01-03
◇◆◇
「なあ……」
「はい?」
机には出来合い茶菓子と茶。そして目の前には憎たらしいほど屈託のない笑顔を浮かべた全ての元凶にあたる女。
「空中で縦に一回転させられた奴が見る世界ってわかるか?」
「わかりません! 一回転なんてしたことありませんから」
大量の本を敷き布団変わりにして意識を失っていた右流辺が目を覚ますと、椅子に腰を下ろしたロウが悠長に茶を啜っていた。
「さて」
「な、なんですか!?」
呼びかける右流辺に対してロウは両手を上げて身構える。
ローブから覗く振り上げた腕は女の細腕だ。力で右流辺への対抗など決してできないであろう。
しかし、魔導を使える者と使えない者の力の差を右流辺は身を持って体感した。
「俺を吹っ飛ばした力ってあれも魔法の一種か?」
「あれは召喚契約法ですね。魔導と言えば魔導ですけどちょっと特殊なものです」
「わかりやすく、そんで詳しく」
「えっとですね、要は召喚者が召喚獣に危害をくわえられそうになったり、契約に違反した行動を取った場合にのみ発動可能な特殊な魔導ですね。平時に使う事はできないんですよ。
第壱から第陸まであるんですけど、そのうちあなたに適用できたのは第弐だけでしたね」
「……ん?」
右流辺は一度首を傾げた。
「お前ひょっとして俺が気を失ってる間にあんなことを他にも試したのか?」
「もちろん」
「………………」
「いや~、契約が中途半端でありながらも自分の身を守るための契約第弐法がきちんと履行できる契約状況なのは私の並々ならない召喚士としての才能が──」
ロウは勝ち誇ったように饒舌に喋りだす。
満面の笑みが腹立つこときわまりない。
「ったく、こんな無能召喚士に呼ばれるなんて俺も運がねえな」
「むむ、無能って誰の事ですか!!?」
ロウの問いに対して右流辺は言葉などなく視線のみが雄弁に語っていた。
無能……と。
開店五年。決して長くはないが短くもない期間に、この片田舎の都市ラフールで魔導兵器などを売る競合店相手に、寝る間も惜しんで経営してきたロウは『無能』と言う単語を聞き逃すことができなかった。
赤字と黒字の間を反復横跳びしているような経営ではあったが『五年』と言う数字は紛れもなくロウの自信の根拠となっている。
「無能じゃないってなら早く俺を元の世界に返してくれよ」
「……そ、それと、これとは別の話しで……」
「別じゃねえだろ」
言葉の端々にあったロウの怒りが右流辺の一言で見事に霧散していく。
持ち上がった眉も勢いを失うように尻下がりになっていく。
「あ、あんまり責めると……泣きますよ」
「泣きてえねのはこっちだよ」
宣言通りロウの目尻に若干の涙が浮かぶ。
今、現在、泣くことでしか抵抗できない無力な召喚士が元の世界へと戻る鍵を握っているかと思うと右流辺は頭が痛くなる。
「も、もうこの世界で暮らしてけばいいじゃないですか。せっかく転移の福音が手に入ってるんですから」
「転移の福音ってなんだ?」
「えっとですね……なんと言えば良いんでしょうかね。
稀な例ですけど異界から召喚された方に特殊な力が付与されるんですよ。たぶん見たことのない言葉が読めたのもその力だと思いますよ。
なんでも読めたらそこそこいい仕事できると思いますよ。言語学士とかで」
魔導技術の発展が止まるところを見せないこの世界において魔導などではなく『文字が読める』など言われても右流辺には何の高揚感もわいてこない。
「その転移の福音って一つしかもらえないのか?」
「はいこれ。どうぞ」
「ん?」
質問を投げかける右流辺を前にロウは石を一つ出してみせた。掌サイズの石をどこから取り出したのか。
