Cafe Shelly 成功の法則
「いや、それは違う。だって世の中の成功者は口をそろえてこう言っているんだぞ。まずは明確な目標を持てって。おまえの言っているのはその逆じゃないか」
ボクはムキになって目の前の悟史に向かって怒鳴り散らした。悟史も負けてはいない。
「でもオレがこの前の講演で聴いたのは、無理に目標を持ってしまうということは今ある幸せを見逃してしまうということだったんだ。確かにオレもこの話を聞く前まではヒッキーの言う通りだと思っていたよ。けれどそればかりに目をやってしまうと、所詮は無い物ねだりでしかないってことなんだよ。わかるか?」
ヒッキーというのはボクのあだ名だ。本名は疋田学。小学生の時代からずっとヒッキーと呼ばれている。目の前にいる悟史はそのころからのつきあいで、大学を出て就職をし、お互いに家庭を持つ身になってもこうやって時々会っている。腐れ縁、とでもいうのか。まぁここまで長くつきあえたのも、子どもの頃から似たような感覚を持っていたからだ。
子どもの頃にあったオカルトブーム、これに対しては二人で夢中になったものだ。超能力、UFO、幽霊、心霊写真などなど。これがボクたちの子どもの頃の共通体験だった。そんな腐れ縁の悟史とは今まで何度もケンカをしてきた。ケンカ、といっても殴り合いや憎しみ合いものではない。お互いに思っていること、感じていることが異なり、意見の相違から口論になる。が、結局はお互いに何が言いたいのかを理解し合って終わる。
今回もそのパターンかと思われたが、ボクはどうしても悟史の言っている意味を受け入れようという気にはなれない。
「成功、成功って言っているけど、それは人によって形が違うものだろう。ヒッキーの目指しているのはお金持ちの世界。でもお金持ちにならなくても、物質的に満たされなくても心が満たされていればそれは成功といえるんじゃないのか?」
悟史の言葉にボクも負けてはいない。
「それは成功していない人の言い訳じゃないか。そうやって自分をだまして、今のままでいいやという気持ちになる。それじゃ人間としての成長は望めないだろう。人間は一生かけて学び続け、向上していくもの。この前二人でそれを確認しあったばかりじゃないか。それは無い物ねだりと何が違うんだよ。ボクだってお金や物だけを追いかけているんじゃない。結果としてそれがついてくる人生を歩みたいだけなんだ」
ボクは悟史をじっと見つめた。
「あ、あの…」
突然横から女性の声が。
「あ、すいません。声、大きかったですかね?」
これは悟史の声。ここは喫茶店。声をかけてきたのはここのウェイトレスだ。
「あ、いえ。今は他のお客様がいないから別に大丈夫なんですけど。今お話ししていたこと、私もマスターも興味があるので、よかったらカウンターにきて一緒にお話ししないかなって思って」
よく見ると結構きれいなウェイトレスだ。こんな子がボクたちが議論している成功哲学に興味を抱いているなんて、ちょっと驚きだな。
マスターの方をちらりと見ると、ちょうどボクと目が合ってしまった。マスターはにっこりと笑って
「よかったらこちらにどうぞ」
と言ってくれた。ボクは悟史と目を合わせ直す。
「じゃぁ、そうさせてもらおうか」
「あぁ、そうしよう」
悟史とは一時休戦。ボクと悟史は自分のコーヒーカップを持って、カウンター席へ移動した。それにしてもおもしろい喫茶店のマスターとウエイトレスだな。こんな話、他でやってもうさんくさく思われたり、興味を持たなかったりというのがほとんどなのに。だからこそ、今までボクと悟史の二人だけでこういった議論を重ねてきた、いや二人でしか重ねられなかった。
「さぁ、どうぞ」
マスターに導かれるままにカウンター席に腰を下ろしたボクと悟史。
「先ほど二大成功哲学の話をしていましたよね」
「え、二大成功哲学?」
悟史がマスターにそう聞き直した。
「あれ? 知ってて話してたんじゃないんだ」
今度はウェイトレスの女性が後ろからそう言ってきた。
「今お二人が話していたこと、あれは私たちの間では二大成功哲学って呼んでいることなんです。あ、私はマイっていいます。こっちはマスターって呼んでくれればいいですよ」
「あ、はい。ボクは疋田学、ヒッキーって呼ばれています。こちらは滝川悟史です」
「悟史って呼んでください。で、二大成功哲学ってどういうことなんですか?」
悟史は身を乗り出してマスターにその意味を尋ねた。ボクもその意味が知りたくてウズウズしている。
「じゃぁちょっとおさらいしましょうか。まずは疋田さん」
「ヒッキーでいいですよ」
疋田さん、なんて呼ばれるとちょっとむずがゆい。やはり聞き慣れた呼ばれ方の方がしっくりくる。
