02-06
「探してるモノがここにあるのはわかってるから」
「とはいってもうちは召喚石くらいしか売りものはないですよ。それをお買い求めじゃないってことはやっぱり勘違いかなにかじゃ──」
「ん~……」
「わわっ!!」
熊男は腰を曲げるとぐっと顔を近づけ、その黒光りした鼻をロウの後頭部に突き付ける。ちょうどつむじに当たる部分に男の湿った鼻が触れる。
その感触ににロウは思わず背筋が震える。
あまりに突然のことだ。予想などできようはずもない。
「すんすん」
「ななな、なんですか!?」
両の兎耳の間に男は鼻をつけ動かす。その感触が伝わってきたロウは思わず情けない声がこぼれる。
「不躾ながらすまんね。ちょっと確認したんだ」
いつまで匂いを嗅ぐのかとか思えば不意に熊男の鼻が離れる。
不気味な毛の感触を払拭するかのようにロウは後頭部に触れながら熊男を睨みつけた。
「探し物はお嬢ちゃんじゃないみたいだ。だけども探し物の匂いは微妙にするな。この店で合ってるはずなんだが……」
「何騒いでんだ? 召喚石の売り買いでそんなに大声出すことなんてあるのか──熊のお客さんか」
野生で生き抜くために天然の鎧と進化を遂げた硬質な毛に覆われている熊。それも右流辺が知る限りでは人類が対面して無事には済まないほどの巨躯。
「しかも熊が作務衣を着てらぁ」
しかし、一度街に出れば様々な種族たちが闊歩している。外見一つでも千差万別であり、骸骨として生を謳歌する者もいれば、既に体などなく幽体として闊歩する者達もいる世界だ。
今更少々大きいだけの熊が客として訪れようと驚きはしない。
「こんにちわ」
「こ、こんにちわ」
──おまけに喋ってる。熊と会話するときがこようとはついぞ思わなかった
夢見る少女ならば熊と会話できるこのワンダーランドの如く素敵体験に大層な感慨も覚えただろうが、世俗に塗れて明日の飯の種を探すことに必死な右流辺からすれば異形なれど他人の見た目など毛程も興味がわかなかった。
「んで、その熊のお客さん相手に何を騒いでたんだよ」
「ん? すん」
清潔感のない蓬髪めいた青年の黒髪に熊男は逡巡もなく顔を寄せて鼻頭が動かす。
「すんすん」
「なな、なんだよ?」
「あっ、それ私もやられましたよ」
突然のことに右流辺は思わず上擦った声を聴いて、先達とでも語るかのようにロウは誇らしげに胸を張る。
密着する熊男からはどこか抹香の匂いが漂う。幼き日の祖父母の居た部屋を彷彿とさせる香りに右流辺は遠い郷愁を感じてしまう。
いまや戻ることができなくなった遠い世界の思い出。
「すんすんすんすん………………」
そんな郷愁の念も吹き飛ぶほどに熊男はその鼻頭を動かし右流辺の頭部を嗅ぐ。
「い、いつまで嗅いでるんだ? そんなに匂うのか?」
「……………………当たりだ」
「へっ?」
ぼそりと呟かれたその言葉は右流辺やロウには聞こえなかった。
ただすっと熊男は右流辺の頭部から鼻を離すとゆっくりと右流辺に視線を合わせる。
「やっと着いたか。
あんたが神竜の鱗を手に入れたって言う人か」
「……………………どこのどなたか存じませんが人違いでごぜえませんか? ここにおわすわ、右も左もてんでわからん田舎者でごぜえます」
「こんな得体の知れない者に突然こんなことを言われても頷くわけない話だ。どれ、お茶にでもしようじゃないかっ! 故郷の茶葉を持っているから」
熊男は陽気な笑みと共に肉球を合わせるように掌を合わせてみせてから作務衣の内側から市松模様の巾着袋を取り出して見せる。
「ごくん……ぷはぁ! 美味しいですね。このお茶。なんとも滋味深くて」
気が付けば右流辺、ロウ、熊男。そしてガンドルノアの四人で小さな卓を囲むようにして茶を飲んでいる。
残念ながら椅子は二脚しかないため右流辺とロウが腰をかけ、熊男は床に胡坐、ガンドルノアはベッドに腰を掛けて全員が一様に茶を啜っている。
「滋味深ぃ? 何を食っても旨いとしか言わない奴に茶の味なんてわかるのか?」
「あっ! 今私の事を馬鹿にしませんでしたか!?」
「馬鹿にしたんじゃなくて事実を言っただけだ。何食べても、何飲んでもお前から『美味い』って表現以外は聞いたことないぞ」
「なんでも美味く食べられるの大いに結構じゃねえか。生物としてはエネルギーの摂取方法が多いのは優れてる証拠だ」
「そうですよね。右流辺さんよりも私の方が色んなもの食べられるんですから生物として優れてるってことですよ!」
ガンドルノアの言葉に便乗するかのようにロウが勝ち誇った顔で右流辺を見た。
確かに右流辺の持つ消化器官に比べればロウの消化器官は遥かに優れたものを持っている。それはこちらで寝食を共にすることで嫌と言うほど身に染みた。
右流辺の元居た世界では『ゲテモノ』と扱われる食材ですら、ロウの胃袋にかかればノープログレムで入っていく始末だ。
ロウに合わせて同じ物食ったが最後、翌日は起き上れないほどの腹痛に見舞われたり、嘔吐と下痢に苛まされたこともある。しかし、こと味覚に至っての優劣と消化器官の優劣は全く関係ない。
