だって哀れがりたいから
三人目。井上真弓は、オタサーの姫だった。
サイエンスフィクション研究会と言う所で、男子に混じってペーパークラフトの要塞や、ブロックで作る宇宙船を作り上げるのを趣味にしていた。
オタサーの姫とか言うと、もてない男達にちやほやされて上機嫌になっている女王様的女性…を思い浮かべてしまうが、井上真弓はコイバナよりSF研究を選ぶ女の子で、その気真面目さと潔癖さを尊崇している男子達にモテていた。
そんな井上真弓にはドジと呼べる点は無いようだが、彼女は何故か灰色の宇宙船を作っているのに、時々、灰色のブロックと同じ形の赤や緑のブロックを混ぜてしまうと言う癖があった。
それを男子達が指摘すると、「アバンギャルドでしょ」と井上嬢は言って、奇抜な宇宙船を作っては喜んでいたらしい。
其処にも、ドジっ子センサーを付けた兄貴は登場する。
本人の思い出話らしいから、登場したっておかしくないんだが。
井上嬢が作っているブロックの宇宙船の色合いに「法則性」を見つけられなかった兄貴は、サークルの全員が聞いてる場所で、「井上さん、赤と緑の区別つかないでしょ」と言い出したのだ。
井上嬢は否定したが、兄貴は否定している本人の前に赤と緑と灰色と黒のブロックを並べて、「どれがどれだか当ててみて」と言い出したと言う。
私は、此処までの段階を読んで、ああもしかして…と思った件があったのだが、本人がその特性を隠したいのに、わざわざ暴きにかかる所で、本当にあの兄貴は神経がどうかしている。
井上嬢は、最初の問題で、灰色と緑を間違えてしまった。
兄貴は「これは、僕の思った通りかもしれないと察した」と書いて居る。察しているのに、ブロックの位置を変えて井上嬢に第二問を出した。
井上嬢は、この嫌がらせに毅然と言い返した。
「分かんないよ。そうだよ、私、赤と緑分かんないよ。なんでそれを、あんたに一々気にされなきゃならないのさ?」と。
「大変な事じゃないか」と、兄貴は反論したそうだ。「赤と緑が分からなかったら信号機だって読み取れないだろ?」と。
「莫迦じゃない? 幼稚園児じゃないんだから、光ってる位置で信号くらい分かるっての」
此処までしっかり罵られた言葉を覚えているのに、兄貴の出した結論はこうだ。
「やはり、この子は救いを求めていたのだ」
お前は何処まで頭が沸いているのだ。
その後、兄貴は井上真弓のストーカーになった。彼女が、自分のカラーボールペンにシールを貼っているのを見つけて、「そうやって見分けてるんだね」と声をかけたり、サークルのみんなで飲み会を開いて、帰る時に「本当に信号見えてる?」と、わざわざ言ったり。
私は前の文に戻って確認したが、井上真弓嬢は、自分の特性を隠したいのだ。あくまで、一般人として扱ってほしいのだ。それをチクチクと邪魔する奴に対して、嫌悪感を持たないわけがない。
井上真弓はSF研究会を去った。
その事について、兄貴は井上嬢の崇拝者だった同サークルの男子達から散々罵られた。
その時、兄貴の返した言葉が、「井上さんは障害者なんだ。苦しんでいる人を助けないわけに、行かないだろう?!」だ。
居るよね、こう言う勘違い野郎って…と、私は頭の中で唱えた。
兄貴はその後、サークル内で煙たがられるたびに井上真弓の特性を持ち出し、彼女は可哀想な子なんだ助けが必要なんだと訴え続けた。その愚行は、兄貴が大学を卒業するまで続く。
西田彩子の件はまだ書かれていない。たぶん、彼女も兄貴の「可愛い子にはドジっ子でいてほしいセンサー」に引っかかってしまった人だろう。
夕飯の時。たまたま食事の時間が被った兄貴に指摘された。
「俺の部屋のノート、見ただろ?」と。
ちょっと低い声を出していたので、恐らく脅しを利かせているつもりらしい。
「うん。見た」と、私はさっくり答えた。「なんか、すごく見てほしそうに置いてあったから、見た」
「誰にも言うなよ?」と、兄貴は言ってくる。
「はいはい」と答えたが、内容によってはそうも行かなくなってくるだろうと、薄々直感のようなものが働いていた。
数日後、再び西田彩子から電話があった。
私が電話に出ると、その時の彼女は少しパニック気味に怒っていた。
「もういい加減にして下さい! なんでいつも私に聞きに来るんですか!」と。
「あのー。すいません。どちら様でしょう?」と、私が聞くと、相手は少し黙ってから、「小田井爽さんでは…無いですか?」と聞いてきた。
私は声が低いので、電話越しだと時々兄貴と間違えられるのだが、この時もそうだった。
「妹です。奈津と言います」と、私は名乗った。
其処から、西田彩子の身の上に起こっている、我が家の変人とのやり取りを聞くことになった。
西田さんは、兄貴の会社の同僚だった。兄貴のほうが半年ほど先輩で、そのために西田さんは「過度な後輩扱い」を受けていた。
特に、書類の訂正箇所を見つけると、兄貴はまず西田さんに「ここ間違えてない?」と、迷惑そうに言いに来る。誰から受け取った書類でも、まずは西田さんに聞きに来る。
「それを書いたのは私ではないので」と西田さんが言い返すと、「だって、ミスがあったらダブルチェックは必要でしょ? 確認だよ。確認」と、あの小田井爽は急にへらへらしながら煙に巻く。
私はそれを聞いて、肩の上に漬物石でも落ちてきたような衝撃を受けた。それはないことは無いわけがないとは思えど、兄貴が自分の「好みのドジっ子」を同僚に演じさせようとするほどの変態だったとは。
私は、一度、西田さんと話がしたいと申し込んだ。実際に被害者と話が出来ないと、あの変人をとめるにしても情報が少なすぎる。
西田さんは電話口で少し黙ってから、待ち合わせの場所と自分の連絡先、それから当日の身なりを伝えてくれた。