「じゃぁお言葉に甘えて。ヒッキーが言っていたのはどういうことでしたか?」
「はい、目標を明確に持つことが成功のスタートだ、ということです。このことはどの成功哲学の本にも書かれていることで、多くの成功者が口をそろえてこのことを言っています。だから間違いないんです」
ボクは自信を持ってそう答えた。
「なるほど。では悟史さんが言っていたのはどういうことでしたか?」
「オレが言ったのは、幸せというのは今ここにあるっていうことです。例えば三食ご飯が食べられる。これだけでも幸せって言えるんですよね。そんなことに気づかずに、あれが欲しい、これを手に入れようということばかり追い求めても心は満足しない。そうじゃありませんか?」
「じゃぁ悟史は今成功しているって言えるのかよ?」
ボクはちょっとムキになって悟史をにらんだ。少し前まではお互いに成功しよう、もっとお金持ちになろう、そして自分たちを満たして周りを幸せに導こう、そう言い合っていた仲なのに。あらためて悟史の言葉を聞いて、なんだか裏切られた気持ちになった。悟史はどこかの宗教にでも洗脳されたのだろうか? そんな疑いさえ感じてしまう。
「マスターはどう思っているのですか?」
ボクは思い切ってマスターに意見を聞いてみた。するとマスターは笑い出しているじゃないか。
「あっはっは。いやいや、笑ってすまない。ちょっと昔のことを思い出してね」
「昔の事って?」
「あはっ、あの人のことでしょ。あ、これよかったらどうぞ」
マイさんは笑いながらクッキーを差し出してくれた。あの人とは一体?
「あ、ありがとうございます。マスター、あの人って誰なんですか?」
「この人だよ」
そう言ってマスターは一冊の本を取り出した。
「あ、これ読んだことがありますよ。小説なんだけど、人生について考えさせてくれる本ですよね。え、ひょっとしてこの本の作者とマスターが?」
悟史はマスターが出した本を手にとってそう尋ねた。ボクも悟史が手にした本の表紙に書かれている作者を見た。
「羽賀純一…あ、この人ってコンサルタントで有名な人ですよね」
「コンサルタントというよりはコーチなんだけどね」
「え、マスターはこの人と知り合いなんですか?」
ボクはびっくりした。羽賀さんは知っている人は知っている、有名なカリスマコーチ。ボクもいつかはこんなふうになりたいと、あこがれを持っている。まさかこの人がマスターと知り合いとは。
「知り合いどころか、マスターとは大親友なんだよ。ヒッキーと悟史さんが言い争っていた二大成功哲学について、マスターと羽賀さんも昔はかなり議論をしていたよね」
「懐かしい話ですよ」
マスターはそう言いながら遠い目をしていた。
「で、その二大成功哲学ってどういうことなんですか?」
ボクはマスターの昔ばなしよりそちらの方が気になっていた。
「あ、そうだったね。二大成功哲学というのは、今ヒッキーと悟史さんが言っていたことそのものです。お二人は自分たちの考え方が相反している、そう思っているのでしょう?」
「えぇ、まぁ」
ボクはそう思った。だが悟史は違ったようだ。
「う~ん、相反しているというよりは、目指しているものが違っているんじゃないかって感じているんです。ヒッキーが言っている成功哲学は、どちらかというと物質的なものを満たそうとしているんじゃないかって。お金とか、物とか。またそういった物質的な物だけじゃなく、地位や名誉といったものもこれに当たりますよね」
「なんだ、そういったものを手に入れるのがよくないっていうのか?」
ボクは自分が欲しいものを手に入れようとしているのを否定されたような気がして、ムキになって反論した。
「いや、そうじゃないよ。それにオレだってそういったものは欲しいさ。けれどそういったものを欲しがるだけだと、どこまでいっても心が満たされないんじゃないかって思い始めたんだよ」
どこまでいっても心が満たされない。だからこそ人はそれを追い求めるために行動し、成長していくんじゃないか。ボクはそう考えていた。けれどそこに不安があるのも確かだった。もうこのくらいでいいんじゃないか。そうやって満足してしまうと、全ての行動がストップしてしまうんじゃないか。だから悟史の言うことに対しては納得いかないのだ。
そのことを言おうとした時に、マスターがまた笑い出した。
「いやいや、ごめんごめん。今ヒッキーの顔を見たらとても不満そうだったろう。ヒッキーは今、こう思っているはずだ。心を満たしてしまうと、自分の行動する意味が無くなってこれ以上成長できないんじゃないかって。どうかな?」
「え、ど、どうしてそれがわかったのですか?」
