02-10
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「ただいまです」
「よぉ」
買い物を終えたロウが袋を抱えて部屋に入ってくる。
そこには目的なく本を読む右流辺と相も変わらずやる気もなく横になっているガンドルノアが居る。
景総がこの店に訪れ、現状を把握してから何か特別な行動を起こすでもなく、ただただ時だけが無情に過ぎていく。
そうして分かったことが一つ──
「平和ですねえ」
ロウは帰ってくるなり茶を啜り、まるで縁台で日向に向かう老人のように気の抜けた声をこぼす。
そう! 平和である。
賞金稼ぎや幾多ものギルドがこの街を舞台に様々な思惑を交錯させている。時と場所次第では軋轢さえも生まれている。にも拘わらず右流辺の周りは平和そのものだ。
何の気兼ねもなく買い物に行ければ、日常生活に困る点は一つもない。
「まさか右流辺さんだなんて誰も思ってないんでしょうね」
「………………」
この状況に干渉する力もなければする気もない右流辺達をよそに事態は既に二転三転していた。
そもそもが市場に出回った神竜の鱗と言う事実に、根も葉もない噂が肉付けされ、それを真に受けた者達が起こした乱痴気騒ぎだ。
今や噂は尾鰭がついて手足まで生えてきてるような眉唾なものとなっている。
──千元導竜の結界を真正面から破った無尽蔵の魔力を誇る魔導士
──無敗の戦士による白兵戦で鱗を奪い取った
──人ならざる神の粛清によるこぼれものが市場に出回った
──これまでにない新たなる力を持つ始祖の誕生
──実は一人などではなく千を超える軍勢で事に臨み鱗を奪取した
などと、どれを聞いても正気とは思えない噂がこの街に横行している始末だ。
噂の真偽を精査する能力も頭も持たずに踊らされている人々がこの街で勝手に騒ぎを起こしている始末だ。
「私たちはきっちり蚊帳の外になっちゃいましたね」
「だな」
そしてその噂のどれをとっても該当しない右流辺とロウは綺麗に賞金稼ぎの張った網をすり抜けていた。
かたや大した魔力を持ち合わせず召喚屋として何とか生計を立てている少女。かたや、大したどころか全く魔力も持たずに、力も戦士として見るにはあまりに非力。商人として見るにはあまりにこの世を知らない。
傍から見れば凡庸どころかそれを下回る二人がかかる網などあるはずもなく、二人の日常は何も変わらない。
街がどれだけ騒がしくなろうとも、裏路地に建つロウの召喚屋まではその喧噪も届かない。
「とは言ってもいつ過ぎるかわからないこの台風が去るのを待つってのもどうなんだ?」
「俺様としてはお前さんに早く体を探してほしいもんだな。
俺様の体が見つかったら元の世界に戻る協力もできるんだがな」
「かと言って、大通りはちょっとだけ物騒な感じなんで、今出ると揉め事に巻き込まれちゃいますよ。
色んなギルドが顔を突き合わせてますからね。
犬猿の仲なギルドも一つや二つありますし」
「そんなのに巻き込まれたくねえし、やっぱ大人しくしてるしかねえか」
力無いものが厄災を前に出来ることなど、ただ巻き込まれないことを祈ることくらいだ。
今、この街は胸に一物を抱えてるギルドの者達が往来を跳梁跋扈している。表では協力体制を取りながらも有益の情報と思しきものは互いに秘匿している。
全ては件の賞金首を、他を出し抜き手にするためだ。
「まあ良いじゃないですか。そのうち皆飽きちゃいますよ。どうせ見つからないんですから」
「それならいいんだけどな」
こんな調子ならば右流辺の存在に気が付く者は一人として出てこないだろう。
「………………いや、一人いたな。気が付いた奴が」
──カランコロン
右流辺の脳裏にたった一人。神竜の巣から右流辺へと辿り着いた熊男の顔が思い浮かぶと同時に来客を告げるカウベルが鳴る。
「あっ、いらっしゃ……熊っ!」
「いきなりで失礼するな」
いつぞや見た黒無地の作務衣姿の熊男が部屋の出入口を塞ぐように腰を曲げ巨躯をねじ込むようにして入ってくる。
幾ら数多の生物がうろつく混沌の異世界でも、その巨躯が視界に入ると右流辺は咄嗟に身構えてしまう。
「久しぶりだな」
「何の用ですか? こちらはは御用はないですよ」
「そうツンケンしないでくれ。ちょっとくらい世間話にしにきてもいいだろう」
──なにもよくないっ!
