03-01
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全身に纏わりつくような湿った空気と濃い魔素に包まれた魔窟を屈強な男達が一歩ずつ進む。
「奥が見えねえ」
前衛として隊列の先頭に立つ豚顔の男は、視界を塞ぐように広がる白い霧を腰に差した大剣で払いのける。
一瞬避けるように霧が道を開けるが、それはすぐさま閉ざされる。
魔窟『灰被りの道』の名の通り、奥へと通ずる道が灰のように漂う濃い魔素と霧によって閉ざされている。
数メートル先も満足に見えない風景に男達は辟易とした表情を浮かべることしかできない。
「おい、敵は?」
「ちょっと待てろ」
先頭の男が後ろに呼び掛けると、灰色のローブに身を包んだ男が水晶玉をその手に一歩前へと出る。
霧のように視界を妨げる濃い魔素を深い呼吸と共に体内に取り入れ、それらが全て手に持つ水晶玉へと流れ込んでいく。
男が放つ魔力に呼応するかのように白い霧に漣が生まれる。
「親しき精霊達よ、果てない闇に彷徨う我らが魂を導き給え。白き案内」
水晶玉から放たれる幾つもの光玉が、虫のように舞い、濃い魔素の中を駆け抜けていき霧の奥へと消えてしまう。
それと同時に水晶玉に映し出された情報を男はしげしげと見た。
「ん~大丈夫だ。あたりに敵一体もいやしねえし、このまま一本道だ」
「はいよ」
魔力によって生み出された白き精霊達の検知を基に魔導兵器が再び歩を進める。
「しっかしまじで六階層があるなんてな」
「灰被りの道は五階層までしか記録されてねえし、この辺に人の踏み入った跡はねえからな」
「俺たちが初めてってことか? ひょっとするととんでもねえお宝が見つかるかもな」
先頭を歩く男に続くように隊列を作る数名の男達の色めきだつ声が魔窟内に反響する。
全身を覆う銀色に輝くはずの甲冑は、この魔窟内に存在する敵の返り血で穢されている。どれも男達からすれば片手間で退治できるようなモンスターばかりで、刺激も張り合いもない魔窟だ。
「いやあ、こりゃ明日の記事は俺たち赤ギルド『ゾルゲノス』の未開の六階層攻略で持ちきりだな」
魔窟内に住み着くモンスターの材料や、濃い魔素を吸い上げ独自の体系へと進化を遂げ自生している植物を採取するため、いまだ多くのギルドがこの灰被りの道へ足を踏み入れる。
しかし既知となっている階層は五階層。
今、男達が足を踏み入れた六階層を誰一人として確認できなかった。
前人未踏の六階層へと足を踏み入れた男達は、思わず凱旋した後の夢物語を思い浮かべてしまう。
「しっかしよくこんな道を見つけたもんだな。なあ学士さんよ」
「え、あ、はい」
騒がしい男達の最後尾を歩いていた男がおずおずと声をあげた。
弱腰がそのまま擬人化したかのように尻下がりの眉に細い瞳が丸眼鏡越しに映る。
漆黒のローブに華奢な身を包んだ男の顔は黄色の毛並みに黒の斑が豹人の特徴を表している。前を歩く男達と違い、その身に返り血一つついていない。
「なんだよ学士様。あんたが六階層に繋がる隠し道を見つけたんだからもっと喜べよ」
力加減を知らない男がばしっと背を叩くと、こぼれ落ちそうになる丸眼鏡を抑えて男は咳き込む。
青年の苦笑いした際にときおり覗かせる鋭い牙も決して振るわれることはないのを知ってか、男達に恐怖も畏怖もない。
「六階層を見つけた手柄がありゃ植物学士なんて陰日向の職だって少しは注目されんだろ」
「は、はあ」
華奢な青年は男達に押し切られるように頼りない笑みを浮かべて頷くことしか出来なかった。
植物学士オルテノン=スクアートが見つけた隠し道。
「俺たちに護衛依頼出したのは正解だぜ。
しっかりあんたを護ってやるよ」
「お、お願いします」
そして今回の攻略には赤ギルド『ゾルゲノス』へスクアートは協力依頼を出した。
有名なギルドは全て門前払いにあってしまい、悪い評判がばかりが先行するゾルゲノスに協力を仰ぐこととなった。
「こ、これで宝の一つも見つかれば……」
男達の興奮する言葉に触発されるようにスクアートも妄想が捗る。
普段は男達が言うようにお立ち台に上がることなどなく、薬草を作り口に糊する日々だ。
「しっかし見事なまでに一本道なんだな」
先の見えない霧の中を一体どれだけ歩んだだろうか。
岩肌が剥き出しになった空洞をただひたすら歩かされた男達はは石ころを蹴とばしながら疲弊したかのように声をこぼす。