「だってね、私も同じ事を思ったからだよ。昔議論を重ねたときは、私がヒッキーと同じ思いをして、羽賀さんが悟史さんと同じ思いをしていたんだ。だから今お互いが、特にヒッキーが何を思っているのかが手に取るようにわかるんだよ。しかしどちらも正解であることは間違いない。両極端だけど、どちらも成功を目指す方法なんだよね。この両極端な考え方が二大成功哲学といわれているものなんだよ」
なるほど、どちらも言わんとしていることはわかる。確かに間違いではないだろう。けれどボクにはどうしても悟史の言う成功哲学が受け入れられない。だが悟史はそうでもないようだ。
「マスター、成功するという方法に大きく二つの道があるっていうのはわかりました。じゃぁそのどちらかを選択しなければいけないってことなんですかね?」
「どうやら悟史さんは成功哲学の深みにはまってしまったようだね」
「成功哲学の深み?」
悟史は身を乗り出してマスターに尋ねた。マスターはにこりと笑っている。
「これは私もその深みにはまったんだよ。これはまだ喫茶店を始めるさらに前の話だ。ある有名な成功者が行っている集中セミナーに参加したんだ。このセミナーを受けてから世に名前が売れ出した人がたくさんいてね。その当時は私もその世界を目指していたよ。本を出してベストセラーになり、印税生活を送りながら理想の生活を送る」
「成功者の生活ですね」
ボクもそういった姿を目指しているので、マスターの描いている姿がよくわかる。
「そのとき指導を受けたのが、ヒッキーが言う成功哲学の世界だったよ。目標を毎日紙に書き、アファメーションをして、思い切って行動を起こす」
ボクはマスターの言うこと一つひとつにうなずき、同じ思いをしていたことに親近感を覚えた。
「それでどうなったんですか?」
「その結果、あることが起きてしまったんだ」
「ある結果って?」
ボクはマスターの口から成功した経験が聞けるのではという期待感でいっぱいだった。
「私の話をする前に、この話をしよう。ある男性がいてね、この人は普通のサラリーマンなんだ。しかしある日成功哲学というのに目覚めて、まずは目標を持つことが大事だと知り自分の年収を一千万円にしようと思ったんだ。彼は妻も子どももいるけれど、それだけの年収があれば家族を幸せにできると考えた。けれど普通に働いていたのでは給料ではそこまではいかない。だから残業もこなしたし、休みの日は副業としてネットワークビジネスやインターネットビジネスをやってたんだよ」
ボクにはまだ家族はいないが、それはまさに今やろうとしている世界だった。マスターの話はまだ続いた。
「もちろん、毎朝目標を紙に書いてアファメーションし、成功系のセミナーがあれば積極的に参加し、そしていよいよ年末になったんだ」
「もちろん目標は達成できたんでしょう?」
ボクはワクワクしながらその結果を待った
「あぁ、見事に年収一千万円を突破したよ」
「ほぉら、やっぱり」
マスターのその言葉にボクは自信を持ってそう答えた。
「それで家族が幸せに暮らしていけることができたんですか?」
悟史が横から口をはさんだ。
「そりゃもちろんだろう。それだけのお金を手にすることができれば、リッチとはいかなくても今までよりもいい暮らしができるだろうし」
ボクは当然のごとくそう言った。そして悟史の問いかけにマスターはこう答えた。
「彼は喜び勇んで、通帳を片手に家に帰ったんだ。そしてそこで待っていたものは…真っ暗な家とテーブルに置いてあった一通の封筒」
「え、何が起きたんですか?」
ボクは予想とは違う展開にとまどった。
「その封筒の中には一通の手紙が。差出人は奥さん。そしてそこにはこう書かれていたんだ。あなたと一緒に暮らしていく意味がわからなくなりました。もうあなたと暮らしていく自信がありません。そしてその手紙には判が押された離婚届が入っていたよ」
「ど、どうして…だってその人は家族のためにって一生懸命働いてお金を貯めたんでしょう。なんて勝手な奥さんだ」
ボクはその奥さんの身勝手な行動に腹を立てた。
「ヒッキー、本当にそう思うかい?」
マスターはボクの言葉に対してそんな質問をしてきた。
「え、だってこの人は家族のために毎日一生懸命働いていたんでしょう。なのにそれを理解しない奥さんの方が悪いですよ」
ボクはさっきと同じ言葉を繰り返した。
「じゃぁ聞くが、家族のことをまったく省みずにお金のためだけに働いた彼はどうなんだろうね?」
「え、だってそれは家族のために…」
「奥さんはそれを望んでいたのかな?」
「そうじゃないんですか?」
「そうだったら離婚届を置いて出ていくなんてことはしないだろう」
ボクの頭の中では糸がもつれはじめてしまった。この人は目標達成の第一歩を踏み出して、それを成し遂げた。けれどその結果、家族を失ってしまった。それは本当の目標だったのか?
