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木陰(モア)05


 感傷にひたりかけた時、ノックの音がして扉が開いた。

「失礼します」


 入って来たのは、黒い礼服を着た執事だった。

 灰色―・・・いや、銀髪の小柄な老人だ。


「お呼びでしょうか、お嬢様」


 恋人は瞬き、

 私は首をかしげた。

「いいや?」


 執事は困惑。

「しかし、先ほど呼び出しのベルが・・・」


 私達は顔を見合わせた。


 こちらの国では、使用人を呼ぶ時にハンドベルを鳴らすのだ。

 どうやら執事は、風鈴の音をそれと間違えたらしい。


 思わず私が吹き出すと、彼女もくつくつと笑い出した。


「あの・・・、お嬢様?」


 私の『恋人』―・・・彼女は片手をひらひらと払うと、テーブルに突っ伏して笑顔を隠した。


「・・・さがっていい・・・」

「はぁ・・・失礼いたします・・・」


 静かに扉が閉まったあとも、妙にツボにはまった私達は笑いを噛み殺していた。


「これじゃあ、窓に下げられないよ。使用人達がかわいそうだ」

「まったくだ」

「グラスにしてワインでも飲もうか?」

「それで?」

「そう。ひっくり返して」

「バカか」

 私は笑った。

 恋人もしばらく、目に見えて機嫌が良かった。


「ワインなら、うちのグラスで飲んで行け」




 天候は崩れ、

 小雨が降り出した。


 冷えて湿った空気を感じながら、彼女の家で夕飯を食べる。


 螺旋を描く蝋燭の炎の向こうで、彼女の姿が見える。

 落ちぶれたと誰に言われようが、高名貴族。

 テーブルマナーは完璧だし、何気ない仕草に躾の良さが見て取れる。

 彼女を見つめていると胸がいっぱいで食が通りそうもなかったが、また具合が悪くなったと思われるのも嫌なので、無理をして口に運んだ。


「口に合うか?」

 

 彼女の質問に笑顔で答えることに成功したが、

 本当は味なんて感じていなかった・・・。


 食事が終わる頃―・・・

 それを待っていたように雨がやんだ。


 夕涼みをしよう、という話になって、二人で中庭に出た。


 彼女の家の中庭は、こちらの方が維持費を心配してしまうような広さを誇っている。

 長椅子と小池がある場所とは少し離れた、垣根の迷路に近い、石畳の遊歩道を歩いた。


 世界はしっとりとした空気に満ちている。

 清浄な風が彼女の髪を、

 肌を、

 なでていく。


 分厚い雲はどこかへ行って、今は青白い星が見えた。

 月が顔をのぞかせている。

 石畳の道がぬらりと照り、黒く光っている。

 明かりは屋内からもれる僅かなものと、彼女の持っているランプ型の電子蛍光灯だけだ。


 彼女は珍しく、鼻歌を口ずさんでいる。

 近くに咲く青紫色のアジサイを指で弾き、滴が落ちるのを見て遊んでいる。


 静かだ・・・


 可憐な虫の歌声と、

 ドレススカートがひるがえる衣擦れの音、

 二人の足音・・・。

 

 ふと、彼女が笑みを浮かべたまま振り返った。


 思わず、微笑み返す。


 彼女は上着のたもとに片手を入れると、小さな箱を取り出し、それを私に差し出した。


「これは・・・」


 二枚貝のような構造の蓋を開けると、そこには銀色の指輪が入っていた。



 彼女の顔を見ると、少し恥ずかしそうに笑っている。

 豪華な宝石が付いているわけではないが、気品がある。

 宝石商にすすめられ、言うがままに購入したものではない。

 すっきりとしたデザインが彼女らしくて、考えるのに時間をかけてくれたのだと自然と分かる。

 指輪の内側に、彼女の名前が彫ってあった。

 なるべく冷静を装って聞いてみた。

「・・・くれるの?」 

「ああ」

 指にはめてみる。

 ぴったりだ。

 どこで調べたのだろう?

 かなり、嬉しい。


「私から名前を捧げたかったんだけどなぁ」


 彼女は意外そうな顔をする。


「なんだ。そっちからくれる気があったのか?」

「え?」


 彼女は照れくさそうに顔をそらした。




 指輪の内側に名前を入れることは、とても深い意味がある。

 こちらの宗教や思想、小さい頃の戒めや迷信上、とても重要なことだ。

 異性にプレゼントするのが趣味習慣の者でも、めったに名前を刻むことはしない。


 曲がりくねった石畳の道は、周りに植えられた背の高いアジサイのせいで向こう側が見えなくなっている。

 彼女はそちらの方へ進み、姿を隠してしまった。


「・・・・・・」


 微笑。

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