金銀財宝を夢見たが、その原動力を維持するにも、代わり映えのない霧と道のなかでは限度があった。
「いい加減、財宝とか番人とかそういうのが出てこないとこっちも退屈しちまうぜ。おニューの武器も試してみたいってのに」
「ちょ、ちょっと待てっ!」
「おっ、敵か?」
水晶玉を持った男の一際大きな声に隊列がぴたりと足を止める。
男達も魔窟に足を運んだのは何も散歩をしに来たわけではない。
元より血気盛んかつ野心に滾る者達を集めた結成された赤ギルドだ。町に居れば揉め事を起こすことも少なくない。その鬱憤を魔窟のモンスターに向けているだけに、霧の奥にいるかもしれないモンスターに心が躍る。
「いや……壁だな」
「壁?」
その言葉に拍子抜けするかのように再び大剣が腰に戻る。
一歩奥へと進めば前照灯として浮遊している精霊魔術が、緑青色の輝きで、言葉通り『壁』を照らす。
驚くほど凹凸がなく、爪をひっかける亀裂一つ見当たらない。磨き上げられた金属の如き壁。
「壁か」
「壁だな……ここまで来て行き止まりかよ!」
苛立つ男達をよそにスクアートが一歩前に出て壁に触れる。
しっとりと冷たくどこまでも無機質な感触だけが掌を通じてくる。
「おい。奥を探知できるか?」
ただ平坦な道を散歩の如く歩かされ、回れ右では男達の鬱憤は溜まる一方だ。これを未開の六階層と称せば笑いものだ。
「今やってるけど、この壁、ただの壁じゃないぞ。高位の障壁魔導で守られてるせいで俺の魔導じゃ抜けられねえ」
男達の持つ魔導で壁の奥を覗くことはできない。まるで灰被りの道のように白い霧に覆われ精霊の視界すら満足に確保できない。
「魔導が駄目なら……力押しだなっ! お前ら離れてろっ!」
先頭に立つ豚顔の男が大剣を抜くと握る腕に力が入る。
太く逞しい腕に、幾本もの血管を浮き上がらせ握られた剣が上段へと構えられる。
「エンタニカン、トウライ、ハゼン……」
男が訥々と言葉をこぼす。
詠唱自体に意味などなく、それはただ、男の集中力を極限まで引き上げる自己暗示となる。
「突き破れぇぇぇ──────っ!!
昇破滅星斬っ!」
男が持つ剣技と魔導の融合に寄る波動にも等しい斬撃が数メートル先に鎮座する壁へ容赦なく叩きつけられる。
衝撃とともに魔窟全体を駆け抜ける。だが──
「………………嘘だろ」
滑らかな表面には男の斬撃で傷一つつかないまま佇んでいる。
その光景は男達を愕然とさせるものとしては十分足り得るものだ。
現時点で最大の火力をもってしても傷一つつかない壁。それは明確にデッドロックを表していた。
「逆に考えればこれだけ高位の障壁魔導を施された壁だ。この奥に金銀財宝があるってことだ」
「確かに」
多くの魔窟を潜ってきたゾルゲノスの経験上、剥き出しとなった財宝などない。殆どは何かしらのトラップや番人が立ち塞がるものであり、目の前の壁も例に漏れずという考えに至る。
「しかもここは今のところ俺たちしか知らない。おい、学士様っ!」
「は、はいっ!」
霧のなかに隠れるように二歩も三歩も距離を取っていたスクアートは、突然呼びつけられ背筋を正す。
「いいか。この六階層のことは口外するな。俺たちが一番最初にこの壁の向こうに行くんだからな」
「他の奴に喋ってみろ。そのときはどうなるかわかんねえぞ」
「はは、はいっ!」
脅すように凄む男達を前にスクアートはただ勢いよく首を縦に頷かせる。
「よし。信頼できる赤ギルドの奴らに声をかけてもう一度ここへ来るぞ。この壁を壊すためにな」
「おうっ!」
壊れることのなかった壁を前に男達は踵を返す。
ゆっくりと霧のなかへと呑まれる影をよそにスクアートはもう一度だけ壁を見つめた。
より濃い魔素を求め這う蔓も、壁に阻まれ奥へと続くことが出来ずにいる。
岩壁に張った蔓をスクアートが目で追いかけた先には──
「……文字?」
人は魔窟に多くのものを望む。その先に待つものが金銀財宝なのか。はたまたそれ以外のものなのか。
しがない植物学士のスクアートに壁を壊す手段を無ければ、その奥を覗く方法もない。ただ這う蔓の先にある文字を、眼鏡越しに見つめる。
法則性のまるで掴めない言語。スクアートの知識でそれを紐解くことができない。
「ほれ。学士様も帰るぞ」
「はは、はい! 今行きます!」
呼びつけられるスクアートは慌てて男達の後を追い霧のように濃い魔素のなかへと姿を消す。
壁はただ佇む。
灰のように舞う濃い魔素のなかで静かに。