「生物としてはいいけど俺からしたら要は悪食なわけだ。美味い不味いの判別以前に食える食えないの二極化で大別してるだけだろ。実のところ味なんてわかってねえだろ」
「……うう。そんなこと言うなら右流辺さんはお茶の味がわかるんですか?」
「そらあっちの世界にも茶があったからそれくらいは基礎教養だ……どれ」
さきほどまでの勝ち誇った表情はなく、ただ恨みがましいようなロウの視線をよそに、右流辺はずっと音を立てて茶を啜る。
「…………………………芳醇な香り。見える! 田んぼで茶積みをするジジババの姿が! 人の手で丹精込めて作られた段々畑が見えてくる。
澄んだ水は張り、風が田園に波を作る。そんな風景が」
「……お茶ってそういう畑で作られるんですか?」
「いや。私の故郷の茶葉は全て魔導機器が土から配合して生んでるから畑とかは無いのですが────」
「ごほんごほん! とにかく一体全体どちら様なのか聞かせてほしいもんだな」
「あっ、誤魔化した」
「うるせえな。関係ないことをいつまでもうだうだと話してらんねえだろうよ」
熊男は啜るように飲んでいた茶碗から口を離して三人をぐるりと見た。
まだ得体こそ知れないが奇妙な三人組だ。 一人は間違いなくこの召喚屋の店主であり、若く妙齢の女性だ。少々気の抜けたところはあるが気は良さそうだ。
そして残り二人。
熊男の知識や経験を総動員してもその正体を図ることが出来ない。
一見すれば何のことはない青年と少年だが、両名は共通して酷く不気味な気配を放っている。まるで見えない『ナニ』かで楔を打たれ繋がっているような。その正体へ憶測だけで辿り着くことができない。
──互いに共通の会話や経験を繰り返すなかで信頼を確立していくもんだ。初対面で警戒するなって方が無理なもんだな。どれ──
「さきほどはいきなり失礼した。
私の名前は景総。こう見えても赤ギルドのマスターをやってるもんだ。ほいこれ。名刺な」
──赤ギルド?
いまだに知らないことばかりの異世界だ。右流辺からすれば日常用語すらままならない。そういう場合は──
──とりあえず聞くか
「あ、ありがとうございます」
「はい、お子さんにも」
「誰が子供だ。俺様はお前らと生きてる時間が五桁は違うぞ」
「可愛らしい冗談だ。そして、君にも」
「へえ。こりゃ名刺だわ」
名刺を爪先で器用につまむと景総は丁寧に配っていく。
手渡された名刺は左から見ても右から見ても『名刺』だ。それも右流辺が知るところの名刺であり、見慣れたフォントで名前、所属、果ては連絡先まで簡潔に記載されている。
余計な洒落っ気を覗かせるイラストなどなく、文字のみによるこれ以上ないほどの単純なもの。
「ちなみに赤ギルドってなんだ?」
「本、読んでてそんなこともまだわからないんですか? 知らないことを人に聞くときはぁ……教えてください、ですよね」
「むぐっ!」
「むふふ。さっきのお返しです。天網恢恢疎にして漏らさずってやつですかね」
「意味わかってんのか?」
「さっぱりっ!」
「喧しい連中だな。ゆっくり寝ることもできやしない」
勝ち誇るロウに対して右流辺は俯くとすぐさま胡坐をかいて二人のやり取りを眺めてる景総を見た。
「赤ギルドってなんですかね?」
「赤ギルドっていうのは──」
「あっ、ずるい! 他の人に聞くのはズルくないですか!? 私だってきちんとお願いしたのに」
「やかましい。咄嗟に機転を利かすのは大事な才能だ! んで赤ギルドとは?」
「赤ギルドってのは、ギルドの種類を色で表したもんだな」
「へえ」
日常生活のなかで団体と言う単語を幾度となく耳にしているが、元の世界へと戻る方法を探すことばかりに必死で積極的に自分から調べることはなかった。おかげでこの始末だ。
「戦闘を軸に活動しているギルドは赤。
魔導開発、研究が緑。
商売、流通が青ってな具合で三色にわけられてるんだ」
「赤、青、黄とは……まるで三原色だな」
「サンゲンショク? 基本的にはこの三つで大別してるかな。もちろん赤ギルドでありながら商売に精を出すギルドもあれば緑ながら戦闘活動が著しいギルドも少数ながら居るがな」
この世界のありとあらゆる部分でギルドは存在している。
それこそ右流辺達の拠点となるこのラフールで日常生活を送るうえで視界の端に嫌でも映りこんでくる。
「そんじゃ景総さん、あなたのところは赤だから……えっと、戦闘を主に活動してるギルドってことで」
「だな。まあ最近は後進の育成ってやつが忙しくって俺自身はそんなに大きな仕事はこなしてないけど。それに片田舎のギルドだ。都市に籍を置く大手に比べたらそこまで活動的なもんじゃないしな」
「なるほどなあ」
この異世界で魔窟を武を以て攻略する者達を十把一絡げに『戦士』と称す。たぶんこの熊男もその枠にいる存在だ。
事なかれ主義の右流辺としてはあまり近づきたくな種類にカテゴライズされた。