右流辺としては今、この喧々としたラフールで最も危険な存在であり、ひょっとすればこいつの一言で、網を潜り抜けていた自分に矛先が向けられるかもしれない。
「それじゃあどのような話しを持って来たんですか?」
出来ることならば会いたくないし、更に言えば、さっさとこの街から出ていってほしい。その隠しきれない本音が言葉の端々から漏れている。
それを察するかのように景総は苦笑いを浮かべる。
「そろそろこの祭りを終わりにしようと思ってな。ちと下準備をしてきたわけよ」
「下準備?」
「まあ茶でも飲みながら話そうじゃないか」
「ふはぁ。やっぱりこのお茶美味しいですね」
「だろ。自慢の茶葉だからな」
「…………」
景総が土産として持参した茶菓子を意地汚く頬張っているロウを放っておいて、右流辺は目の前の熊男を睨む。
何を考えてるのかわからないが、この賞金首騒ぎのなかで唯一右流辺まで辿り着いた男だ。
他の賞金稼ぎ同様に右流辺の首を狙う存在であれば、一番油断のならない相手になる。
「どうやってこの騒ぎを抑えるんですか? まさかまだ俺を賞金首と疑ってるんじゃないでしょうね?」
「いやいや。こいつが解決してくれるわけよ」
景総が作務衣の懐を弄ると見覚えのあるものが取り出される。
「……それって」
「ししし、神竜の鱗じゃないですかっ!!!」
右流辺とロウは目の前に取り出された神竜の鱗に声が上擦る。
白色の鱗。
右流辺が生死の境をさ迷うような目に会いながら手に入れたあの神竜の鱗と全く同じものが今、二人の目の前に置かれている。
その結晶体のような鱗を前にすると一度は三途の向こう側に足を立てた苦い思い出が、右流辺のなかに否応なく思い出される。
「よくできてるだろ」
「よく……できてる?」
景総の含みのある言葉に右流辺はその鱗を手に取りまじまじと見た。
あらゆる魔力を用いた魔導を無力化する千元導竜の鱗。手に持ったそれは形こそ同一のものだが、確実に似て非なるものだ。
「贋物……なのか?」
「おっ、勘が良いな。触ってもなかなか区別のつかない代物に仕上がってるって話しだが御明察よ。やっぱ本物を手に入れた奴にはわかっちまうのかね」
「何となく贋物っぽく見えただけで、本物なんて知らんよ。ほんとうだからな」
「わかった、わかった。まあとにかく、そいつは市場に流れた神竜の鱗そっくりに作らせた贋物よ」
「わわ、私にも見せてください!」
慌ただしく奪い取るようにロウは右流辺から鱗を受け取ると右から左から、上から下から見つめるが、眉を八の字にして首を傾げる。
「なるほど。これは確かにニセモノですね」
「判別ついてのか?」
「全くついてないです。でも景総さんが嘘を吐かないと信じてます」
「ははは。面白い嬢ちゃんだな」
根拠薄弱な言葉を何一つ疑わずに言い切るロウを景総は笑ってみせた。
「さすがに直に手に持つと分かる奴にはわかるだろうけど、遠目ならばほとんどの奴には判別つくまいて」
手に持てば右流辺も僅かながら違和感を覚えたが、肌で直に触れず遠巻きとして見る分には、右流辺が手に入れた神竜の鱗と見紛う。
偽物としてはあまりに精緻に作り上げられている。
「それで、その贋物を使ってどうやってこの祭りを治める気なんですか?
振り上げた武器はよほど納得できる理由がない限り降りることないのは人類史が証明してますから」
肝心なのはそこだ。
「まあこの贋物を本物として買ってもらうわけよ。俺が手に入れたってことにしてな」
「詐欺だ」
「詐欺ですね」
「まあ普段なら騙される方が悪いってのが定説なんだが、今回はちと使い道が違うからな。
事前に贋物だと知ったうえで買ってもらう」
「それで?」
話しの続きを催促をする右流辺に対して景総は一息入れるかのように茶を飲む。
「前回の鱗も今回の鱗も俺が手にしたことにすれば周りも納得せざるをえまいな」
「……なるほど」
景総の言っていることを噛み砕くように右流辺は腕を組んで二度頷いて見せてから呟くように声を漏らす。
確かにそれが通れば、この一件の鍵となっている正体不明の賞金首の『正体不明』の部分が消えるだろう。だがゆっくり一分考えるともう一つ問題点が如実に浮かび上がる。