虹色の輝きを秘めた魔結晶。その輝きの奥を覗き込むように右流辺は机に置かれた石に顔を近づける。
宝石と言うには少々鈍い虹色の渦を巻いた輝き。
「それ持って下さい」
「……なんだよこれ?」
「いいから持って下さい!」
「??」
押し切られるように右流辺は魔結晶を握る。ごつごつとした感触を味わうように握った手を動かす。虹色の輝きはあるが感触に限ってはただの石だ。石の使い道なんて投げる以外思いつかない。
「魔天観測石です。握った方の能力値を測る試金石みたいなもんです。石を握った手で思いっきり力を込めて下さい」
「思いっきりだな……ふんっ!!!」
大きく深呼吸した右流辺はロウの指示通りに魔結晶を最大の力を持って握る。みるみる顔が赤くなる右流辺と同時に、魔結晶の虹色の輝きが強くなる。
「オッケーです。それ机に置いてください」
「ふう。机に……おっ! おおっ!!」
机に置くなり虹色の輝きを放つ魔結晶は、右流辺の様々な能力が異界の言葉によって机上に投影されていく。
まるでホログラム映写機のように映し出された文字に右流辺は思わず感嘆の声が漏れる。
元の世界でもお目にかかれなかったその光景は、ここが異世界だと改めて実感させられる。
「やっぱり転移の福音で得た能力は一つだけ……」
「……これってどうなんだ?」
投影された能力値を前に、一人何かに納得するように頷いていたロウは、表示された数値を見つめて僅かに眉をひそめ言葉を止める。
投影された言語は右流辺にも理解はできるが、この世界に来たばかりの右流辺には判断基準がない。それだけにロウの顔をつい見てしまう。
「凄いですね」
「凄いのか?」
ひょっとすれば途方もない力を持っているかもしれない。そんな期待を年甲斐もなく右流辺は抱いてしまう。
その力で元の世界に戻ることすら可能となれば、事態は万々歳である。
「魔力がゼロですよ。ゼロッ!」
ロウは力強く叫ぶと同時に人差し指と親指の先をくっつけ輪を作り、その輪を覗き込むように真紅の瞳が右流辺を見つめる。
「およそ魔導と言う魔導が全て使えないなんて、この現代社会をどうやって生きていけるんですかね?」
「そ、そんなにヤバいのか」
「よくぞ聞いてくれました。はっきり言って、めっちゃヤバいです。近い未来に死亡ルートしか見えませんね」
「マジかよ」
気の抜けた表情ばかり浮かべてるロウが、若干の汗を浮かべながら顔を強張らせ語る『ヤバい』は信憑性が凄い。
「いいですか。よく聞いてください。天井に吊るされた魔灯石っ!」
ロウがびっと指さした先にはこの部屋をほんの僅かだが照らしている魔導石が紐で吊るされている。
「マナが充満したものならば三年は変える必要のないあの結晶を起動させるのは、ていっ!」
「あっ、消えたっ!」
「えいっ!」
「ついた!」
ロウの掛け声一つでまるで魔法のように結晶は明滅を繰り返す。実際魔法によるところなのだろうがやはりこうしてみると凄まじい。
「わかりますか? あなたにはあれを起動させる魔力すらないんですよ」
「…………」
「ヤバいと思いませんか?」
「めっちゃヤバいじゃん!」
「滅茶苦茶ヤバいですよ」
自分の居た世界に置き換えて考えてみれば、ロウが熱弁する『ヤバい』の意味がわかる。
電灯のスイッチ一つまともに押せないことになる。子供以下の能力と言われ危機感を覚えないほど想像力に欠けてはいなかった右流辺の顔が引きつる。
「魔力が全く無い種族もひっじょ~~~──────っに極稀に居ますけど、そういう方達は明確に他の能力を持っているんですよ。
それこそ千里先すら見通す魔眼だったり、不死の肉体。でもこの数値を見たところ、あなたは────
身体能力、並っ!
知能、並以下!
