02-02
「一応言っておくけど今日は曇ってるぞ。
期待はしてなかったから別にいいけど、この件に関しては自分のペースで調べていくしかないな」
固まっているロウを前に右流辺は再び本を開く。
この世界で用いられている言語は一〇〇にも万にものぼるが、幸いなことに右流辺がこの異世界へと召喚された際に与えられた転移の福音は、数多の言語を翻訳いらずで理解できるものだった。それは会話であり、文字であり、時に音ですらも声となって聞こえることがある。
できることならば元の世界に戻るための能力が欲しかったが、右流辺からしてみれば無いものを今更ねだっても事が好転することはない。
「……シンケツ……コンゴウ、ってなんですかそれ?」
きょとんとしていたロウが再び動き出すと右流辺の開いた本を覗き込む。
頁にはおよそ幼少期に習うような魔導の基本が小難しく書かれている。
「聞いてるのは俺だぞ。知るわけないだろ」
「じゃあどこからそんな言葉を知ったんですか?」
「あ~……説明が面倒だな」
右手の中指に輝く黒を含んだ深緋の輝きを持つ指輪。
右流辺が神竜の鱗と同時に手に入れたアイテムだ。
神竜の鱗を得る際に右流辺は確かに、創世期に暴れまわったと呼ばれた『大鬼』の力を借りた。
満身創痍なうえに途中で記憶もぷっつりと切れているが、それだけははっきりと覚えている。
額に一角を携え畏怖を覚えるほどの迫力を持つ大鬼。その顔は忘れように忘れることができるはずなかった。
だがそれを現場に居ないロウに対して説明するのが酷く面倒であり、億劫だ。
「俺も詳しいことがわかってないから何も言えないけど、テキトーに話すと、その『神血混合』についてわかれば魔力のない俺でもすんごい力を使える方法がわかる、かもって話だ」
「……それって禁術のことじゃないですか?」
「禁術?」
右流辺は大きく首を傾げてみせる。
この異世界と言うとびきりのファンタジーの世界を囲む魔術以外の力をまだ右流辺は知らない。
「えっとですね……よいしょ」
平坦な胸に指を入れるとロウは、丸く削りだされた水晶を取り出す。
指先でつまめるほどの大きさのそれをおもむろに机に置く。
「これを右流辺さんだったらどうやって動かしますか?」
「このビー玉をか?」
「ビー玉? 魔石ですけど」
「そらこうやって、で良いんだよな?」
ロウが出したように指先でつまんで持ち上げて見せる。
ロウの肌に収まっていただけに気持ち悪い生暖かさを指先に感じる。
「オッケーです。それじゃ置いてくださいな」
「ほれ」
「それじゃあ私が……風の鳴く声」
「おおっ!」
ロウの掌から放たれた青き輝きが小さな旋風を生む。
開いた本の頁を揺らす程度の僅かなものだが、机に置かれた魔石がゆっくりと風を受けて転がる。
日常の光景に魔導の馴染んだ世界だが、目の前で見ればやはり感慨深いものがある。
物語などで読んできた『魔法』そのものであり、自分がそんな絵本のような世界に飛び込んでしまったことを実感させる。
「初心者の私だとこの程度ですけど、これが魔導ですね。
体術は体力で、魔術は魔力。禁術はそれ以外の代償をもって使う術のことを雑に纏めた総称としてることが多いですね」
「禁術って、なんか聞こえが物騒だな。代償とか」
「そんなことないですよ。魔術ほど一般的な術ではないですけど、今でも使ってる人は少なくないですからね。
条件や代償が厳しくなるに比例して効果もけた違いになるらしいですよ。具体的にじゃあ何が出来るかって聞かれると私も知らないんですけどね。ひょっとして右流辺さん、魔術は使えないけど、代わりになんかすごい禁術が使える……とか?」
「たぶん心当たりがあるな」
神竜の鱗を手にしたときに借りたであろう大鬼の力は、ロウが言うところの『禁術』に該当する。
というかほぼ確定だろう。
「やっぱり私が召喚したんですし、只者じゃないと思ってましたよ。いや、これほんと」
勝ち誇った笑みを浮かべ腕を組んだロウは何度も頷いてみせる。
そんな素振りを微塵も感じたことなかっただけに右流辺は思わず呆れた表情を浮かべる。
「それじゃあ頑張って本読んで調べてください。
もしかしたら元の世界に戻れるかもしれませんし」
「ん? 何言ってんだ?
お前も協力するに決まってんだろ。ほれ。この本の半分はお前の分だぞ。俺と一緒に探すんだよ」
「へっ?」
机に積み上げられた本の塔。それをきっちり半分、右流辺はロウの方へとずずいっと差し出す。
「なな、なんでですか!?
私は別に関係ないじゃないですかっ!!」
「関係ないわけねえだろっ! 誰のせいでこの世界に召喚されたと思ってんだよ!」
「うぐっ! わわ私のせいじゃないですよ! そりゃ召喚したうえに元の世界に戻れないのは少しは悪いと思ってますけど」
「これだけの事態になってて罪悪感は『少し』程度とはずいぶんと見逃し難い言葉だな。それじゃあ聞くけど、俺がこの世界に召喚されて元の世界に戻れなくなってるのは、一体全体誰のせいだって言うんだ?」
「そ、それは……私に仕事を依頼した……ビザーチ……さん……のせい……なんじゃないですか……たぶん」
若干涙ぐんだロウのかろうじて出た言葉は次第に小さくなり、最後はまともに聞き取ることもできない声量となっていた。
「……責任転嫁が凄まじいな。まあいいや。
とにかくだ。俺が元の世界に戻れるか──いでっ!」
本を手に取り開こうとした頁の端に指先が微かに触れると同時に鋭い痛みが走る。
次第に熱を帯びた傷からじわりと線となった血が膨れ豆のようになる。
「ありゃ、指切っちゃいましたね。ちょっと待ってください。確か絆創膏が……この辺に……」
──この世界にも……絆創膏はあるのか
ロウは椅子から腰を上げると部屋の片隅で四つん這いになる。
右流辺はいまだこの異世界が理解できない。なにもかもが知らないもので囲まれてるのかと思えば、時折右流辺の知っているものも存在する。
実に謎だがなぜか『ピザ』は存在していた。実物は吟味すれば右流辺の知っている『ピザ』とは大きくかけ離れたものだが、確かにピザと呼べなくもない物質だった。小麦を練って広げた土台の上に色々な具材がアトランダムに置かれ窯で焼きあげられる。
味は右流辺の居た世界とはまるで違うが見た目はそれに近かった。
理解に苦しむ世界だ。
「お~い。絆創膏はまだか? こぼれちまうぞ」
「ちょっと待ってくださいよ。あれ~、この辺だと思ったんですけど。おっかしいな~」
まるで緊張感のない声で小気味よく尻を振りながらロウは魔法具の山を弄るが、一向に目的のものは見当たらない。
表面張力で豆のように膨らんだ血が形を崩し指先を伝い流れてくる。
「ととっ」
指先から第二関節へとぬるりと流れていく血が指輪を舐めるように湿らせてる。
「あっ! ありました~──へっ?」
「ふぇっ!?」
小箱を片手に握って勢いよく立ち上がるロウ。こぼれた血に汚れていく指輪を見つめる右流辺。そして作業場兼生活空間となっている一〇畳ほどの部屋。それらが指輪から放たれる深緋の輝きに包まれる。