<1-1>教訓は知っていても実行できないものだ
5月。僕は2ヶ月でこの傷を完治させた。
驚くべき生命力のおかげであるのか、はたまた春花の力の影響なのかは定かではない。普通ならば高校へ入学し、友達もいるであろうこの時期から、僕は学校に通わなければいけない、そんな憂鬱な展開よりも、より一層に僕を悩ませているものがあった。
――私を生き返らせたくない?
この質問に答えて2週間。僕は、病室の一角で春花を観察し続けた。どうやら彼女は食事を必要とするらしいが、排泄は不要なようだ
そして、手に取ったものはナースさんには見えていなく、僕のみが彼女のことが見えるという不思議な現象であることを再認識した。
「さて、コーマ。ようやく私たちの愛の巣に帰ってきたね!」
僕と春花はずっと一緒であった。
生まれた時からずっと僕と春花は同じ家で暮らしていた、いわゆるシェアハウスというのだろうか。篠原家と桜乃家の両親はとても仲が良く、とても自由人であるがために同じ家に二家族が住んでいた。今と異なるのは両家の両親は突然海外へと理由も告げずに僕らを置いていってしまい僕と春花が二人暮しであることくらいだ。
それは、愛の巣と言わない方がおかしいってものだ。
「そうだな」
「本題だけれどね、コーマ。私たちの愛の巣に帰ってきてやるべきことあるよね?」
愛の巣に帰ってきていの一番にやるべきこと?
手洗いやうがいのそこら辺ではないことは、いまのこの壁ドンされた状態から容易に想像が着く。
さんざん思考を巡らせて、僕はある結論に至りドギマギする。
「やるべきことって、何?」
きっと春花は僕がドギマギしているのを見て楽しむに違いない、そう思った僕は簡単にはぐらかした。
「何って、決まってるじゃない? 私がずっとコーマとしたかったことで、コーマも私としたいこと。」
春花は完全に気づいている、それゆえの言い回しであることは春花との長年の付き合いのおかげで容易にわかった。
だが、退路がない。何か用事を思い出し逃げたり、春花の手を振り払って逃亡するなんてことがあれば春花は機嫌を損ねる。それだけは回避しなくては行けない。
だが、僕らはいわゆる純情カップルだ、付き合いだしてから両親がどこかへ消え去り3年間ぼくらの間にはそれらしきことは一切起こっていなかった。熟年夫婦のようにただ家事を分担し生活するのみ。そしてたまにデートに行く。
まさかそんなことはあるまい。僕は確信していた。
春花は僕の指の間に彼女の指を絡める、そして僕は靴を脱ぎ家にあがり彼女の部屋へと連れていかれる。
「コーマ、座って。」
僕は春花の言った通りに、ベッドの上に座る。
僕はさすがに動揺を隠せそうにはなかった、心臓がとても早く脈打ち、顔はきっと真っ赤なのだろう。
「コーマ。まだこんなに明るいけどやらない理由にはならないでしょ? コーマも早くしたかったはずよ」
2人っきりの家で、男が彼女に部屋に連れていかれベッドに座らされて男女出するようなことなんてひとつしか思い浮かばなかった。僕は、さすがに覚悟を決めなければならなかった、否、覚悟なんてとうの昔にできていた。
「春花。今まで我慢させていたのかもしれない。覚悟ならできてるよ」
「良かった! ならやりましょうか!
――葬儀屋になるための勉強」
僕は鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔をした。この状況で想像していたものと違う単語またはそれを暗示する言葉が返されたようには思えなかったからだ。
いや、僕が知らなかっただけで、それを暗示する言葉だったのかもしれない、スラングとか。
「えっと、何て?」
僕には確認する必要があった。この状況を整理して飲み込むための情報が欲しかった。
「何ってもしかしてコーマ、何か勘違いしてたんじゃない? 私の思ってた通り。やるのは葬儀屋になるための勉強でした!」
やっぱりか……。僕は心底ガッカリした。
「でも残念! 私ツイてないのよ、あれやこれ」
そう言って、春花は服を光の粒に弾け飛ばし、真っ裸になってしまった。きっと春花は恥ずかしさという概念が僕の前では消失している、僕もそうだった、幼い頃から隠し事も見えないところも何も無くすごしたために、春花の体が肌色1色で妙な突起や亀裂は一切入っていないフラットな肌色、そしてふくよかな美乳それしか存在しない。光の補正が入っていたり髪で隠れていたりそんなことは無かった。完全にあれやそれが存在していなかったのである。
まぁ、それでも彼女の裸体であるのには変わりなく興奮はしたけれども。
「頑張ったら触ったり触ってあげたりしてもいいけどね?