魔力、カスッ!
転移の福音、言語理解。そんな頼りない能力で生きていけますか??」
ぐいっと顔を近づけたロウの宝石のような真紅の瞳は言葉に詰まっている右流辺を映す。
異界に来て素寒貧より更に下に位置するとは、もはやハードモードと評することすら生ぬるい話しだ。
「まあどうしてもと言うなら私の店で──」
「邪魔する! ロウ=フィンキスはいるか?」
「げっ!」
来客を告げるドアベルが響くと同時に桐間声とも取れる威圧的な声が店内から部屋まで響いてくる。
その声を聞くなり反射的にぴょいんと飛び跳ねたロウは机の下に隠れると身を丸め震わせる。
「居ないのか?」
「どれ。奥の部屋も見てみましょうか。
儀式の最中でしたら失礼」
胴間声のなかに決して交わることのない柔和な声が一度扉をノックするとゆっくりと開く。
右流辺達の居た部屋へと繋がる扉が開くなり、幾人もの騒がしい足音が部屋へと雪崩れ込んでくる。
入ってきた者たちの顔面は様々だ。
猪面から牛面、猿面。動物園のような顔を持つ面子が手に武器を握り、物々しい雰囲気を醸し出している。
歴戦の兵を思わせる筋骨隆々の戦士はみな傷の目立つ銀の甲冑に身を纏っている。
「これはこれは。来客中でしたか」
柔和な声の主は、まるでモーゼの十戒の如く戦士達を左右に割り颯爽と現れる。
ヒールが僅かに高い革靴の踵を踏み鳴らして姿を現したのは、その華奢な身が優雅に思えるほどの黒のスーツに身を包んでいる。洒落た赤リボンを首元で締めた男の顔に右流辺は目が離せなかった。
獲物を探すかのような二又に分かれた舌に、艶やかかに輝く灰色の鱗。
「……蛇……男?」
「ロックス」
「はい」
「──だぁっ!」
柔和な蛇男の指示は多くは語らなかった。ただ右流辺の体を、最も近い猪面の男が抵抗を許さない力で組み伏せる。あまりにも突然のことに世界が回転したかのような錯覚を覚える右流辺は後頭部に、剣先が紙一重のところで止まる。
「ソルバ族の若長である私、ビザーチ=アングリモを蛇などと知性乏しき生物に例えるなどずいぶんと礼儀を知らない来客ですね。
ロックス、離してあげてください。
互いを思う礼儀は大事ですよね。ねえ、あなた」
蛇の持つ特徴的な瞳。睨まれた右流辺は背筋を伸ばして立ち上がる。埃で汚れた右流辺の胸元をビザーチは軽く叩く。
「そ、そうですねっ!! 礼儀は大事ですよね!」
屈強な体で武器を持つ者達に睨まれれば右流辺はゴマを擦ることしかしできない。
次になにか不機嫌にさせることがあれば、柔和な男の一言で、この顔と胴体が綺麗に二つに分けられてしまいそうだ。
むさくるしい空間でビザーチはおもむろに机の下へと視線を向ける。
「それで店主は来客をよそに机の下で何をなされてるのですか? 礼儀は大事ですよね」
「あっ、いえ、少々床が汚れてたので掃除を……」
「店は綺麗なのが一番ですね。私もゴミは嫌いなものでね。特に約束事を守れないゴミは」
「ははは……」
ビザーチの言葉にロウは乾いた笑いを浮かべることしかできない。
「たまたま近くを通りかかったので様子を見に来たのですが。進捗はいかがですか?
