01-09
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静間右流辺。
年齢二一歳。
大した学歴も無ければ、他人が聞いて感心を抱くような夢もない。
母の子宮から飛び出しこの世に生を受けてからの二一年間のなかで覚悟を決めたことなど何一つない。
嫌なことがあればのらりくらりとかわすように避けて生きてきた。
だが、今、青年の目の前に避けることの出来ない壁が立ち塞がっている。
その壁は、全力で突進して壊すか、もしくは自分の体が耐え切れず木端と化すか二つに一つだ。向き合うしかなかった。
「こいつは……何と言うか……」
荷物を背負って右流辺は安定しない足場に気を使いながら壁伝いに一歩一歩進んでいく。
千元導竜アパロアが住み着く魔窟。
ラフールの街から転移用魔導陣を使えば魔窟の目の前へ瞬きとしてる間に到着した。そして、覚悟のうえで足を踏み入れた右流辺達の前に広がる光景は……
「危険がないことはいいことだけど、これだけ整備が行き届いていると味気のない道程だな」
既に手垢の着いた道だと語るように、先人達の通った道を灯晶石が街灯のように洞窟の奥まで等間隔に照らしている。
「モンスターみたいな生物は居ないんだな」
ロウと右流辺の二人以外に虫一匹として気配がない。流体生物の一匹や二匹居ればゲームなどでよく見る光景だが、ここには虫一匹すらいない。
「他になんもいないのか?」
虫すらいない道を右流辺とロウは互いに安いリュックを一つ背負って進んでいく。
「……いい、居ましたよ。全部逃げましたけど。アパロアに」
生物的本能が危険を告げているのかロウの兎耳が総毛だっている。この魔窟に足を踏み入れてからロウは歯の根が合わない。
普段ならば聞かずとも語りだす饒舌なロウが一切喋りだそうとしない。
「ビビってるのか?」
「ま、魔力を感じない方は良いですよね。私だって用が無ければここ、こんな場所に入りたくないですよ。
せせ、千元導竜の気配にビビッて全ての生物がトンズラしたような場所ですよ! 気の触れた方じゃなければまずそんなに元気でいられませんよ!」
「おわっ!」
ふいに足を止めたロウのリュックに右流辺は顔を突っ込む。
「な、なんだ!?」
「───ここ──こここ────」
リュックに突っ込んだ右流辺の声に振り向くが目尻に涙が浮かび、満足に言葉すら発することができない様でロウは震える。
「いきなり鶏になってんじゃねえよ。なんだよ?」
「ここ、ここから先に──」
言葉にならない言葉をこぼしながら洞窟の奥を指さしたロウを横によけて右流辺が奥を覗く。
そこから先は魔力を持たない右流辺にも明確にはっきりと見えた。
「光が……ねえな……」
灯晶石が配置こそされているが動きを阻害され光を奪われている。
その代わりとなるように刻まれた数多の魔導言語。右流辺が読んできた魔導書に用いられた言語とは違い、秩序も法則性もなくただ混沌を孕んで刻まれている。
「……さてと。ここから本番だな。ん、何、座り込んでんだ?」
「……こここ、腰が抜けちゃって」
今にもこぼれそうな涙を目尻にたっぷりとため込んだロウが情けない声をこぼす。
「ったく、どこまでも役立たずだな」
「だだ、だって、怖いじゃないですかっ!」
「まあいいや。どっちにしろこの奥に行くと魔導陣も使えないだろ。お前はここで大人しく逃げるために転移用魔導陣を起動しておけよ」
腰を抜かして立ち上がる事のできないロウを横目に右流辺が一歩前へと進む。
「ほほ、本当に行くんですか? 今から帰ったり……とかあってもよくないですか? ほら、日帰り探検ツアー……みたいに。ははは」
乾いたら笑いを浮かべるロウに対して右流辺は振り向くと白い歯を見せて莞爾と笑う。
「神竜見学ツアーなら、目玉のアパロアを見ないで帰るわけにはいかないだろ」
「しし、死なないで下さいね」
「ん? なんだ。人を心配する脳みそくらい持ち合わせてたんだね」
「ああ、ありますよ! 召喚した者に死なれたらバツが悪いんですよね」
戦闘用の魔獣を召喚し売買することで生計を立てている召喚士は多い。むしろ召喚士として正道とも言える稼ぎ方だ。
そして買われていった召喚獣達が戦闘の災禍に身を投じ焼かれていく姿も想像に難くは無い。ゆえにロウは一度として戦闘用の召喚を行ったことはない。
戦闘を優位に運ぶ召喚獣を売ることが世間的に正しいとは言え、自分の金稼ぎのために争いの炎に関係のない者達を巻き込むような召喚はできない。それがロウが召喚士として持つ信条であり、うらぶれた路地裏でこじんまりとした店になっている原因とも言える。