今はダメー」
そう言って、光の粒がまるで逆再生しているかのように元の服の形へと戻った。本当に僕は残念に思ったのだろう、僕が弱々しくなっていくのを感じる。
「コーマがガッカリしているのは分かるんだけどね? コーマが言う通り私ずっと我慢してたんだから。えっちい事は私の体を元に戻してくれたら存分に毎日でもやってあげるから我慢してね?」
「うん。僕頑張る。」
僕は、それでも春花のことを感じたかった。僕は立っている春花のお腹に顔を埋めぎゅっと抱擁した。
「この甘えんぼめっ。そんな甘えんぼなコーマに免じてそれくらいはいつでも許してあげる。よしよし可愛いなぁコーマは」
同じ家に住んでいる兄妹のようなものとはいえ、生まれた日にちは違うためにしっかりどちらが兄姉であるかは決まっている、それはこの関係が表すように春花の方が姉である。
幼い頃はずっと僕は「はるかおねぇちゃん」と呼んでいた。
それ故に、僕は恥ずかしながらも春花に対してはものすごい甘えん坊だ。
僕は顔を横に振って、春花にめいっぱい甘えた。
「さて、コーマ。勉強しよう? 試験まであと1ヶ月しかないよ」
「試験?」
「そう。正式な葬儀屋になるための公的な試験。これに見事合格するためにも、それに加えてコーマは今の状況をまだ全然知らない。だから勉強。」
「なるほど…」
僕は勉強はあまり嫌いではない。
勉強は新しい知識を存分に得ることの出来るすばらしい物だそう思っているからだ、未知を知ることや学力上昇の確かな実感を快感とする人は少なからずいるだろう、僕もその中の一人と言って差し支えなかった。ちなみに言うならば、春花は元から天才と呼ぶべき人間であった、1度見聞きしたものは忘れたことは無い。
春花は、本棚から少し分厚いタイトルすら書いていない古い本を手に取ると、そのまま僕の横に座ると
「私が勉強を教えるからには、コーマには満点合格してもらうわ。何にせよ私は〝叡智の魔女〟そう呼ばれた優秀な葬儀屋だったんだから!」
春花は自信満々にそう告げた。
「その、さっきから言っている葬儀屋って…」
「手短に説明すると、幽霊専用の葬儀屋。ピンと来てないだろうから、要するに。およそ1000年前、死の神様が人間の魂を霊界に来ることを禁止したの、そして死して行き場の失った魂は霊体となって宙をさまよい続ける。中には物体を操れる能力を持っていたりする者が居たりして、人間としても迷惑だった。
それを見た死の神様は、門を開けようとしたけれど、門に与えた命令を変更することは出来ず、少しの穴を開けるので精一杯だった、だから、霊界からひとつの種を落としたの、それが育ち私のような幽霊の見える能力者が発現し、幽霊を霊界に送る仕事をさせているってわけ。」
「なるほど。だからこんなにも幽霊がうようよといるわけだ。」
空を見上げただけでも、数百の幽霊が目視出来た。
「この辺りは少し量が多いのよ。私が死んだってことと、もとより死者数が遥かに多い地域だから」
ここは日本の中でも特別治安の少し悪い地域であった、治安が悪いと言うよりは春花の言う通り死亡事故がものすごく多い、それを裏付けるかのように春花と僕は両方ともトラックに轢かれている過去を持つ。
「そして、幽霊を霊界に送る方法は2つ。
ひとつ、幽霊の心残りを消し去ること。ふたつ、幽霊をもう一度殺すこと。
多くの葬儀屋は前者で仕事をしているけど、後者で仕事をしている人も少なくはないの。
上位版と言えど、私ももう一度殺されれば死んでしまうわ。でも私、すり抜けとかもできるから、葬儀屋に殺されない限りは大丈夫」
「春花は絶対に僕が守るよ。この命に変えても」
「命に変えられちゃったら、私も一緒に死んでしまうから少し困るんだけどね? その誠意はありがたく受け取るわ。ありがとう、コーマ」