「マスター、ひょっとしてその人って…」
悟史がマスターにそう尋ねた。あ、ひょっとして今の話はマスター自身のことなのか?
「いや、この話はね、羽賀さんがよく使う例え話なんだよ。けれど私もそれに近いことをしてしまった。おかげで自分の子どもには自由に会えない身になってしまったよ」
ボクも悟史もそれ以上のことはマスターには聞かなかった、いや聞けなかった。
「成功って、どんな状態のことをいうんだろうね」
黙り込んでしまったボクたちに、マスターがそう尋ねた。
「成功って…」
ボクはそこまで言って言葉を飲み込んだ。ボクが言おうとしたのは、事業とかで大儲けして何不自由なくリッチに過ごすこと。けれどそれでうまくいっても、家族や周りの人が去ってしまったらそれは成功とはいえないだろう。
「成功って、幸せに過ごすってことじゃないですか?」
悟史はそう言った。そうだ、その通りだ。いくらお金を持っていても、リッチな暮らしをしていても、心が寂しければそれは成功とは言わない。どんな状態であっても幸せを感じること。これがその人にとっての成功じゃないか。そう思ったとき、突然悟史の言った言葉の意味がわかった。
「そうか、だから悟史は心を満たすことの方が大事だと言ったのか」
「そうそう、そうなんだよ。もちろん物質的なものを満たすことも大事だけれど、それだけだとさっきマスターが話してくれたような人みたいになっちゃうだろう。だからこそ今を満足するという気持ちを持たないと、常に欠乏感ばかり感じてしまうじゃないか。そんな状態じゃ幸せって感じられないだろう」
悟史は勝ち誇ったような顔でそう言った。悟史に負けた気がしてちょっとショック。
「そうだね、悟史さんの言うとおりよね。でもさ、こういう場合はどうなのかな?」
今まで黙っていたマイさんが突然話に割り込んできた。
「どういう場合ですか?」
悟史は自分の意見に対して反発された気がしたのか、ちょっとムッとしてそう答えた。
「さっきの一千万円貯めた人って、その行動を行っていたときは幸せを感じていたんでしょう。自分の目標に向かって進んでいく自分をかっこいいって思っていたんだろうしね」
「で、でも、結果的には不幸になっちゃったんでしょう…」
悟史はさっきの勢いとは違って、急に声が小さくなった。
「未来が幸せになるか、不幸になるか、それってわからないじゃない。今幸せを感じることが大事なんでしょう? なのに自分が幸せと感じても、結果的に不幸を感じてしまうってのはどういうことなのかな?」
「え…そ、それは…」
悟史の声は一層小さくなってきた。半分はざまぁみろと思ったが、悟史とマイさんの言うことの矛盾点を考えるとわけがわからなくなってきた。じゃぁ、この二大成功哲学っていうのは間違いなのか?
