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戦後モラトリアム紀行  作者: 鐘白
3/10

1949年4月 上野

「ほぅら、ポーズとって!あ、中学生?英語分からないかぁ、勉強しといてくれよ、通訳いないんだよコッチはさぁー、現像したら一枚やるぞ!」

 「すみません。あ、高校生です。英語は少ししか出来なくて」おどおどしつつも、ハジメは慎重にゆっくりと答えた。

 「あ、喋れるのは助かる、発音もまあ悪くないね。勉強してんの?」

 「え、あ、ありがとうございます。えっと、今は高校生です」

 以外にも発音を褒められて、ハジメは照れてしまった。 

 彼が、英語をできた理由は学業の賜物であった。

 1945年、旧制の中学校に入学した。当時はまだ中学校が義務教育ではなく、比較的裕福な家庭の子供が通っていた。それでも戦時下ということで、畑を耕したり、道徳教育を受けたりしていた。

 それが終戦で一変した。そして9月から、英語教育を受けることになった。

 同級生の中には、『国や大人への反抗心』で英語の授業を放棄する者もいた。

 

 しかし、ハジメとしては、日本がアメリカになっても、普段の食事は芋や麦飯、自分の顔は抑揚がなくのっぺりとしていて、江戸時代の絵巻物に出てくる見た目のまま、アメリカも英語も自分とは縁遠いものという感覚があった。

 そして何より、日本語で表記されている教科ですらマトモな点を採れていないのに、英語なんて無理難題であった。


 それでも、定期試験は避けらず、一夜漬けで試験に挑む日々であった。結局、2学期3学期共に、零点に近い点を取り続け、春休みに英語の補講を受けた。


 補講終了後、教師は担々と言った。


「歴史をみればわかると思うが、強国に倣うために、その国の言葉を学ぶ。これは、古代から変わらない。ギリシヤ語を学ぶローマ人、ラテン語を学ぶゲルマン人。しかし、ローマ人はギリシヤ征服後もギリシヤ語を学び続けた。それから、ローマ帝国が滅びた今でも、ラテン語は世界中の学者に使われている。明治の御代から、英語は必須の言語です。ギリシヤ、ローマを思うに、仮に日本が勝っていたとしても、英語は必須だったと私は思います。」

生徒の顔を見渡して続ける。

 「神風が吹いていたら、最後まで闘っていたら、とかは、今更考えても仕方がない。皆さんは兎に角、目の前の英文にひたすらに真摯になりなさい。それでは、また新年度に会いましょうか。補講、お疲れ様。」

 彼は教材を脇に抱え、教室から去っていった。

  

 教室は暫く静まり返っていた。

 少しして誰かが、「日和見主義者の教師め」と呟呟く。それに続けるように、補講者各々が感情を顕にし、近くの席の者たちと議論をはじめた。時折、「結局、僕らのやってた事は何だったのか」と啜り泣く声も聞こえた。

 

 そんな中、ハジメは教師の『目の前の英文にひたすらに真摯になりなさい』という言葉を反芻していた。無理難題だと、決め付けず、一つ一つ確実に英語を勉強してみようと思った。


 その後、彼は黙々と英語の授業を受け、教科書と参考書を読み、進駐軍向けのラジオ番組で英会話を聞いた。そのお陰もあり、英語の成績は平均より上を採れるようになった。高校受験、東京の学校へ編入するときの試験も、英語で切り抜くことができた。

 安藤ハジメが、奇妙な進駐軍兵士の言葉を理解し、返事をすることが出来たのは、ただひたすらに英語を勉強していた故であった。

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