願われた想い
外の強く吹く風が窓を揺らして音を立てる。
窓の方に顔を向けると、不安そうな自分の若葉色と目が合った。
「なんだか……天気が悪いわね……」
落ち込んだ気分のまま呟くと、傍に控えていたマリーが応えてくれる。
「そうですね……。このような時は気分が落ち込んでしまうものです。少しお休みして好きな事をされてはいかがですか?」
先程から全く進んでいなかった魔法理論の論文を見る。マリーの言葉に苦笑して頷いた。
「そうね。少し気分転換をしようかしら……。マリー、裁縫道具を持ってきてくれる?」
マリーにそう頼むと優しく微笑んで頷いて部屋を出ていった。
私はまた窓の外に目を向ける。先程よりも黒い雲が厚くなって今にも雨が降り出しそうだ。
ディオンが最近は元気がないから、またタイを贈ろうと先日から刺繡していた。
論文はもうできている。ディオンにも見せたけれど、その反応は芳しくなかった。ディオンに聞くと「これで大丈夫」と言っていたけれど、表情は晴れなかった。
だから今はディオンも納得いくようにと見直しをしているけれど、肝心のディオンが何を気にしているのか分からないし言ってもくれないので思うように修正もできていない。
そんな状態だったので大抵刺繡に逃げていたのでもうすぐ完成予定だ。
論文も頑張らないといけないのに……駄目ね。そう考えて溜め息を吐く。
でも刺繡は昔喜んでくれた、幸運の証である白詰草を刺している。きっと喜んでくれるであろうディオンを想像して顔を緩めた。
そこに門が開くのが見えた。ディオンかもしれないと思って椅子から少し身を乗り出す。
私の部屋からなので門が下に見える。ブルーグレーの髪は愛しい人のものだ。今日は最近に比べて随分と早い。
ディオンが上を向いて私と目が合った。最近合っていなかった目が合って心に嬉しさが湧いて笑みを浮かべながら手を振った。
けれど、ディオンは空色の目を辛そうに歪めて下を向いて……そのまま私に手を振り返さずに屋敷へと入って行った。
その日、私の元へとディオンは来てくれなかった。
私が病気だと判明してからの九年間、私に何も言わずディオンが来なかったのは初めての事だった。
黒い雲から降り出した雨が強い風に吹かれ、窓を打ち鳴らしていた。
***
次の日は昨日の雨が嘘のように晴れていた。私はできあがったタイの刺繍を眺める。
一つだけ四つ葉の白詰草を入れた刺繍。
今日は、これを渡そうと思っている。
お気に入り木の下で、爽やかに吹いた風を受け止める。
歩いてこちらに来る足音が聞こえてきた。
いつもなら走ってきてくれていた、愛しい人。
ディオンは青の混じった灰色の髪を風に靡かせ、晴れた空色の目を伏せている。
「……マリー、少しだけ席を外してくれる?」
「…………はい、お嬢様」
マリーには珍しく躊躇ったような返答だった。私を心配しているマリーに柔く微笑む。
マリーは少し眉を下げた後、お辞儀をしてから下がって行った。
ディオンはマリーの方に少しだけ目を向けて、私を見る。
空色の瞳が揺れながら、私を映す。
「ディー、いい天気ね」
昼を過ぎた事で、残っていた雨露も照った太陽が乾かしてくれている。
揺れる木漏れ日が私の目に映った。
「フィア……」
ディオンから返ってくるのは硬い声。そんな声で呼ばれた事はなかった。
「ディー、これを……贈らせて欲しいの」
そう言ってタイを差し出す。
ディオンは空色の目を見開いた。
口を開けたり閉じたりしながら、何かを話そうとして口を閉ざす。
ディオンが立ったまま握り締めている拳を見ながら、私は立ち上がろうと思って木に手を当てる。
「フィア!」
それに気づいたディオンがすぐに私の前に膝まづいた。座り込んだ状態から一人で立ち上がるのはどうしても体力を使ってしまうから有り難い。
安堵しながらディオンを見ると、その瞳には心配そうな色が浮かんでいる。
本質は変わっていないディオンに顔を緩ませた。
ディオンは私の笑みに顔を強張らせる。
それに、目を閉じた。