「マイ、二人をいじめるんじゃないよ」
「えへっ、ごめんなさい」
マスターの言葉にマイさんは舌をぺろっと出しておどけている。
「マスター、マイさんの言ったことでまたわけがわからなくなってしまいました。自分が幸せを感じることが成功だと思ったのですが、それだけだと周りの人を不幸にさせてしまうことだってあるわけですよね。じゃぁ、成功って一体何なのですか?」
ボクは頭を抱えこんで悩んでしまった。と、そのときである。
カラン、コロン、カラン
心地よいカウベルの音がして、店のドアが開いた。
「マスター、マイちゃん、こんちは」
そこには長身でメガネをかけた人が立っていた。とてもさわやかな人だ。
「あら、ちょっとご無沙汰してたね、羽賀さん」
え、羽賀さん!? ボクはマイさんのその言葉にビックリした。
「ちょうどよかった。今このお二人を前に、二大成功哲学の話をしていたところなんですよ。よかったら話に参加しませんか?」
マスターはそう言って羽賀さんをカウンター席の空いているところへ導いた。
「二大成功哲学の話かぁ、懐かしいですね。あのときはよくマスターと議論したもですよ。あの議論があったからこそ、ボクもマスターも今があるといってもいいでしょうね」
羽賀さんはそう言いながらカウンター席についた。その身のこなしは颯爽としていて、とてもかっこいい。
「羽賀さん、教えてください。二大成功哲学って、どっちが正しいのですか? 自分が幸せになるだけじゃ成功じゃないってのはわかったのですが、それだったらボクたちはどうすればいいのですか?」
ボクは思わず羽賀さんに質問を投げかけた。
「はははっ、やっぱりそこで引っ掛かってたか」
羽賀さんは笑いながらそう答えた。
「その質問に答える前にマスター、シェリー・ブレンドよろしくね」
「そうでしたね。あ、そうだ。ヒッキーも悟史さんもよかったらシェリー・ブレンド飲んでみませんか?」
「シェリー・ブレンド?」
悟史がそう聞き返した。
「えぇ、うちの自慢のブレンドコーヒーなんです。これを飲んだら、ひょっとしたら今の疑問に対しての答えが出てくるかもしれませんよ」
コーヒーを飲んだら答えが出てくる。これは一体どういう意味なのだろうか? 顔にクエスチョンマークをいっぱいつけたまま、ボクはシェリー・ブレンドをいただくことにした。
マスターがコーヒーを準備している間、ボクらは羽賀さんからいろいろな話を聞いた。マスターと羽賀さんとの出会い、羽賀さんが今やっていること、そして何を目指しているのか。それはボクらにとってはとても興味深いものだった。
「コーヒー、入ったよ」
マスターがマイさんに合図を送った。マイさんはボクたちのコーヒーを運んでくれた。このときボクと悟史にこんな言葉をかけた。
「どんな味がしたか、ぜひ教えてね」
どんな味がしたかって…そりゃコーヒーだからコーヒーの味だろう。あ、きっと自慢のコーヒーだから味が知りたいんだ。そう思いながらこのコーヒーを口に含んだ。そのとき、突然頭の中に異空間の映像が浮かんだ。
アニメで見たことがある。宇宙空間を超高速で飛んでいく。星の光が線になって流れていく。体はどこかに引っぱられるようだ。ボクはどこへ行くんだ? そのとき、目の前がパァッと明るくなって…
「どんな味がしたかな?」
その言葉でボクの意識は現実に引き戻された。
「あ、いや…」
ボクはとまどっていた。一体何が起きたのだ?
そうだ、コーヒーを口に含んだ途端、別の空間に飛ばされた。でもそんなことを話したらバカにされるんじゃないか。
「味はわからなかったんですけど…ちょっと不思議な体験をしました」
悟史がそう言った。
「ほう、どんな体験なんだい?」
マスターもマイさんも、そして羽賀さんも悟史に注目。もちろんボクもそうだ。
「信じてもらえないかもしれないけど…」
悟史は何かを思い出すかのような感じで話し出した。
「目の前が突然真っ暗になって。その中でどこかに引っぱられるように体が進み出したんです。まるで超高速で飛行しているような感じで。そして突然目の前がパァッと明るくなったと思ったらここにいました」
驚いた、ボクと同じ体験だ。
「悟史くん、だったね。それにはどんな意味があると思う?」
羽賀さんが悟史にそう尋ねた。
「どんな意味…そうですね、今までいろいろと悩んで考えていた暗闇の状態から抜け出す…そんな感じでしょうか」
「そうだよ、ボクもそう思ったんだ」
ボクは思わずそう言葉を発した。
「えっ、ヒッキーも同じだったのか?」
