生活すると言う苦行を課された。それまで趣味に費やしていた金銭は家賃に吸収されるだろう。
しかし、奴が「妄想ノート」を書くのはやめないかも知れない。
次は、何処でどんな生贄を見つけて、どんな妄想を展開するのやら。
私にとっては、もう他人の話だ。奴の告別式が行われたとしても参加しない。
そんな私が、いずれ文芸雑誌の編集社社員になって、数限りないドリームの世界を毎日チェックする仕事をするようになろうとは、この頃はまだ知らなかった。
全四話で完結です。一度次話更新を間違えたので直します。お付き合いありがとうございました。