―失う恐怖―
見慣れた廊下を歩いて、ダートン様の執務室に通される。ダートン様は俺が入るなり頭を深く下げた。
「……すまない。ディオンくん……」
「いえ、謝らないでください……。俺も…………なにも、できませんでした……」
唇を強く嚙み締める。この二日間だけではなにも有効な手は打てなかった。
「本当に……婚約を破棄、しなければいけない、のか……」
ダートン様の苦々しい声に長く息を吐いた。心が悲鳴をあげている。そんなのは嫌だと叫びたい衝動を、必死で抑えつける。
「…………国王陛下の承認はないので……とりあえずはそれぞれの書類に署名、という形にはなると思います」
「だろうね……。国王陛下達が帰ってくれば……おそらくその書類達は破棄されるだろう」
ダートン様の言葉に目を瞑る。
「……そう、ですね……」
眼の裏に自然と浮かんでくるのは、フィーリアの笑顔だ。きっともう......俺が見ることは、叶わない。
「ディオンくん……フィーリアに……言わないか?たぶんフィーリアは自分の為にディオンくんが婚約破棄するのは決して許さない。……発作に関しても……フィーリアの意見を聞いてからの方が……」
ダートン様の言葉に目を開いて首を振る。
「……ダートン様、フィアの魔力器官はかなり成長しています。今……発作が起きたら……それだけでも……危険、です……。次起こる発作はきっと……以前の比ではありません……」
絞り出すように今のフィーリアの状況を伝える。もう......猶予は少しもないのだ。
俺の言葉にダートン様は目を見開いて、顔を歪める。
フィーリアが許さないこともわかっていた。そして......俺に婚約破棄をさせない為に、自身を危険にさらすのを厭わないことも。
けれど、もし発作が起きてそのまま............。
それ以上考えたくなくて拳を握り締める。食い込んだ爪の痛みに集中して、思考を乱した。
「だから……俺は、少しでもフィアを危険には晒したくないのです……」
「……ディオンくん……」
ダートン様の悲痛な声に顔を伏せた。
「……きっとフィーリアは発作が起きてもいいと言います。でも……それで……それで……もしもの事が、あったら?俺はそうなったら……絶対に自分が許せなくなる……!全てを擲ってでも!一番大切なものを手放しても!!俺は……フィーリアに……生きていてほしいんです……!!」
震えながら叫んだ言葉には抑えきれない感情が溢れでる。
フィーリアが生きていてくれるなら、なんだっていい。俺がどうなったっていい。一番大切なフィーリアとの婚約だって......フィーリアが生きていないと意味がないんだ。
......フィーリアはきっと、最期まで俺の隣にいるのが一番の願いだと言うのだということもわかっている。けれど俺は......フィーリアの願いを無視してしまっても......フィーリアに......もう生きることを、諦めてほしくない。
どうしようもなく心を衝く痛みに思わず胸を掴む。
俺の様子を見たダートン様は耐えるように目を伏せた。
「…………わかった、ディオンくん……。君の気持ちを……汲もう」
呻くようなダートン様の声に少しだけ気持ちが慰められる。俺のことを想って悩んでくれたのがわかっているから。
息を整えてダートン様に向き直った。
「ありがとうございます、ダートン様……。……フィーリアを……泣かせることになってしまって……申し訳、ありません……」
ダートン様に向かって深く頭を下げる。謝っても許されることではないが、言うべきだと思った。
「ディオンくん、約束してくれ」
ダートン様は俺の肩に手を置いて俺の空色の目を覗き込んだ。
「何を、ですか……?」
フィーリアと同じ若葉色の瞳が俺を映す。その目は力強い。
「フィーリアが望んだら……婚約をもう一度結んでほしい」
その言葉に俺は目を見開いた。しかしすぐに首を横に振る。
そんな事……許されるはずがない。
震える唇を動かして、息を吸う。
そんな俺が何かを言葉にする前にダートン様は言葉を重ねる。
「君はずっとフィーリアの事を守ってくれていた。私はそんなディオンくんにフィーリアを任せたいんだ」
両肩を掴まれて目をしっかりと合わせられた。フィーリアと同じ色の瞳は、真摯な気持ちを伝えてくる。
俺は激情に顔を歪めて首を振った。
「でも、俺はこれからフィアを傷つけます!」
そう、そうだ。だからそんなことは許されない。許されては......いけないんだ。
だってそんなことが許されるなら......俺は............それに、縋ってしまう。フィーリアが......望むかもわからないのに。
歯を食い縛る俺に、ダートン様は眉を下げたまま優しく微笑んだ。
「それでもフィーリアが望んだら……そうして欲しい」
「ダートン様……」
「私にとってもディオンくんはもう息子みたいなものなんだ。だから私としても君の義父になりたいんだよ」
「…………っ……」
ダートン様の柔らかい声音と優しい言葉に目頭が熱くなる。
「まあ、フィーリアがこれからどう選択するか……にはなるけれどね」
そう言うダートン様はそれでも優しい声だった。俺は喉が詰まったように苦しくなる。
「……フィアは……突然こんな選択をした俺を……許さないかもしれません……」
ダートン様に返した声は、弱々しかった。
「そうだね。きっと何も相談しなかった事をフィーリアは怒るだろうし、許さないかもしれない」
「……はい……」
当たり前だとわかっていても、ダートン様の言葉に胸が詰まる。
そんな俺にダートン様は更に言葉を重ねた。
「けれどフィーリアは強い子だよ、ディオンくん。きっと……自分の決めた道を突き進む」
ダートン様の若葉色の瞳は、フィーリアの強さを信じている目をしていた。
「私はフィーリアを見守るよ。フィーリアの決めた道を……何があっても応援すると……昔から、決めているからね」
寂しそうな優しい微笑みを浮かべたダートン様が眩しい。
「それが……妻との約束なんだ」
「ダートン様……」
優しい儚い笑みのダートン様はいつも左手の薬指に嵌めている指輪にそっと触れた。
……愛する人がいなくなってしまったダートン様はどれだけ辛いのだろう。
その辛さを抱えながらも、俺達を優しく見守ってくれているダートン様にいつも救われている。
「ディオンくん、君も覚悟しておくといい。きっとフィーリアは思いもよらない道を選ぶよ」
だから……このダートン様の言葉は、もしかしたら救いなのかもしれない。
「私は……それを、父親として……最後まで、応援するよ」
そうして覚悟を決めた目をしながら微笑んだダートン様に息を呑んだ。
窓を叩くように打ちつけていたはずの雨が、弱くなってきていた。
読んでくださりありがとうございます。
更新がかなり空いてしまい申し訳ありません。
活動報告でも先週中に投稿すると言っていたのに遅れて申し訳ないです。
正直ここ辺りのディオンの気持ちが辛くてなかなか書き進められませんでした……。
次もなるべく早く更新できるよう頑張ります。
これからも読んで頂けると嬉しいです。