今度はみんなの視線がボクに集まった。ボクはこっくりと首を縦に振った。
「なるほど、ということは君たち二人は今成功というものについて迷いを生じている状態なんだね。そしてその回答を欲しがっている。そうじゃないかな?」
羽賀さんの指摘通りである。
「さすがシェリー・ブレンド。今回は二人が欲しがっているものが一致した上に、二人ともかなり強くそれを求めているようだね。それを味だけじゃなく映像で見せてくれるとは」
そう言って羽賀さんはシェリー・ブレンドを口にした。
「羽賀さんはどんな味がしているのですか?」
コーヒーを飲む姿を見て、悟史が羽賀さんにそう尋ねた。
「ボクかい? 今日はね、なんだかフレッシュな味がするんだよ。きっと君たち二人に会ったせいだろうね」
「それってどういう意味なのですか?」
「昔の私たちに出会った、そして今から成功していく期待に満ちている。羽賀さん、そうじゃありませんか?」
「あぁ、マスターの言う通りだよ」
羽賀さんはそう言って再びコーヒーを口にした。
「じゃぁ、ボクたちって成功者になれるんですか?」
ボクはそっちの方が気になっていた。羽賀さんやマスターと同じ道をたどっているのなら、きっとボクたちもそうなれるんじゃないか。そんな期待感を持っていた。
「じゃあ逆に聞くが、ボクやマスターは君たちから見て成功していると思えるかな? ボクやマスターは君たちが思っているようなお金持ちではないからね」
「オレから見れば成功しているように見えますよ。お二人ともとても幸せそうなお顔してますから。それに自分だけが幸せって感じじゃなく、その幸せを周りの人と分かち合っているような感じを受けます」
「ボクも悟史と同じ意見です。やっぱりお二人はボクから見れば成功者ですよ」
「じゃぁ、そんなにお金持ちでもない私たちがどうして成功者だと思うのかな?」
今度はマスターがボクたちにそう質問した。
「それは…」
マスターの質問に答えようとしたが、そこから先の言葉が思いつかない。悟史も同じようだ。
「じゃぁ質問を変えよう。私たちを見てどんな印象を持ったのかな?」
「そうですね、まずはにこやかで幸せそうでした。そして周りの人と幸せを分かち合っている。これはさっき言いましたね」
悟史が先ほどと同じように答えた。
「他にはあるかな?」
「えっと…そうだなぁ、なんていうか、バランスよく生活をしているって感じですね。ほら、食べ物で言うと栄養のバランスが取れた食事って感じなんですよ。いくら肉が好きでも、肉ばかり食べていたらそのうちに栄養が偏って病気になってしまうでしょう。そうではなくバランスのいい食事なので、いつも健康的って感じ」
ボクはなんとなく頭に描いたことを口にしてみた。そしてこの時点で気づいた。
「バランス、そう、バランスだ」
「え、バランス?」
ボクが突然叫んだので、悟史がビックリしている。けれどマスターやマイさん、そして羽賀さんはにこやかな顔。
「うふふ、ヒッキーは気づいたみたいね」
マイさんがにこやかな顔でボクにそう言った。
「バランスってなんだよ?」
「悟史、わかった、わかったんだよ。大事なのはバランスなんだ。自分だけが幸せを感じるだけじゃなく、周りの人と一緒にバランスよく幸せを保っていく。こうすることでその人なりの本当の成功がつかめるんだよ。ほら、さっきマスターが話してくれた離婚しちゃった男の話。あれは自分のことばかりに意識を集中させてしまって、家族に対しての意識が薄かったんだよ。そのバランスが崩れてしまったために、最後は悲劇になってしまった。ね、マスター、そうでしょう?」
「マスター、ボクの十八番を取ったねぇ~」
羽賀さんはジロリとマスターをにらんだ。とはいっても、そのにらみ方はジョークが入っていることは一目瞭然だ。
「あはは、羽賀さん、ちょいとネタを使わせてもらいましたよ。でもヒッキー、よく気づきましたね。私と羽賀さんが出した結論もそれなんです」
ここでマスターは紙を取り出してそこに横棒を一本描いた。
「最初にお二人が議論していたのは、成功に至るまでの方法。ヒッキーは目標実行論、悟史さんは精神満足論」
そう言って横線の右側に目標実行論、左側に精神満足論と書き足した。
「こうやってみると、ヒッキーと悟史さんの言っていることは反対のことを言っていますよね。けれど、こうやって…」
今度は縦棒を一本描いた。そして上には「幸せ」、下には「不幸せ」という文字。