「頭は悪いし、何も考えずに行動する奴だけど、ちっとは『人の心』って奴を持ってたんだな」
「人じゃないですけどね」
「人の心ってのは種族は関係ねえよ。誰だって持つんだよ」
右流辺は右胸をドンと叩いてみせる。
「良いか。逃亡用の魔導陣だけはしっかり用意しとけよ。
してなかったら、てめえを囮にして逃げるからな」
「ひ、人の心って奴はそんな非道な行為を許すんですか?」
「時と場合であったりなかったりするんだよ。人の心は。特に生き死にが関わってる場面なら役立たずに人権なしだ」
「人の心とは…………」
呆れかえるロウを他所に右流辺は呪文が続く洞窟の最奥を見つめた。
──とは言ってはみたものの……
腰が抜けたロウの気持ちはわかる。
正直、魔導言語が続く洞窟の奥へと進む足が重くなる。
意識とは裏腹に右流辺の体がこの先へ進むのを拒んでいる。
──ちょっぴり泣きそう。
この準備期間を含めた『二週間』と言う時間で覚悟を決めて今日と言う決行日を迎えたにも関わらず、恐怖でその心が揺らぎそうだ。
未知の世界である街を眺め、空を飛ぶ竜を見つめ、道を駆け抜ける魔導兵器を眺めてきた。
およそ覚悟はできたと思っていたが、人間、やはり、いざ命を賭けることに覚悟など出来ないと右流辺は実感した。
「ああ~……途中に宝箱の一つでもあって金銀財宝ザックザク……とはいかねえよな」
探訪禄から得た情報通り、洞窟は大きく開かれ、そこに『標的』はその巨大な体と翼を畳み横たわっている。
「み、見事に記述通りなのはありがたいことだけど、せめて『完全無欠』とか『魔導無効』とかは外れてほしいもんだな」
他の生物との共存を拒み、この巨大な魔窟を独占することを許された存在がロウの前で眠っている。静かすぎる洞窟にその寝息はじゅうぶんに響いている。
全身に白色の鱗を持つ神竜の巨体を中心に魔導言語が洞窟全体へと広がっている。
「墓標……か」
右流辺が読んだ探訪禄のなかに記述されていた内容と光景が見事に一致する。
幾人もの兵が挑み散っていった痕。地面には突き刺さった武器の数々に地面に散らばる白骨。
この場所を切り取り、絵画として題を与えるならば『自殺の名所』とでもつけられそうだ。
「触れない限りは起きないと聞いてたけど、よっ」
広場に足を踏み入れずに右流辺は手頃な石を一つ、アパロアの傍へと投げる。飛んでいった石は転がる頭蓋を砕く。
「……お、起きないよな」
恐る恐る確認するがアパロアの寝息は変わらない。
「起きないな……よよ、ヨシ!」
背負っていたリュックを下ろし、中の荷物を全て広げた右流辺の頬を伝うように冷や汗がこぼれていく。
古びた安リュックから出てきたのは、千元導竜を調べるために買いあげた無数の本と雑な造りの掌サイズの樽が二つ。
「こいつ、本当に爆発すんだろうな?」
魔力はない。そして戦場を駆け抜ける戦士のような力もない右流辺が考えられる限りのことを考えた結果出てきたのは『爆弾』の二文字だった。
手に入れるのは比較的簡単だった。魔力を一切要すことのない、調合された火薬によって作り出された爆弾。樽の胴に巻かれた導火線に火をつければ一分と待たずに激しい爆発を放ち神竜の鱗を剥いでくれる……はずだ。
手持ち花火がせいぜいの右流辺からすれば爆弾を手に持つなど人生で初めてのことだ。
──なにをしてるんだ?
「何ってそりゃ爆弾を……ん」
散った白骨を踏みしめ、白く滑らかな輝きを放つ鱗の傍にたどり着いた右流辺が抱えていた小樽を置くと、どこからか声がした。
しかし、振り向こうとも声の主などいない。
ここに居るのは右流辺だけだ。
「げ、幻聴か?」
悲惨な戦いを物語るかのように白骨が飛び散った空間だ。怨念の一つ二つ囁きかけても不思議ではない。
そう思うと背中に冷たいものが走る。
成仏できない霊が蔓延るこの空間。
「きき、気のせい……だよな」
「何をしてる?」
「気のせい……じゃないみたいだな」
幻聴の類と思い込みたかった右流辺の耳朶をその声は叩いた。
「ど、どこだ!? こっちは重要な仕事の真っ最中だぞ! 大人しく成仏しやがれ」
「傍に居るだろ。こっちだ」
「どど、どこ────────っっ!!!!」
声の主を探す右流辺は目の前に飛び込んできた光景に言葉を失い腰を抜かす。
白骨を尻で砕いた右流辺は声にならない声をあげた。
声の主は未練があり成仏することのできない悪霊……などではなかった。右流辺の前に鎮座しているのは只一匹。
白い鱗から空間へと広がる魔導言語を支配する神竜。
『千元導竜アパロア』
緑青色の瞳が右流辺をしっかりと映していた。