<1-2>努力は未来への投資、らしい。
「何食べたい?」
家を出て鍵を閉める、そんな一連の動作を終えたあと、僕は春花にそう尋ねた。
春花はうーんと可愛く少し考える動作をすると、パスタ! と答えた。春花がパスタという時、それは例外はなくナポリタンのことである、これは幼い頃からのくせで今更言い換えるのはめんどくさいなどの理由で浸透していったものだ。
僕はおっけーと返事をすると、春花はまるで人が変わったかのようにやったー! と大きな声で手をバンザイさせて言った。これもまた変わらない幼い頃からの決まった動作だ。
春花は特別、僕の作ったナポリタンが好きだったからだ。
「今日はコーマのパ・ス・ター! 今日はコーマのパ・ス・ター!」
一般人には見えないからと言ってそんな恥ずかしげもなく道の真ん中で大きな声で歌っているのは本当に嬉しいからなののだろう。1週間に一度のペースでナポリタンを食べているくらいに大好物であるナポリタンを、コーマの病みと療養で3ヶ月も食べられなかったのだ、こんないつも以上のハイテンションを見せるのも今日が初めてだった。
こんな日々もいいな。僕は確かにそう思っていた。
ここは特別涼しい場所に位置しており、桜の咲く季節がちょうどこの頃、5月の初めである。満開な桜並木をハイな春花とてくてくと歩く。お腹は空いていたが、体力のリハビリということもあり家から1個だけ遠いスーパーへと行くため、この桜並木はあえて通ってきた。春花は心ここに在らずな状態ではあったが、僕はささやかなデートがしたかった。何せずっと一緒にいたのだが、ずっと一緒=デートしないという結論には至らないのだから。
「桜、綺麗だな」
「ん? うん、そうだね。でも、コーマの方が綺麗で可愛いよ。」
春花のその顔は真剣であった。これは完全なる素、いわばデレを超越した素の落としモードに入っている。きっとハイになりつつもしっかりと僕との散歩デートであることを認識してくれていたのだろう。キャパは超えていたけれど、そして、僕のキャパも超えてしまいそうだけど。
「ずっと春花とこうしていたいな。」
余りもの嬉しさに、トキメキに僕はふとそんな言葉を零していた。この数ヶ月の出来事で、春花があまりにも尊く感じた、この手を離してしまったらどこかへ消えてしまうのではないかという不安が僕の心を締め付けていた。
春花は、ぎゅっと僕を抱きしめた。
「安心して、コーマ。私はどこへも行かないよ。私も同じ気持ちだから」
未だ僕は不安定なのだ。
春花が目の前で死んでしまったあの日から、僕の絶望はいとも容易く発動するようになった。他愛のないことで、すぐに悲しくなる。
目がぼやける、頬を液体が走り、嗚咽する。
「大丈夫だよ、コーマ。溜め込まなくていいんだよ」
大切な人の死は確かに人を壊すのだ。前進しても離れることの無い絶望の鎖、それが雁字搦めになっているから。
深い溝は、埋まりようがない。代替品で埋めようがその溝の全てが埋まる訳では無い。
「ありがとう。落ち着いた」
「なら良かった。ところで、コーマ。」
「何? どうした?」
「この桜並木、こんなに長いものだったっけ?」
言われてみれば、確かに長い気がした。それが心がここにはなかったはずの春花でさえわかった、本来ならば、五分も経たないうちに端から端まで歩ける長さ、たとえこの桜の1本1本を見ながら歩いていたとしても、体感時間があまりにも長すぎた。
「でもほら、あっちの方に見えるだろ? 端っこ」
後ろをふりかえってみると、この桜並木の端がしっかりと目視できる少し小さいが、今まで歩いてきた距離が距離だ、そのくらいの小ささにはなるだろう。
「考えすぎだよ。ほらさ、もう少しだよ頑張ろ」
「んー? そうかなー? 考えすぎ? 確かに長いと思ったんだけどなー?」
「きっと、早くパスタが食べたかったんだろ?」
「あー、そっか。」
僕は気にしないことにした。ぼやけた視界は確かに端を見ていた。聞きなれた、幽霊の声が耳に届くがそれも関係の無いことだろう、春花が幽霊は力を使うことは出来ないと教えてくれたからだ。
