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戦後モラトリアム紀行  作者: 鐘白
10/10

1949年5月 谷中

 雲一つない快晴。イチョウの葉が青々と茂り、時折吹く風が心地よい午前10時の日曜。休日としては最高の条件が揃っていた。


 安藤ハジメは右手に柄杓が入った桶、左手に学生カバンを握りしめている。

 前を歩く養母の芙美子は、濃紫色の風呂敷包みと、白い野菊を抱えていた。着ている小紋も濃紫色で、上品だがどことなく近寄りがたさをハジメは感じてしまう。

 気圧されずに、何か気の利いた事を話そうかと考えるが、富美子の竹尺のように伸びた背筋から放たれる毅然とした姿に押され、ハジメは情けなくトボトボと付いていく始末だった。

 急勾配の石段を登る。足場が悪いため、健康な者でも踏み外す危険がありそうだ。

 ハジメは、身長が足りないせいで少々だぼついた学生ズボンの裾を曲げる。そして、息を切らしつつ、養母の後に続いて階段を登り切った。

 その先には、所狭しと墓石が並んでいる。あまり他所の墓を見るものではない事は分かっているが、ハジメは思わず周囲を見渡す。

 

 ここは谷中霊園。明治7年に開設された都内屈指の規模を誇る霊園である。歴史の表舞台で活躍した数多くの偉人が、安らかな眠りについている。彼らを師と仰ぐ者たちが、墓参りにやってくる、立派な東京の観光地の一つでもある。

 

 途中、水汲み場に立ち寄り、墓石を掃除する為の水を桶に並々と注いだ。井戸からくみ上げた水はヒンヤリと冷たく、触ると気持ち良い。

 芙美子は、手際よく剪定バサミで野菊の茎と葉を切りそろえ、「ハジメさん、行きますよ」と酷く乾いた声でポツリと言った。

 谷中霊園は「甲」と「乙」2つで区切られ、そこからまた細かく数字で区画整備がされている。安藤家の墓は、天王寺の五重塔が11時の方向に見える方向に設置されていた。

 塔の上からだと、霊園の全容が見渡せ、さぞかし壮大な風景だろう。ハジメは、しげしげと見上げる。

 安藤家は元々、加賀藩前田家に仕える貧乏旗本だった。

 ご維新後、藩主は爵位を賜り東京で生活していた。その藩主を、安藤家の若き家長、晴太郎は盲目的に慕っていたのである。

 彼は妻と幼い子を引き連れ、殆ど着のみ着のまま東京に移り住んだ。

 その後、何とか役人の試験に合格。遣り繰り上手だった妻がコツコツと貯めたお金で、暮らしていた長屋の一部を買い取り駒込に根を下ろした。

 

 駒込から程近い、ここ谷中霊園には晴太郎をはじめとする安藤本家の当主と妻が安らかに眠っている。

 そして、ハジメの従兄であり、本家の一人息子であった安藤晴司も。

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