まだ期限まで時間があるとは言え、そろそろ召喚も終わったんじゃないでしょうか」
糊の利いたスーツの懐に手を入れたビザーチは筒状に丸められた紙を取り出し、ロウに見せつけるように開く。
「神方六位にわざわざ仲介をお願いした上で調印を行った今回の仕事の契約書。これを反故することは神方に逆らうことを意味しますよ」
「あ、あはは……まだ刻限には四日も五日もありますから。ももも、もうすぐ終わりますから……今からこの部屋で儀式を行うので」
「確かに刻限まではまだ時間がありますね。仕事が順調なら結構です」
恐怖で若干舌が回らないロウの言葉に踵を返したビザーチに合わせるように戦士達が一足先に開かれた扉から出て行く。
「そちらの方はこの店の雇われさんですか?」
不意にビザーチの金色の瞳が右流辺へと向けられる。
直線的な殺意とは違う。足元から這い寄り、ゆっくりと首に迫り真綿で締め付けるような視線。
衣服の内側から背中をなぞられるような不快な感覚に右流辺は背筋が寒くなる。
「ここ、これは、私の助手です!」
「助手さんでしたか。さきほどは失礼しました」
「おいっ──」
「いいからっ!」
「ではお二人で作業に励んでください。また定期的に進捗を伺いに来ますので。
ああ。まさかとは思いますけど、くれぐれも契約を反故するような真似はしないでくださいね。約束を破る者は嫌いなもので」
にこりと笑ったビザーチからこぼれる二又に裂けた舌を動かしながら部屋を出て行く。
最後のドアベルが鳴り終えると同時にロウは腰を抜かすようにその場にへたりこむ。
「ガッ──ツリ、釘さされたわ」
金色のビザーチの瞳に睨まれ生きた心地がしなかったロウは、その視線の呪縛から解かれた今、体中が弛緩する。
「なぁ。なんで俺がお前の助手になるのか」
「い、色々あるんですよ。色々!」
「その色々ってやつを。手短に、簡潔に、即座に!」
「じつはですね────」
「それはお前が悪いっ!」
「み、味方してくれないんですか!?」
「味方できるような話しじゃないだろ」
およそ五分。
右流辺は一言として発することなくロウの訥々と語る事の顛末を聞いた。
聞けば聞くほど救いようのない話しだ。
「つまりだ。
お前はこの街の顔役で暴力団もどきみたいな連中から召喚の仕事を受けて、失敗したときの担保として自分と、この店を入れたんだろ」
「……ぐっ」
「そんでもってお前は、召喚のためにあいつらから受け取っためっちゃ高価な素材を使った召喚が成功しなかったうえに、素材をダメにしちまったんだろ」
「ぐぐぐっ!」
「一〇〇人が聞けば一〇〇人『お前が悪い』と指さす。うん。断言できる!」
相手がこのラフールの顔役であり市場の仕切りから非合法な荒事まで幅広く動く者だとしても、普段どれだけ悪徳な行いをしていようと、今、この仕事において全面的に悪いのはこの兎耳の女だ。
「どうしよ! どうしよ! 納期に間に合わないと担保にかけたこの店と抱き合わせ商法で私も売られちゃいますよ! でもでも素材はもう無いし!」
「別にお前がどこに売られて、兎鍋にされても俺の知ったこっちゃないからな」
「どど、どこに行くんですか!?」
「この店を出るんだよ。これ以上居たらどんな厄介ごとに巻き込まれるか。助手とか勝手にお前が吹聴しただけで、今から無関係者だって伝えれば問題ないだろ」
相手が手荒な方々だとその身を以ってして十二分に理解している右流辺は、関わりを避けるようにすぐさま店から逃走を図る……が、何かが右流辺の裾を後ろから摘む。
何かなどではない。明確にそれは指先だ。
「……なんだよ?」
この剣呑とした空気が滞留した店内から一刻も早く逃げ出したい右流辺の足は出口に向かって動く。ただ、ロウがそれを逃がさない。