「ディー、このタイで……やっとディーが出来損ないの刺繍を奪っていったのを超えるのよ?」
私の言葉に目を見開いたディオンに微笑む。
「……もう……そんなに……?」
零すように呟いたディオンは、ゆっくりと手を差し出し……受け取る前に手を止めた。
「……ええ。もうそんなにディオンに刺繍入りのものを渡したのよ」
私は止まっているディオンの手を優しくとる。ディオンは驚いたように手を跳ねさせた。
「はい。私の自信作」
ディオンの掌にタイを乗せる。その刺繡を見た途端、ディオンは目を瞠った。
「これ……白詰草……」
思わず漏らしたような小さな声を拾う。私は笑みを湛えたまま、ディオンを見つめた。
何もかもを……私の記憶に、焼き付けておきたいから。
ディオンは空色の目を煌めかせて、閉じた。
そして大きく息を吸って、ゆっくりと目を開く。その視線は刺繡に向けられている。
けれど、以前みたいに四つ葉を探してくれてはいなかった。
「…………ありがとう、フィア。……でもこれは…………もう、もらえないんだ……」
ディオンの言葉に息が詰まって、何も言葉が出せなくなった。
落ちた沈黙が、長く感じる。
「婚約を……破棄、してくれ」
震えた吐息が、漏れた。
風がそよぎ、ブルーグレーの髪が靡く。ディオンの空色の瞳を靡いた髪の隙間から覗いた。
私を見ていないディオンの空色の瞳を、揺れる木漏れ日が映す。
口を開こうとして、止まる。最近のディオンの様子から何かあるかもしれないと覚悟はしていたはずなのに、ディオンからの別れの言葉を聞いただけで……私の何もかもが崩れ去っていく。
私の日々には、いつもディオンが居たのに……もう、居てくれないという……ディオンからの宣言。
ディオンは続けていく。
「……すまない、してくれと言ったが……もうダートン様とは話は終わっている。俺の有責での婚約破棄になる」
「ディーの……有責……」
思わず繰り返すと、ディオンは息を吐いた。
「……………俺は王女殿下と婚約する事になった。これは俺の意思で決めたんだ。……すまない、フィア…………いや、フィーリア嬢」
息を吞む。そんな他人行儀な呼び方、された事がなかった。勝手に目が潤んでいくけれど、唇を噛み締めて耐える。
「…………これを、返すよ」
そう言って私にタイを渡そうとしたディオンに、両手を胸の前で握り締めて首を振った。
「……フィーリア嬢……」
困ったような、辛そうな声。私は震えている唇を必死で開いた。
「それは……ディーが、持っていて……。私の目標だったの。出来損ないの刺繡よりも……多く渡すこと。だから……受け取って、欲しい。私の夢を……叶えて欲しいの……」
私はディオンの空色の瞳を覗き込んで、笑みを作った。
「おねがい」
ディオンの目が揺れて、閉じた。
「……わかった。これは最後に……もらっておくよ」
その言葉に安心すると、ディオンはタイを持ったまま立ち上がる。思わずディオンに縋るように手を伸ばしたけれど、その手は届かなかった。
ディオンは顔を固くして、口を開く。
「さようなら、フィーリア嬢」
言ったと同時に踵を返すディオンにまた唇が震えてしまう。
私はディオンの言葉に、何も返すことができなかった。
「……フィア、幸せになってくれ」
届かないであろう距離で呟いたディオンに、一筋の涙が零れた。
ディオンに気づかれないように、私はずっと魔法で音を拾っていたのだ。ディオンの言葉を聞き逃さないように。大好きで愛しい貴方の言葉を、聞き逃さないように。
私はハンカチを取り出して零れてしまった涙を拭いた。
私には……やらないといけない事がある。
マリーが慌てた様子で走ってきた。ディオンが去って行ったから、私を迎えに来たのだろう。
「お嬢様……!」
心配そうな顔をしているマリーを見据えて背筋を必死に伸ばした。
深く深呼吸をして、意識して凛とした声を出す。
「マリー、お父様と話がしたいわ」
私は……最期まで、ディオンの隣に在りたいの。
更新が遅くなって申し訳ありません。
これからもよろしくお願いします。