そう言われてすこし照れてしまったけれど、本心からの言葉であることは変わりはない。僕は春花を守らなければいけないのだ、もうあんな思いをしたくは無いのだから。
「幽霊が霊界に行く時、彼らはその体から、ひとつのものを置いていくの。〝魂塊〟って呼ばれる魂の入れ物、それをこのポストに入れると査定されてお金が出てくる。そういう仕組みなの。」
春花は本に書かれている魔法陣を指さす。
「実際はこれを自分の血で書かなきゃ行けないんだけどね。そして、コーマに集めて欲しいのは〝幽霊の欠片〟っていうさっき見たでしょ? 服が弾け飛ぶときの光。あれに似てるんだけど色が違うんだ、青色の光。それが幽霊が消える時に放ちながら空気に解けていくの、それをこの瓶で集めて欲しいの。」
さっきの光は確か、黄色の光であった。その言い方はまるで本当に私と彼らは違うんだぞ! と言いたげであったがあえて無視しておくとする。春花は立ち上がりクローゼットのダンボールから瓶を取り出す。その瓶は至って普通の、ジャムなどを入れる用の手のひらくらいの高さのある瓶。
「この瓶は普通の瓶じゃないのよ? 私が丹精込めて作った幽霊の欠片を保管しておくための特別性なんだから。
これを100人分集めてくれればエネルギーは溜まるわ、そうしたら私が死んだ事実はなくなって、肉体が手に入りコーマとあんなことやこんなこともできるわ」
僕は少しだけ頬を赤らめてしまった。よくよく見ると春花もものすごく恥ずかしそうに耳や頬を真っ赤に染めている。
無理なんてしなくていいのだけれど。そう思ったのだが、きっと春花なりのやる気付けなんだと思った僕は何も言わなかった。
「さてと、コーマ。お腹がすいたわ」
春花はぐるるるるとお腹を鳴らした。太陽はもう既に僕らの真上にあり、時計は12時であることを知らせていた。
僕は、よいしょとベッドから立ち上がる。
「確かにお腹がすいたな。家に着いたのは10時くらいだった気がするんだけど、やっぱり時間が進むのは早いもんだな。」
ドギマギ、ドキドキしてたからだろう、あと少しイチャイチャし過ぎたのかもしれない。2時間が経過するのはそれにしては早すぎた。僕は冷蔵庫の中になにか入っていたからなとか考えながらも、春花と共に階段をおり、キッチンへ向かう。キッチンは基本的に僕用のスペースである。何故ならば、春花は一切料理ができない。料理をしようものならすぐさま暗黒物質を作り出し、全てをフランメさせてしまう。もうそれはフランメというのかどうかはさておき。
僕は冷蔵庫の中を見るが、ここに最後にいたのは二ヶ月前であり、二ヶ月前でさえ絶望のあまりカップ麺をすする毎日であった、中に使っても良い食材が入っているわけがなかった。
「冷凍の方もアウト、3ヶ月前はもっと入ってた気がしたんだけどな…」
「あれなら、私全部食べちゃったわ」
「僕が、春花が見えなかった間も食事が必要だったからか……」
「そう! なんてったって私、コーマの半径1キロしか離れられないからね。1キロも離れられるとはいえ、あんなにやつれたコーマから1ミリも離れたくなかったから。」
「それはありがと」
料理できる食材はなくお米やそれらも一切ない。
備品も全て、春花に食べられてしまっているために今この家には食料が一切ない状況だった。それに、二ヶ月この家に誰もいなかったがためにすごく埃っぽい。強盗やそこらが入っていなさそうなのはきっとご近所さんが何かしらの手助けをしてくれていたからだと思う。こんな時にこそ、ご近所づきあいの大切さを身をもって感じる。
「じゃあ、買い出しにでも行くか。水道やそこらは止められていないみたいだし家でなにか簡単につくることにするよ」
何せ、春花がいるために外食はあまり行いたくなかった。それが大きな問題であることは確かだったからだ。
「わかったわ、じゃあ、コーマの体力のリハビリも兼ねて行きましょうか」