01-08
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「右流辺さん、もう二週間になりますけど、この世界に慣れましたか?」
「慣れるほど街はうろついてないしな。時間があれば本の虫だ」
椅子に腰をかけ行儀悪く足を机の上に乗せた右流辺は買ってきた本を見つめる。
体を覆っていた群青のローブを布団変わりにしベッドに寝転んだロウの、下着のような薄着姿に右流辺は見向くこともなく本に刻まれた文字の一文字一文字を舐めるように視線が動く。
今の右流辺には文字以外目に入らない。
およそ二週間という時間のほとんどを買ってきた本を見つめる日々だ。飯を食うにも、便所へ行くにも、買い物に行くにも、風呂に入るも、街を歩くにも本を抱える日々だ。おかげで読んだ本がロウの広くない部屋に幾つもの柱を作り、狭い部屋が更に狭くなっている。
探訪禄や地図。それに様々な魔導の教本や、歴史学。本と言う本から区別なく得た知識が未知の世界を紐解いていく。
魔導が発展した世界で様々なものが商売に使われている。
遥か彼方の遠方の地へ一瞬で移動できる移動用魔導陣を売る者や、聖域を作り出し悪しき者を拒む壁を作り出す戦闘用魔導陣を売る者もいる。魔導陣に限った話ですら、この二週間で右流辺が得た知識をあげれば一夜を通して語っても尚も尽きる事がないほどの量だ。
日常生活において使用されるモノだけでなく、戦闘へと赴く冒険者達の一助となるモノまで様々なものが右流辺の元居た世界とは違う形で売られている。
「つくづく魔力と金がねえってのは困った話しだな。何をするにも魔導、魔導。金、金って嫌になるぜ」
「どっちもないなんてほんと役立たずですよね」
「金が無いのはお前も一緒だろ」
金があれば様々な方法で物資が調達できる。
調達可能な団体への依頼。希少魔晶石を用いての戦闘用の召喚獣の召喚。様々な方法が思いつく。
もちろんお金があれば、借金で首が回らないなどと言う現状には陥ってはいないだろう。
「寝るのは勝手だけど、準備の方はどうなんだよ」
「私が用意するものなんて帰還用魔導陣の準備だけですからね」
そう言うと寝転んだロウは下着とも見紛う純白の胸当てから一つ、藍色に輝く魔晶石を取り出す。
「一回こっきりの中古品ですけど、どこからでもこの街に戻ってこられるやつです。それよりもそっちが見つけた神竜から鱗を剥ぐ方法って本当にあるんですか?」
召喚士であるロウが担当したのはおよそ神竜までの到達と脱出。そして右流辺が担当したのは鱗を剥ぐ方法の発見と実行。
金はない。魔力に至っては全くない。おまけに相方は役立たずの無能召喚士と来たものだ。
「魔導の類を一切合切封じる魔導空間を構築してる上に、並の戦士の力では傷跡を残さない頑強な鱗。はあ~。言ってて嫌になるような話しだな。
こんな化け物を相手にしないといけないなんてな」
この二週間。ただひたすらアパロアに関する文献を読み漁った。それこそ子供向けの快楽文書であろうともアパロアと思わしき存在が出る書物は手あたり次第だ。
「紅き月の夜。
黄金の満月が紅に染まる日。千元導竜はその荒ぶる呼吸を収め、眠る瞬間がある、とは書いてあるんだけどな。
いかなる音を立てようとも触れるまでは決して目覚めない、ってな」
「それって本当なんですか?」
「本当かどうかは知らんけど、アパロアの鱗を手に入れた奴を仔細調べると、鱗を手に入れた日が確かに紅い月の輝く夜なんだよな。偶然と言えば偶然かもしれないけど、可能性が僅かでも上がるなら信じるしかないな」
「紅い月って……たしか」
「明日だな」
逃げることもできない『決行日』は迫っていた。
借金の刻限までに紅い月を迎える日はこれ一回きりだ。つまるところ、明日を逃せば次はない。
泣いても笑っても最後のチャンスであり、生死をが決まる分水嶺だ。
「ところでよぉ、ちょっと質問いいか?」
「はい? なんですか? 生年月日と年齢までしか教えられませんよ」
「誰が無能召喚士のことなんぞ聞きたがるか」
「……じゃ、じゃあなんですか?」
右流辺の物言いにロウは僅かに眉根に皺をつくり口をとんがらせてみせた。
「魔導って魔力が無いと使えないのか?」
「……そりゃ魔力を代価にしてるから魔導でしょ。そんな子供でも知ってることをなんで聞いたんですか?」
「いや、この本で気になることが書いてあってな。ほれ」
「うわっ!?」
不意に投げつけられた本をロウは起き上がり手に取る。
灰色の何の色味もない一冊の本だ。題字すらもない。開けどロウには頁に記されたその文字を読むことは一切できない。
公用語として使われている言葉が万あれば、解読できない言語は億もあると言われている世界だ。
公用語を使える者でも読むことのできない本と対面することは珍しいことではない。
「な、なんですか。この本? アパロア関係の本ですか?」
「いや、蚤の市で見かけたらつい買ってきたんだけどよ、なんかざっくり読んだ限り、その本に魔力を使わない魔導の使い方が書いてある気がするんだよ。まだ詳しいことは読んでないけど、血がどうとか……」
読めもしない頁を眺めたロウは渋い顔を作る。
「……やめた方が良いんじゃないですか?」
「なんで?」
「魔力を代価にしてるのが魔導ですし、同じ力を使って魔力が使わないなら、それ以外の何かを代価にするんじゃないんですか。ましてや血を代価なんて。危なさそうですよ。ほい」
「ん~、そんなもんかね」
再び投げられた本を受けとった右流辺はそれを遊ばせるように指先で器用に回してみせる。
「だいたい血を使う魔導なんて聞いたことないですよ。血なんて語ってるけどひょっとしたら代償に命なんか取られちゃうかもしれませんよ~」
脅すような声を出すロウの言葉を耳に右流辺は持っていた本を眺める。
数多の魔導教本を読んできた右流辺にも魔導の危険性は理解できる。ときに既存の魔導技術では制御することが出来ず、暴走と言う形で様々な悲劇が起こり、それらは事件として記録されてきた。
知識こそあるが魔力を持たない右流辺が本に記載されている呪文を唱えればいかなる悲劇が飛び込んでくることになろうか。
「確かにやめといた方がいいな」
「あ、でも、明日が命日になるんですから一発くらい今、試してみても良いんじゃないですか?」
「死ぬときはお前も一緒なんだからな」
「…………あ、明日が命日ならないようにお互いに頑張りましょうか。本返しますよ」
右流辺の言葉に苦笑いを浮かべたロウは本を投げ返すと布団にごろりと横になる。
右流辺自身やりたいことはごまんとある。
この年齢で死ぬなど微塵も考えたくない。
「ところでよお~」
「…………」
「ん?」
「……くか~……」
「寝てやがる」
凄まじい寝息と共にロウは眠りについている。明日にはあらゆることが決する戦いが待っていると言うのに、一分にも満たない時間で平時の如く眠りにつける姿に右流辺はある種の才能を感じる。
「…………まあ本の一冊くらい大した荷物にならないし持っていくか」
右流辺は手に持っていた灰色の本を、翌日のために纏められた荷物のうえに放り投げる。