「じゃぁ、ヒッキーが目標実行論を実践していたとしましょう。けれどそれをやるのに、毎日苦しいけどガマンだ、この苦労がいつかは報われる、なんて思いでやっていたらどうでしょうか?」
「なんか嫌ですね」
ボクは素直にそう答えた。
「はい、私もそう思います。このときはほら、ここにいることになるんですよ」
マスターが右下、つまり目標実行論であり不幸であるというマスに黒丸をつけた。
「これは悟史さんの言う精神満足論でも同じ事です。今を満足しなきゃ、と脅迫観念的に思えば思うほど、そうは言っても満足なんてできないという人がほとんどでしょう。このときは幸せを感じているとは言えないでしょう」
「じゃぁ、どう考えればいいのですか?」
「悟史さん、幸せを感じている時ってどんなときですか?」
「そうですね…やっぱり楽しんでいるというか…」
「そう、それなんですよ」
マスターはそう言うと、幸せのところに「楽しい」、不幸のところに「楽しくない」と書き足した。
「いくら成功法則を実践していても、それが楽しいものでなければ意味はありません。苦労に苦労を重ねた先に幸せがあるなんていうのはウソです。周りから見て苦労していると思われていても、本人は楽しんでそれを行っている。それが成功者に共通したものなのです」
なるほど、あのエジソンだって電球を作るのに1万回失敗したといわれているけれど、それをやっているときはきっと楽しんでいたんだろうな。でもここで一つ疑問が湧いた。
「さっきの話では、自分だけが楽しんでも周りを不幸にしてしまうかもしれないってことでしたよね。これはどう考えればいいのですか?」
ここでマスターと羽賀さんはお互い顔を見合わせてふふっと微笑みを浮かべた。
「そうなんです、これが実は成功のための第三の要素なのです。さきほどヒッキーが言ってくれましたよね。バランスです」
ここでマスターは右上から十字の交点を経由して左下に斜めの線を引いた。
「ちょっとわかりにくいかもしれませんが、これは奥行きの軸です。そして…」
手前側に「バランス」、奥側に「アンバランス」と書き足した。
「これでおわかりだと思いますが、成功ってこのように三次元の空間で考えないといけないんです」
さらにマスターは三次元を立方体のマスになるように線を書き足し、手前側の上のマスに斜線を引いた。
「この領域、これは楽しく幸せであり、かつバランスが取れている領域です。人生の成功ってそうありたいと思いませんか?」
マスターの言う通りだ。いくらお金があっても、気持ちが満足せずにいつも不服ばかりだと成功とはいえない。となると、必要なのは金銭的なものではないのか? しかし幸せでバランスが取れている生活にはお金も必要だ。
「マスターの言うことはわかります。けれど、楽しく幸せでバランスが取れている生活を送るには、気持ちだけじゃなくてお金といった物質の世界も満足させなければいけないのではないですか?」
ボクは疑問に思ったことを素直に口に出した。考えてみると不思議だ。今日始めてあったばかりのマスターや羽賀さんにこんなふうに素直に自分の気持ちを伝えることができるのだから。ボクの疑問には羽賀さんが反応してくれた。
「その通りだね。しかし世の中には物質的な満足を得なくてもこの領域にいる人もいる。さて、それはどうしてかわかるかな? ヒントはこの軸にあるよ」
そう言って羽賀さんが指で指し示したのは横軸。二大成功哲学の軸だ。先ほどマスターが描いた立方体。斜線を引いた部分は二大成功哲学全てが含まれている。
「ということは…」
ボクはここまで口にしたが、その先の言葉が思いつかない。
「あ、わかった!」
突然悟史がそう叫んだ。
「悟史さん、何かわかったみたいですね」
「えぇマスター、わかりましたよ。オレ達が議論していた二大成功哲学、これはあくまでも方法にすぎないって事ですよ。ほら、山頂を目指すのに道はいろいろあるって例えをよくやるじゃないですか。それと同じ事です。二大成功哲学って結局は方法論であって、どの方法をとってもいいんです。大事なのは幸せでバランスの取れた生活を目指すこと。だから物質的な満足を得るのを方法とする人もいれば、精神的な満足を方法として選択する人もいる。そうじゃないですか?」
「悟史さん、大正解です」
マスターはにこりと笑ってそう言った。
「ほぉ、ここまでたどり着くとは大したものだ。ボクとマスターなんてこの結論にたどり着くまで何ヶ月も議論したからなぁ」
羽賀さんもにこりと笑ってそう言ってくれた。
