02-03
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「それで神竜の鱗の出所は掴めましたか?」
長い足を見せつけるように組んだ蛇顔の男は二又に裂けた舌先を覗かせる。
高いヒールが目立つ革靴に、既製服でおよそ扱わない希少資材とそれを扱える職人の時間をあますことなく注いだ、ビザーチの身分を証明する藍色のスーツとベストのスリーピース。
ときに商人であり、場所によっては紳士であり、場合によっては荒事を更なる荒事をもって解決を図る者となるラフールの顔役、ビザーチ=アングリモを象徴する出で立ちだ。
空挺商団を抱え、あらゆる場所で商売を行い集めた調度品が、所狭しと並ぶ室内でビザーチは深いため息のような声で、入口を背にして立つ屈強な男に優しく語り掛けた。
表では幾多もの魔導空挺を用いて交易を行い、裏ではこの街で起こる荒事を一手に請け負うほどの強力な私兵団を抱える男の瞳は、優しく語り掛けられた声とは裏腹に冷たく鋭いものだ。
「いえ! ま、まだです!」
ビザーチの体格の倍はあろう男が、人情味を持たないその声に背筋を伸ばし叱咤にも近い胴間声で返事をする。
大男の銀色に輝く甲冑に覆われた全身をビザーチの不気味に張りつくような恐怖が締め付ける。
「出所はやはりこのラフールの街と言うことまでは特定できましたが、何者が入手し、市場に流したかは現在鋭意調査中です」
「ふぅ。そうですか……いまだ手がかりは掴めませんか」
「て、手がかりとなり得るかはわかりませんが、このようなものが神竜の巣で見つけられました」
大男はどこからともなく一冊の本を取り出すと、一歩前に進みビザーチへと差し出す。
本を受け取るために伸ばされた鱗の目立つ手が。ビザーチに抱えられた傭兵として荒事処理任され、空挺団すらも指示する立場にある男、ロッカル=ビーノはその手に寒気を覚える冷や汗が浮かぶ。
だが、それを顔に出すことはない。
鍛え上げられた精神に呼応するかのように、恐れる心をおくびにも出すことなく対応してみせる。
「神竜の巣に落ちていた比較的新しい魔導書です。ただそれが、件の者とどう関りがあるかはいまだ不明ですが」
ビザーチは片手に持った灰色無地の本をまじまじと見た後に一つ頁を捲る。
「白紙……ですか……」
始まりから終わりまで、本の中には一文字として刻まれていない。白紙の頁だけが綴じられた魔導書。
「召喚獣でも封印していた魔導書ですかね?」
魔導蔓延るこの世界において『本』はただの情報伝達の道具に収まらず、召喚獣や魔導を封印するための魔具でもあり、封印した力を使役すれば本は再び白紙へと還る。
「そこについては判辺できてません。
それから神竜の巣へと赴いた調査団からの報告ですが、巨大なナニかが巣となる洞窟を貫いた形跡があった、とのことです」
「ナニかとは? 巣は千元導竜の力で魔法の使用は一切禁じられている空間ですよ。爆発物かそれに値するものですか?」
「そ、それも調査中ですっ! ただ、破壊された痕を見る限りではだいぶ指向性の強い衝撃を放ったような……周囲を壊すことなく一点を貫くような」
肝心なところはわからず、憶測混じりのような不安定な回答にビザーチはこれ見よがしの溜息を吐いてみせる。
「………………そうですか。わかりました」
大男の歯切れの悪い解答。
予想はできていたが、神竜の鱗を入手した人物を特定できる決定的な証拠は何一つない。
「では引き続き調査の方をお願いします。こちらの魔導書は少々預からせて頂きます」
「は、はい! 定時報告は以上となりますので退室させていただきます!」
大男はその身に反した俊敏な動きで踵を返し甲冑を鳴らしながら規則正しい動きで部屋を出ていく。
「白紙の魔導書……魔法ではないナニかによる破壊……神竜の鱗……根生いの者が少ないこの街であまり派手な動きをされると統率が取りづらくなりますね」
魔導船団を所有し、様々な国家や大陸を分け隔てなく交易を行うビザーチの拠点となるこの『ラフール』と言う街が、表層化こそしてないが様々な者達から今、注目を浴びている。
神竜の鱗。それもあらゆる魔導を無力化する千元導竜アパロアの鱗が市場へと出回ったことなど、ビザーチが生を受けてからはや五〇年、一度としてなかった。
様々な組合が密かに、それでいて確実に、アパロアの巣となる魔窟から最も近いこの田舎街を対象として、討伐者の調査を行っている。
「頭が痛くなる話しですね」
ラフールの街を硬軟使い分けることで仕切り顔役となっていたビザーチの元へも様々な報告、または揉め事が舞い込んでくる。
正式に調査の申請を届け出てから訪れる者もいれば、面倒の手続きなどせず礼節もなく土足で上がりこんでくる者。はては金さえ渡せば手段を問わない調査方法に踏み切るならず者達。
神竜の鱗が出処不明のまま市場に流れこの数日でラフールの街はその光景こそ変わらないが、奸計、謀略の渦が生まれようとしていた。
既に、申請なく、およそ街の治安を乱す存在を数名拿捕しているが、それぞれがそれぞれ別の依頼で動いているときたものだ。