「む、無関係じゃないんですよ。それが!」
「無関係だろ。離せよ」
「ふふ、二つだけ! もう二つだけ話しを聞いてください。無関係じゃないところがあるんですよ! とにかく話を聞いて下さい! 先っちょだけでも! すぐに! すぐに終わりますからっ!!」
「……………………」
「ねっ、ねっ」
「…………………………………………ふぅ。二つだけ聞いてやる。そしたら俺はこの店から逃げるからな」
あまりに必死に呼び止めるロウの態度に右流辺は再び椅子に腰を下ろす。
たった『二つ』。今の状況を正当化できるだけの理由があるのか右流辺には若干の興味もあった。
──もしも時間稼ぎの与太話ならば、話途中であろうとも即離席だ
椅子に腰を深くかけ僅かに足先に力を込める右流辺を前にロウは二本の指を立てる。傍から見ればピースサインとも取れる開かれた二本の指の間を覗き込むように、真紅の瞳が爛々と輝く。
「ひ、一つは、召喚には成功したんですよね。だから納品は問題なく出来るんですよ」
「じゃあそれをさっき渡せば良かったじゃねえか」
「良いんですか?」
「じゃないとお前が取って食われちまうぜ」
他人を心配する言葉など持っていない男だと思っていたロウは、右流辺の言葉に目を丸くする。
「良かった。本人から了承が貰えて」
「へっ?」
「それじゃあ早速、納品しにいきましょ。これでお店もなんとかなりそうです」
満面の笑みを浮かべたロウが安堵の息を漏らしながら席を立つと、右流辺の肩を引っ張る。
「ま、待て! なんの話をしてるんだ?」
「だって彼等の素材を使って召喚されたのあなたなんですから」
「……その話はマジなのか?」
「マジですよ」
まるで疑うことのない純真な真紅の瞳が煌々とした輝きを放っている。
嘘なんて微塵もついていないと言うよりは嘘を考える知能すらないようなアホ面だ。
「さて、無関係な俺はトンズラさせてもらおうかな」
「まま、待って下さい! ここまで聞いて無関係だって言いますか!?」
「しょ、証拠はないだろ。あいつらの素材で召喚された証拠がっ!」
「ぐっ! 確かに証拠はないですね」
「だろだろ! 俺は無関係だからな! 誰が何と言おうとっ! ムカンケイ!」
仮にロウの言う事が真実だとしてもそれを肯定することは許されない。醜く駄々をこねようと、地団駄を踏むことになろうとも否定しなければ、右流辺の前に敷かれた道はバッドエンド一直線のハイウェイだ。
「じゃ、じゃあ二つ目を聞いて下さい!」
「そう言えば二つ目があったな。それがお前から聞く辞世の句になるとは」
「縁起でもない。
二つ目は、召喚契約法なんですけど──」
「出たな。呪いの言葉っ!」
さきほど意識と体を吹き飛ばされた言葉に椅子を吹き飛ばすように勢いよく立ち上がり右流辺は身構える。もはや条件反射だ。
誰しも空中で縦に一回転するようなことがあれば警戒するのは当然であり、右流辺の反応は至極全うなものだ。
「あなたが気を失ってる間に確認が取れるものは全て取りました。
残りは一つ。どうしても確認の取れないものがあるんですよ」
「なんだよそれ?」
「召喚契約法最終条項。明壊の灯。召喚者が死ぬと同時に、その者の手によって召喚された者の命が爆ぜて消滅する……って言う奴なんです。私が死なないと契約が正常なのか確認取れないので確認してないんですけどね」
「ろくでもねえ契約ばっかだな。それで俺を脅すのか?」
右流辺は目の前で緊張感のない表情を浮かべたロウを睨みつけた。
「まま、まさかぁっ!!」
「じゃあ、その契約が何だって言うんだよ」