そこから数分歩いてスーパーにたどり着いた。ナポリタンを作る食材や、夕食、朝食、明日のお昼ご飯の分も買うと、パンパンになったエコバックを持って、元来た道を辿る。
「そんなに怪しいのか?」
桜並木、やっぱり春花は気になったのか、当たりをジロジロと観察しながら僕に着いてくる。あの時は気にしすぎと納得してくれたのだが、あまりにも不思議だったのだろう。
「ほら、なんてこと無かっただろ?」
「いや、やっぱりおかしい。何かが変だよ」
僕と春花は1キロ以上は離れることはできるが、離れたがらない。故に先に帰ってご飯の支度をしている間じっくり観察してていいよなんてことにはならず、僕はとりあえずそこで春花を待つことにした。
「力は少し弱まっているけど、力は使えるから守るくらいのことはできるかな……。まぁ、いいか。待たせてごめんね、コーマ。帰ろうか」
「もういいのか?」
「あそこには霊が取り付いているよ。でも、今のコーマには何も出来ないからね、万一の時に私も力不足だし。」
「確か幽霊は力を使えなかったんじゃなかったっけ?」
「私は例外として、力は使えないわ、基本的に。
もうひとつの例外は、場所自体に取り付いている本当の地縛霊の時よ。彼らはその場所を本体としているの、だからあそこは霊本体。体内なら幽霊の不思議パワー? 魂の力? みたいなもので不思議なことを引き起こすこともあるのよ。
見た感じ無害そうだから、とりあえず放っておきましょう」
「はぁん。奥が深いんだな……。おっ、到着だ」
と話しているうちに、家に着いていた。
「さてと、僕はパスタ作っちゃうからその間休んでてよ」
とりあえず、使わない食材は空っぽの冷蔵庫の中にしまって、僕は家事全般が壊滅的な春花が僕のために頑張って作ってくれた既製品と比べれば遥かに悪い出来のエプロンを付ける、少し手直しはしたのだが、これでもマシになった方だ。
「やっぱり僕の初仕事はあの地縛霊なのか?」
僕は料理の片手間、少し気になっていたことをなげかけた。
「いいや。地縛霊は上級の葬儀屋でさえ、あまり手を出さない、賞金が高額であっても。」
「強いとかなのか?」
「それもある。その理由はとても難しい。否、めんどくさいということなのだ。凶暴であれ、無害であれもう一度殺すという方法はでき無いに等しい。何故ならばあれは本体であり本体ではないから。」
「どういうことだ?」
「幽霊の中という表現をしたが、その言葉では少し足りない。正確に言うなら、あれは幽霊の魂の殻の中なの。だからここにいることはわかるんだけど決してどこにいるかは分からない。それが第1の理由、故に後残りを払拭してあげるのも困難なの。」
「第1の理由って言うからには、他にもあるわけだ」
そ。とだけ春花は告げた。
まるで全て言うのを躊躇っているかのように。
「とにかく、すんごい難しいわけ。どちらにせよ無害なんだから優先度はかなり低いから、残念だけどアレはずっとあそこにあるでしょうね。
その代わり、地縛霊は全てにおいて純度が限りなく高いの、地縛霊だったら10人くらいで事足りるかな」
「ふーん」
春花はリビングのソファーに寝っ転がって、質問に答えていた。とても彼女が幽霊とは思えないごく普通の生活の光景が僕の前で広がっているのだと思うと凄く嬉しい気分になる。
「他にも、例外の幽霊っているのか?」
「まぁ、何種かはね。
人間や物質に干渉できる種もいれば、神様や妖怪なんてのもそれの1種よ。それよりも、コーマ。」
「お、なんだ?」
「コーマ学校は行かないの?」
これでも春花は人前ではこんなふうに冷静沈着なクールである。コーマに関しては人一倍甘い、僕と話す時は春花は必ずどんな場所でもそのクールな皮が剥がれるのだ。裏表がなく両方が素なのだが。
「学校ね、行くよ。とりあえずひと段落着いたら。二人暮しってこともあって、家の整理も必要だし、しっかりと学校には連絡取ってあるから来週には復帰するというか、入学する予定だよ」
「勉強、大丈夫なの?」