一体どれだけの者達が調査のためだけにこの街へと訪れてきているかわからない。ビザーチの頭痛の種としては十分だ。
「一匹見たら一〇〇匹とは虫のような歯痒い存在だ」
だが、良くも悪くも人の流動が激しくなった現在のラフールでは市場が活発化していることも事実だ。
そしてそれを隠れ蓑として潜伏している輩もいる。
世間がそれだけ神竜の鱗を手に入れた者の特定に躍起になっている証拠であり、なかには懸賞金をかけて表立って人狩りを企てている連中の気配もある。
──一長一短か……
高利貸に魔導船団の運営に加えて市場の仕切りも一手に担っているビザーチの処理能力の限界を試すかのように、日を追うごとにあらゆる側面で街が活発化していく。
人形のように浮かべていた笑顔を僅かに歪ませたビザーチはスーツの内ポケットから一枚の封書を取り出す。
使い古された紙には差出人となる組合の証となる印がきっちりと押されている。
いまや口伝する者すら聞かないほどの伝統的な製法で生み出された魔導古紙に、象徴となるエンブレムが押されている。
特徴的な緩やかに反り返った二本の刀の刀身を交差したもの。その紋様を飾るギルドがビザーチの脳裏に浮かぶ。
──ごく少数で東方の彼方の地を治めている赤ギルド『日出』
封書を前にビザーチの眉に一層深い皺が出来る。
既にこの田舎街は実業家であるビザーチ一人では収拾のつかない領域へと突入を始めていた。
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「な、なんですか? 今の光?」
二人が部屋を覆う深緋色の輝きに目が慣れた頃に光は再び指輪へと吸い込まれるように消える。
状況をいまだに掴めていない二人は顔を見合わせた。
互いが互いに『マヌケな顔だなあ』と思ったところで我に返るように同時に突然輝いた指輪を見た。
「その指輪から急に光が出てましたよね。何で出来てるんですか?」
「俺が知るか。急に光りやがって──」
「お前の血を貰ったからだ。って言うか使い方教えてなかったか?」
聞き慣れない声に右流辺とロウが思わず声の方を見る。
右流辺が買い込んだ本とロウの召喚材料が散らかった床に胡坐をかいて座る少年がいる。
切り揃えられた涅色の前髪を左右にわけるように額から立派な一角を生やした幼い少年であり、なによりもその体は一糸纏わぬものであり、ロウは思わず股間に視線が向く。
「……ツルツルオチンチン」
「どこのどちら様だ? 勝手に人の家に入りやがって。育ちの悪そうな顔しやがって」
「……ここ右流辺さんの家じゃないんですけど」
「どこからって元々居たさ。お前さんの体の中にな。この間アパロアの野郎から助けたことをもう忘れたのか?」
不遜な態度で笑みを浮かべる少年を前に右流辺は腕を組み首を傾げ、異世界に来てからの日々を洗いざらい思い出す、が──
「記憶にねえな。真っ裸のガキに命を救ってもらったことなんて。
神竜の鱗を手に入れるときに力を借りたのは額にド派手な角を持った大鬼の────」
少年の額から生えた一角を前に右流辺の言葉が途切れる。見覚えのある角だ。
「もしかしてあの時の大鬼かっ!?」
「察しの悪い奴だな。俺様のこの立派な角を見たらわかるだろ。お前さんの血と融合した皇灼鬼だ」
「えらい可愛らしい姿になってんじゃねえか」
アパロアの鱗を奪う際に、瀕死になった右流辺の血を贄に捧げることで魔導書から呼び出された太古の神『皇灼鬼』だが、今の姿に大鬼としての畏怖すら覚える姿の面影は皆無だ。
かろうじて額に生えた一角のみが原型で残っているものの、その姿は童そのものだ。
「………………」
一切隠すことのないその裸体をロウに続いて右流辺もまじまじと見た。その容姿にどこか見覚えがないわけでもない。
見ていると不思議と郷愁の念が沸き上がる。別に変な趣味に目覚めたとかそういう話しではないと信じたい右流辺は、大きく頭を振る。
「ちょ、ちょっとちょっと! 二人だけで盛り上がってこっちは何もわからないんですよ。蚊帳の外は酷いじゃないですか。私も混ぜてくださいよ」
まるで状況がわからないロウが二人の会話に体ごとねじ込んでくる。
「なにって………………」
何から説明すれば良いものか、右流辺一度頭のなかで整理する。そのうえで──
「すげえ説明が面倒だから嫌だ」
と答えを出した。
「教えてくださいよ!」
「説明を求める態度がなってない。
下手に出るときはお願いします、くらいは言わないとな」
「ぐっ……性格悪いですね。ちなみにここは私の家ですよ」
「お、脅す気か? そんなことで蚊帳の外のまんまでええのか? このガキの正体もわからないままだぞ」
「むぐっ………………お、教えてくれませんか?」
「よろしい。そこまで聞きたいなら教えてやるよ──」
渋々とこぼれたロウの嘆願に、勝ち誇って語りだす右流辺の顔を見ながらロウは密かに──
──転移の福音でひょっとして『性格最悪』とかおかしな能力でも貰ってんじゃないのかな
など考えてしまう。