01-04
「右流辺の奴、今日も連絡なしでサボりやがって! 携帯電話にも出ないしっ!
どこに行きやがった?」
中途半端に頭頂部だけが綺麗に禿げた中年は繋がることのない携帯電話に盛大に唾を飛ばしながら怒鳴る。サイドに残された僅かな希望と言わんばかりの髪を、優しく撫でる。
アルバイトを仕切る叉成は歯並びの悪いを黄ばんだ歯を軋ませながら剣幕を浮かべる。
件の青年である右流辺静間は、日頃から勤務態度は真面目な者などではなく隙あらば怠けるような男だ。いつかこういう事態が来るとは思っていたが、ついにそのときが来たと叉成は確信した。
何度もスマートフォンへ連絡を取っても繋がらず、一度は住んでいるアパートまでも出向いたが、鍵は閉まったまま。
「おい雪ノ瀬」
「はい?」
苛立ちを孕んだ叉成の声は、積み上げられたダンボールを数えている少女に向けられた。
小柄な体躯に常に眠たそうな半開きの眼に、淡紅色のメッシュが入ったポニーテールの髪型をした雪ノ瀬鳴は振り向く。後ろで纏めた髪が合わせて軌跡を描く。
叉成の怒りなどどこ吹く風の雪ノ瀬は相変わらず緊張感のない弛緩しきった声だ。声と同様に身なりもその小柄な体を覆うようなオーバーサイズの服を羽織っている。
「お前、右流辺と仲が良いからあいつがどこに居るか知らないか?」
「知りませんよ。仲も良くないですよ。帰り道が一緒だから帰ってるだけですよ」
緩くのんびりとした喋りの雪ノ瀬はお門違いの叉成の言葉を訂正する。
ただ帰り道が途中まで一緒だからよく帰るだけであり、雪ノ瀬からすれば『その程度の関係』で表せるところだった。
好きか嫌いかと二極化で答えを求められれば、少しだけ間抜けで図々しいお調子者の褒めるところが少ない小うるさいアルバイト先の先輩である右流辺のことは僅かに好きに分類されている程度のものだ。
「ほんとに知らないのか?」
「知りませんよ~」
疑うような叉成の視線に対して気の抜けた声で返事した雪ノ瀬は再び在庫を数え始める。ついでに言えば又成は『大嫌い』に属している。
「三日も連絡なしでどこに行ってやがんだ」
ぶつぶつと尽きない愚痴をこぼしながら叉成は倉庫の裏へと姿を消す。
「ほんとどこに行ったのやら」
誰に聞かすでもなく雪ノ瀬は呟く。数日前までは確かに一緒に働いていた。しかし、三日前に二人の帰り道に突然現れたドア。そして謎の発光と共に先輩である右流辺の姿は消えていた。
それ以降右流辺がどこにいるかなど全くわからない。
右流辺は今のアルバイトを待遇を好意的な捉え方をしていない。それだけにいつこの仕事場から居なくなってもおかしくない節はあった。
しかし居なくなると居なくなるで仕事場にどこか寂然とした雰囲気が生まれる。
上司に注意されるくらい騒がしい右流辺の存在は良くも悪くも雪ノ瀬にとって、日常風景の一つとなっていた。
「ほんと自由な人だなあ」
突然仕事場から姿を消した右流辺の喧しい声を雪ノ瀬は思い出す。
□□□
──本と言うのは良い。
白と黒の斑が目立つ毛並みに狼の顔を持つ古書店の店主、ロビーノはこの街に構えた自分の店、その内装を見て恍惚としていた。
──誰かも名もわからぬ方々が、誰かも名もわからぬ者達へ自分の意志を、想いを、情報を伝えるために用いる言葉を記したものだ。
高い天井にまで迫らんばかりの本棚にはあらん限りの古書が収蔵されている。
その本棚がただ列をなして細い道を作っている姿はロビーノには言葉にし難い至福の光景だ。
魔導兵器や従者を連れて店内で本を探す者は皆一様に知識を求める探究者であり、知の先人に敬意を払う気品を見せている。
店主は『店』と言う舞台を用意し客は『客』として舞台を光らせる演者となる。
近年では魔晶石によって数冊分の内容など石粒一つに変換できてしまう時代だが、それでもロビーノはこの古書に包まれた空間が至高だった。
──娯楽として手に取った者達に数多の物語を提供する娯楽書物。
──魔力滾る幽体族の血をインクとして用いて記された魔力を秘めた魔導書。
──読む者全てに理不尽な不幸を与え様々な者を渡り歩く厄災文書。
──魔を焼き払う聖者の詔を記された聖導術書。
魔導技術が発展した昨今においても『本』と言う媒体に異常なまでのこだわりを見せる者達がいる。ロビーノもその一人であり、ここに訪れる客の多くもその一人だ。
「そこの本とそっちの本もくれないか! あとその黒の背表紙に題名が金字の本も」
「は、はい!」
その騒がしい声はロビーノの愛する静謐に割り込んできた。
店を構えてから初めての光景に目を丸くした。
知性を求める者としての礼節を知らず、本を吟味するでもなく、その異貌の青年は片っ端から本を手に取っていく。
どこからこの街へ訪れたかもわからない様相の青年は険のある目つきを隠すことなく右に左にと視線を動かし、ささくれ立った木箱を両手で抱えている。
「ま、まだ買うんですか?」
「必要だからな。あと背表紙が赤いその本も」
青年に指示に付き従うように本を取る女性にはロビーノも見覚えがあった。白い毛に包まれピンと伸びた兎の耳に、宝石のような真紅の瞳と髪。近所で『召喚屋』を営んでいる女性だ。
それがまるで小間使いのように男の指示で右に左にちょこちょこと忙しそうに店内を動き回る。
「よっと。こいつをくれないか」
たっぷり一時間店内を賑やかな声と共に遊泳していた青年は、抱えていた箱をロビーノの前へと突き出す。
青年の雑な性格がそのまま表れたかのような中身だ。
箱の中は配慮もなにもなく、乱雑に放り込まれた本達。開いた本が別の本に潰されている姿。売り物とは言え、本と言う媒体に異常な愛情を注ぐロビーノには歯軋りを立ててしまうほどの苦痛を伴う光景だ。
「ぜ、全部でひゃ、一〇〇ギルです」
「支払いよろしくな」
「一週間のご飯代がぁ……」
ローブの懐から財布を取り出したロウは情けない声をこぼす。出された通貨を受け取るのを躊躇ってしまうほどの。
「それで足りるのか」
「あ、ああ」
「んじゃ帰るぞ」
青年は支払いの確認をするとすぐさま本の入った箱を抱えて踵を返す。
ロビーノがどうしても気がかりなことがある。
雑に詰め込まれた数多の本は共通性が見いだせないほど様々であり、どれも用いられている言語が違う。
一〇の公用語を駆使できるロビーノですらも読み取れない本も少なくない。翻訳すらされていない安全性すら未知数の『原書』と呼ばれる本もそのなかには幾つも含まれている。
「そんなに色々買って全部読むんですか?」
思わずその言葉がロビーノの口を突いて出てしまう。
「本は読むためにあんだろ。他に何に使うんだよ。よっこいしょっ!」
とはいえ、青年が読めない本を買いあさっているようにも見えない。
青年は鼻息を荒くし本の詰まった木箱を力ずくで持ち上げて店を出て行く。
騒がしい嵐のような青年が店を出ていくとロビーノの店には再び愛すべき静謐が返ってくる。収蔵された古書を奪われ、本棚に出来た隙間だけが青年の通った証となる。