「いやあ、普段だったら明壊の灯は契約から除外してるんですけど、こういう特殊な契約状況になるとひょっとしたらひょっとするかもって思ったんですよ。
よぉ~──く考えて下さい。」
「ああ」
「仮に最終条項が結ばれていて、私があいつらに連れて行かれた先で酷い目にあって死んだらあなたはどうなりますか?」
さきほどの召喚契約法と結びつけて想像することは難くない話しだ。
「その瞬間、ボンッ……ですよ」
「…………なるほどな。どうすればいいかわかった」
「な、なんか良いアイデアでも閃いたんですか」
「お前は絶対に死ぬな。以上!」
「そそ、そんな無茶な!」
「だよなぁ。はあ」
大きなため息をこれ見よがしに右流辺は吐く。
◇◆◇
「おや。店主を店に置いて助手だけでいかがされましたか? もう納品ですか」
金無垢が目立つ豪奢な椅子に腰を深く沈め葉巻の煙をくゆらせながら優雅に吸っていたビザーチの前に現れたのは、見慣れない異邦の服装に身を包んだ青年であり、店主が『助手』と語っていた青年だ。
「へへっ。納品ではないんです」
躊躇なく謙る笑みで青年はビザーチの傍まで寄ってくるが、あと三歩の距離を武器を構えた荒くれ者達が阻む。
何か不用心に動けば、男たちの握った武器が閃くだろう。
「あなたは笑い方が下手ですね。そんな笑い方では相手を不快にさせてしまいますよ」
ビザーチが睨みつけると同時に右流辺の喉元に再び鈍色の輝きを放つ剣が交差する。
「そうかい。あいにくご機嫌取りは不慣れなもんでね。
ここいらの顔役ってことで非常に有名な方みたいだからな。そこらの奴に聞いたらすぐに案内してくれたぜ」
言葉通り右流辺がビザーチの屋敷を探すことに苦労はなかった。
表では飛空船団を抱え様々な事業を行い、この街の市場も管理し、裏では荒事専門の私兵団が善悪見境なく動いている。
ソルバ族の名をこのラフールに知らしめた第一人者であり、商売に於いて機を見るに敏なその能力にはあらゆる者たちが一目置いている。
強大な私兵団とこのラフールでも最大級の流通船団ギルド『レトウィ』を取り仕切っている若き長ビザーチの名は商売する者で知らぬ者は居ない。
街を監視するかのように宙に浮いたビザーチの豪邸。誰に聞いてもこの浮遊した屋敷の入り口となる転移魔法の敷かれた広場を教えてもらえる。
「浮いてる屋敷とは聞いてたけど、これは凄まじいもんだな」
椅子に腰を下ろしたビザーチの背後の窓からこの町を一望することができる。
宙を浮かぶ館には幾つもの飛空艇が取り付けられている。
──高いところに住む奴はたいてい悪いことをして稼いでる奴が相場とは聞くが、こいつは相当悪い事してるな
勝手な持論で右流辺は目の前で椅子に腰かけた蛇男を悪と決めつける。
「半永久的な浮力を放つ希少鉱石の浮揚岩で作られたこの屋敷、特にここからの風景は私の自慢です。
それで助手のあなたがなんの用ですか?」
「一応あの店で助手として働いてる者だからな。勝手に店が無くなるのは御免だし、とりあえずどんな内容の契約をしたかだけでも見たいんだけど、契約書ってやつを見せてもらえないか」
「良いですよ。こちらは見られて痛い部分などありませんから。神方六位の力で守護された契約書ですから並大抵の魔力では破ることや燃やすことはおろか、皺一つできませんし」
「そりゃ凄い契約書だ」
渡された契約書を開いて見れば、そこにはまたも見覚えのない異界文字の羅列だ。
しかし右流辺には不思議とその文字が読める。
見たことも聞いたこともない文字を朗読することも理解することも容易に思えた。
そこに記述されている契約内容の総てが仔細まで理解できる。ただ、少しばかりスラングが混じっているようにも見える。
──あいつが言ってた転移の福音ってやつか
