私の一番大切で大好きな人
「だから、ぼくの婚約者になって。フィア」
私の目を見て、真っ直ぐ伝えてくるディオンにまた涙が滲む。私が頷いて返事をしようとした時、ルディウス様の少し硬い声が割って入る。
「待ちなさい、ディオン。ふたりの意思がどうかを確認したが、まだ婚約者にする訳にはいかない」
「どうしてですか、父様」
ディオンには珍しく、反抗する鋭い目つきでルディウス様を睨んでいた。私はその様相にどうしたらいいかわからなくなる。アイリス様がそんな私を見て背中を落ち着かせるように叩いてくれた。そのあと、ルディウス様に視線を送る。
ルディウス様は気まずそうに目を逸らしたあと、私に目を向けた。
「……説明もなしにすまない、フィーリアちゃん。フィーリアちゃんもディオンの婚約者になることは嫌じゃないんだね?」
ルディウス様は真剣な目で私に問いかけてきた。
私は滲んでいた涙を拭って、ルディウス様の目をしっかりと見て答える。ディオンと繋いでいた手を少しだけ強く握った。ディオンからも握り返してくれる。
「はい、私もディーの婚約者になりたいです」
そう答えるとルディウス様は優しく笑って頷いてくれ、そのままお父様の方に顔を向ける。
ディオンを見ると、嬉しそうに笑っていた。私もつられて笑顔になる。なんだか久しぶりに笑った気がした。
「ダートンはどうだ?」
「私もディオンくんなら嬉しいよ。それに、フィーリアの希望でもあるしね」
お父様は私に目を向けて頷く。お父様がそう言ってくれたのが嬉しくて笑みが零れる。お父様が向かいのソファから立ち上がって頭を撫でてくれた。それに笑って返すとお父様も屈託なく笑う。ああ、お父様のこんなに嬉しそうな笑みも久しぶりだったかもしれない。
「そうか。……私もフィーリアちゃんがうちの息子の婚約者になってくれるのは嬉しいとは思っているんだ。……だが、ディオン。お前がどれだけフィーリアちゃんに相応しいのかがわからない。今は言葉だけしかないな。お前が傍にいて守る、その言葉だけだ。フィーリアちゃんに本気で向き合い助けられるのか、言葉だけでは不十分だ。中途半端に途中で投げ出すようなことがあれば傷つくのはフィーリアちゃんなんだ。何があっても投げ出さないと、私を信じさせろ」
「ぼくは投げ出したりなんかしません!」
ルディウス様の厳しい言葉に、ディオンは噛みつくように叫んだ。
「だから言葉だけでは駄目だと言っている。フィーリアちゃんの婚約者になりたいのなら、行動で示せ」
ディオンは厳しい顔をしたまま、ルディウス様を睨んでいる。
心配になって繋がっていた手を両手で包むように握る。ディオンははっとした顔をして、私の方を向く。空色の瞳は揺れていた。その瞳が私の顔を見て、一度目を閉じる。次に目を開けると、もう瞳は揺れていなかった。
ディオンは私に一度笑うと、ルディウス様を今度は睨むのではなく、ただ真っ直ぐに見た。
「わかりました。父様に、いえ、誰がみてもわかるくらいに、ぼくがフィアの婚約者に相応しいと証明してみせます」
「それでいい」
そう言って、ルディウス様は嬉しそうに笑った。
「フィーリアちゃんすまないね。ディオンをすぐに婚約者にできなくて。私はね、フィーリアちゃんにもディオンにも傷つく結果になってほしくないんだ。だからそうならない証明が欲しい」
私にもそう謝ってくれたので、それに首を振って答える。
「いえ、ルディウス様が心配してくれているのはわかりました。私もディーの婚約者に相応しくなれるよう、がんばります」
「フィーリアちゃんはそのままでもディオンの婚約者に相応しいよ。でもありがとう、そう言ってくれて。フィーリアちゃんの頑張りに応えられるようにするから、私やアイリスになんでも言ってくれたらいいからね」
「もちろんそれ以外でも頼ってくれていいのよ、フィーリアちゃん」
そのルディウス様とアイリス様の言葉に嬉しくなり、ありがとうございます、と返して笑った。
するとディオンが座っていたソファから立ち、私の目の前に跪く。そして、両手を握り直した。
「フィア、少しだけ待っていて。ぼくが必ず、フィアの婚約者になるから」
私の若葉色の目を綺麗な空色の目が見てくれている。そのことが、とても嬉しい。
「うん。わたしもディオンが婚約者になってくれるように、できることをするね」
「ありがとう、フィア」
二人で笑って誓い合った。
***
「フィア!」
9歳の頃にはお気に入りの場所になっていた、小高い丘の木の下。そこで刺繍の練習をしていると聞こえてきた嬉しそうなディオンの声に顔を上げる。
満面の笑顔で駆け寄ってくるディオンに、私もつられて笑う。そして急いで刺繍を片付けて立ち上がる。
「ディー、どうしたの?」
もう目の前まで駆け寄って来ていたディオンは、膝に手をつきながら少しあがった息を整えていた。私はその背中を撫でながら、額に浮いていた汗をハンカチで拭う。
「ありがとう、フィア」
ディオンは笑ってそう言うと、一度深呼吸をして片膝をついて跪く。突然のことに驚いていると、木漏れ日に照らされた空色の目が真っ直ぐに私を見た。
「フィア、待たせてごめん」
その言葉の意味に気づいて、瞳が揺れる。
「俺の婚約者になって、フィア」
優しくそう言って片手を差し出してくる。ずっと待っていたその言葉に破顔して、彼の手をとる。
ディオンもとても愛しい笑みで返してくれる。
「うん。私、ディーの婚約者になる」
あの時に返せなかった、なりたいとしか言えなかった。ずっと言いたかった言葉。嬉しくて、思わずディオンに抱き着いた。
「わっ!フィア、突然は危ないよ」
そう言いながらも、しっかりと抱き留めてくれる。
「……やっとフィアの婚約者になれた」
ディオンも痛くない程度に強く抱き返してくれる。その温もりが優しくて心地よい。
「5年じゃなかったんだね。まだ3年だよ?」
「最初はそう言われてたけどね。フィアへの魔力渡しを俺が一番うまくできるようになったことと、この前フィアの症状を元に魔力循環不全漏出症の論文を書いただろ?あれを医療薬師学会で発表することになったんだ。それで認めてくれた。協力してくれたフィアのお陰だよ」
そう言って額同士を合わせて笑う。私の若葉色の瞳とディオンの空色の瞳が近距離で合った。柔らかい木漏れ日の中でディオンの瞳は輝いていた。
「ディーの努力だよ」
「フィアの協力なしにはできなかったよ。魔力循環不全漏出症はそもそも症例数が少ないからね。親子間で遺伝することさえ新発見だったんだ。でも医療薬師学会で症状を発表できたら、今までより患者が見つかって症例数も増えると思う。たぶんただ身体が弱いってことで片付けられていた事例も多いと思うんだ。症例数が増えたら原因も、そして治療法も見つかる可能性が高くなる」
抱き締める力が強くなる。ディオンの少し大きくなった手が、私の蜂蜜色の髪を柔らかく撫でた。
「俺が、フィアを助ける」
力強い覚悟を宿した目で私を見つめる。私は自分の瞳が揺れるのが分かった。
目を閉じて、ディオンの肩に顔を寄せる。泣きそうな顔は見られたくなかった。
「……ディー、ありがとう」
婚約者になったばかりの私達を、優しい木漏れ日が照らしていた。