「無勉強の首席殿、忘れてもらっては困りますがな? 僕一応高校分の勉強は既に勉強済みなんだよ?」
「あら、勉強狂のコーマは毎回2位だったかしら?」
天才の春花にはどうしてもほぼ全ての面において敵わないのだ、勉強狂と言われるほど勉強した記憶はないが、それでも1度くらい春花を負かしてやろうと中学の頃は意気込んでいた、教師も満点を抑えるかのように高校範囲をテストに叩き込んでくるが、それも全て勉強量でカバーしていた。
それが今救われた気持ちになった。
でも、そう言われると腹立つわけで…
「パスタ、ちょっと味付け変えちゃおうかなー?」
「あっ! だめだめだめ! わかったから私が悪かったーから、いつもの味でお願いします。」
「よろしい」
自分で吹っ掛けたはずなのだが。春花にいじられ続けているので特に罪悪感とかはなかった。クールな天才っ子がたまにこうやって可愛い子供みたいになるのはいつ見てもたまらない。いじめたくなる気持ちを押さえ込みながら僕は最後の仕上げをして、食卓に置く。
置くよりも早く、春花はフォークを準備し、既に食べる姿勢へと突入していた。
「いっただきまーす!」
目を輝かせて、春花は言った。
返事する前には春花はナポリタンを頬張っている。
そして、その胃の内容量はまるでブラックホールかのように無制限となるため、春花1人で10人前のナポリタンが用意される。これこそ我が家特性の鍋ごとナポリタンである。
「おいひぃ! はふはふ。んん。さいこー」
この数分の間にもう鍋が半分のラインが見えていた。そしてこの反応、本当に料理した僕にとってこの最高の笑みとこの言葉だけで胸がいっぱいになり、ああ、料理を極めてよかったと心の底から思った。
10分もしないうちに、ナポリタンを全てほおばった春花はいつものようにご馳走さま! と言うとそのままソファーに倒れ込みあやとりと早打ちの天才も驚くほどの速さで眠る。
普段土日にしか出さないメニューであるのはこれが原因でなのだ、春花はこれから数時間目覚めない、そして起きた時にはお腹空いた! と目覚めてくる。睡眠で摂取したエネルギーのほぼ全てを消費する、それが春花の生まれ持った特異体質でもある。
「さてと、片付けと夜ご飯の用意でもするか…」
昼を食べ終わった頃には既に時計は2時を示していた。
僕は、春花の鍋と自分の皿を洗い、夜ご飯の支度を開始する。準備を一通り終えると洗濯をして、掃除する。たとえどんな轟音がなろうと春花の睡眠を妨げることは出来ない、故に掃除機の音も春花には関係の無いものだ。
今日はいつもより眠るだろうと考えながら、僕は全ての家事を終えると先程の春花が持っていた本に目をやる。
難しげな外面をした本であったが幸い日本語で書かれているため、簡単に読むことが出来る、たとえ英語や中国語などで書かれていても読めるは読めるが。
そこには、幽霊、葬儀屋、能力などなどたくさんのことがまとめられており、春花に教わったことも当然そこに書いてあった。
「よく見ると、春花の筆跡な気がするな……」
その本は春花の癖のようなペン字で構成されていることに今更ながら気がついた。どうやらこれは、〝本〟ではなく〝ノート〟であるらしい。普段、たとえ参考書であろうとペンで文字を入れたりしない春花が、アドバイスや注意点などをメモしていることからそれがノートであることがわかった。
「なるほどな? 一応全部理解はしたかな? 能力とかはいまいちだけど。」
さすがは勉強狂というとこだろうか? 速読もしっかりと訓練している僕だからこそだろう、たった1時間でこの広辞苑なみにページの多い本を全て読んで理解するという常人には成し遂げられない神業とでも言うべきことができるのは。
外もすっかりオレンジ色になるが、まだ春花が起きる気配はない。春花が起きる時は毎回ルーティンのようなものがある、1回寝返りを打つその1時間後目覚めるというものだ。
「さてと、僕も少し眠ろうかな……」
そう呟いて、僕は春花の寝ているソファーに寄りかかり目をつぶった。