「ふ~ん…………この契約書について聞いてもいいか?」
「おや。神方体系の文字を読むことが出来るのですね。てっきり召喚士として才のある方かたと思ってましたが、言語学士の方でしたか。
それで聞きたい事とはなんでしょうか?」
「この契約のキャンセル部分についての話しなんだけど────」
右流辺が契約書の隅を指さすとビザーチの金色の瞳が細くなる。にやついているとも怒りとも区別のつかない表情で二又に裂けた舌をちらつかせる。
「ふぇぇ~────~~ん! 召喚魔には逃げられるし、催促に応えられないし、私の人生は身売り確定だぁ! こんな日は酒でも飲まなきゃやってらんないよ。末期の水になるんだし、こうなりゃ死ぬまで飲んでやるぅ! なんなら家財投げ売りで高い酒でも買ってくるかな」
「お~い、無能兎」
「うぇ~ん!! 聖禄を貰う召喚士になるはずだったのに私はもう終わりだぁ~!!」
「おいっ!」
銀色のコップをひしりと握りしめたらまま醜悪な泣き顔を隠そうともせずに直情径行に喚き酒を煽り飲むロウは、対面に座る青年を見た。
涙でぼやける視界に青年の顔が満足に映らない。
「あれ? 逃げ出した召喚魔がいるように見えるけど、幻覚と幻聴まで来たのかな」
「誰が幻だ。目を覚ましやがれ!」
「あだだだっ!!」
兎耳を思いっきり引っ張られたロウは突然襲い掛かる痛みに酒の酔いも吹き飛ぶ。
「ったく、少し見ねえ間にヤケ酒してんじゃねえよ。ほらよっ!」
「……あっ、お酒!」
「いいから、コレミロ!」
「ぐぇ──」
一枚の紙をバンと机に叩きつけた。転がる酒瓶を追いかけようとするロウの顔を両手で挟み込むと力づくにでも紙へと向ける。
机に貼り付けられるように置かれた一枚の紙。
「これって……」
「お前がこの店を売り渡さないために必要な素材だ。注文を反故する場合、代価としてこいつを集めれば契約に則った形でキャンセルできるんだよ。
それとこいつは契約書の写しだ。直接あの蛇男のところに出向いて書いて来たから内容に間違いなしだ」
びっしり書かれた素材をロウは見た。酔いの覚めた目でも、その記述された素材の数に目を回しそうだ。
ご丁寧にそれぞれの素材の市場単価も書かれている。
「この素材全部って……この店が二軒くらい建つ金額ですね」
「そのことはあいつから聞いた。ただ契約に則った形でお前の身売りを防ぐにはこれしかあるまいな」
「な、なんでそこまでしてくれるんですか?
もも、もしかして絶世の美女の私に惚れちゃいましたか?」
「いいか! よく聞け」
「いふぁい──!!」
にやけたロウの両頬を引っ張り伸ばした右流辺はその真紅の瞳を睨みつけた。
真摯を超えて剣幕とも思える右流辺の表情は真剣そのものだ。
「俺が死なないためにお前を殺させないようにしてるだけだ。
わかってんだろうな? 俺が元の世界に戻るまでに勝手に死ぬようなことがあってみろ。兎鍋にして喰ってやるからな」
傍から聞いてても『無能』だとわかる召喚士を守りたいなどと微塵も考えたことが無い。本来ならば見捨ててトンズラを決め込む右流辺だが状況がそれを許さない。
万が一にでも目の前の無能に死なれてしまえば右流辺を待っている運命は追っかけ心中だ。
「ここにある素材を刻限までに整える方法を探すんだ」
「い、今からですか!?」
「そうだ。弱気も愚痴もましてや酒なんぞ飲んでる暇は無いんだよ。
覚悟を決めろ!
てめえがサボってたらケツ引っ叩いてやるからな!!」
──そうだ。手をこまねいている暇なんて今は無い。
この知らない世界のあらゆることを知り、生き抜く術を見つけなきゃならないんだ。嘆くのはここを切り抜けてからゆっくり嘆いてやるっ!