「いやぁ、マスターと羽賀さんがいろいろとヒントをくれたからですよ。でもなんだかスッキリしました」
ボクも悟史と同じ気持ちだ。
「じゃぁ君たちが新しい成功の法則に目覚めたのをお祝いして、ボクがシェリー・ブレンドをごちそうしよう。マスター、彼らにシェリー・ブレンドをもう一杯」
「かしこまりました。とびっきりのをお入れしますね」
「じゃぁ私もお二人にプレゼント」
マイさんはそう言ってカウンターに移動して何やらごそごそ始めた。シェリー・ブレンドを準備している間、ボクは羽賀さんにこんな質問をしてみた。
「羽賀さんっていつ頃からこういった成功について考えるようになったのですか?」
「ボクはね、以前は会社で営業をやっていたんだ。この頃は金銭的には余裕があって、はた目からはそれなりの成功者だと見えただろう。ボクもそう思っていたから。けれどボクが手がけた仕事で周りの人を不幸に陥れてしまっていたことに気づいてね」
「不幸って?」
「ボクはね、企業買収の仕事にも携わっていたんだけど、そのせいでとある小さな会社の社長を自殺に追い込んでしまったことがあったんだ」
ボクはなんて言葉を返せばいいかわからなかった。
「そのときにボクの師匠に出会ってね。そこからかな、本当の幸せって何だろうって考え始めたのは。そして一つの結論に到ったんだ。人生を変える結論にね」
「人生を変える決断って…?」
ボクは一番の確信であるその部分を聞きたくてウズウズしていた。とそのとき
「はい、シェリー・ブレンドできたよ」
カウンターからマスターがコーヒーカップを差し出してくれた。
「そしてこっちは私から」
そこにはクッキーを二枚ずつ乗せたお皿を手にしたマイさんがいる。
「その話をする前に、シェリー・ブレンドとマイさん特製クッキーを召し上がれ」
とりあえずは羽賀さんの言う通りにするか。早速シェリー・ブレンドを一口。このとき、今までに感じたことのない衝動感にかられた。なんだろう、この感じは。そして今度はクッキーを口に。そのクッキーを湿らすようにもう一度シェリー・ブレンドを口に含んだ。甘いクッキーの味と、シェリー・ブレンドの織りなす味のハーモニー。見事な風味が口いっぱいに広がった。そして再びさっき味わった衝動感が。いや、さっきよりもより明確だ。誰かのために動いてみたい、役に立ってみたい。そういう感じがしてきたのだ。
そうか、わかったぞ。
「羽賀さん、人生を変える結論っていうのがわかったような気がします」
「ほう、よかったら聞かせてくれないかな」
「はい、自分だけじゃだめだってことなんです」
「自分だけではダメ、とはどういうことかな?」
「はい、周りの人も一緒に幸せにしていかなければいけないってことです。しかしそれは奉仕活動をしなさいという事じゃない。自分を犠牲にするのではなく、自分のも満足しながら行うことが必要。そうすることで全てがハッピーになれる。そうでしょう?」
羽賀さんは無言のままにっこりと笑っている。これが正解とは言ってくれない。けれどこれが正解だということをボクは確信している。
「じゃぁヒッキーはこれからどうしようと思っているのかな?」
マスターがそう聞いてきた。
「はい、シェリー・ブレンドが教えてくれました。とにかく周りの人のためになるようなことをやろう。そこに自分も満足できる何かがみつかるはずだ。今までは自分のためだけに成功を求めていました。けれどそんなのは真の成功じゃありませんよね」
「ヒッキー、オレも同じ事を考えてたよ。シェリー・ブレンドがオレにヒッキーと同じ事を語りかけてくれたんだ。ほら、もっと周りの人のためになる行動をとれって」
ボクは悟史が同じ事を考えていたということで、安心したと共にさらに行動意欲が湧いてきた。
「じゃぁまずは何から始めてみるの?」
マイさんのその問いかけに、ボクは即答できなかった。やる気はある。けれど何から手を付ければいいのだろうか?そのとき羽賀さんがこんなことを言いだした。
「二人とも、アメリカの鉄鋼王アンドリュー・カーネギーを知ってるかな?」
「はい、彼の本は何冊か読みました」
「じゃぁもう一度カーネギーの本を読み直してごらん。特に若き日のカーネギーの行動に大きなヒントが隠されているから」
若き日のカーネギーの行動…これを思いだそうとしたときであった。
「あーっ、わかりました。まずは今の仕事の中で周りの期待以上の働きをする。そして仕事の中に自分のよろこびを見つけ、周りを幸せにしていく。そうじゃありませんか?」
「悟史くん、正解だよ。何か特別なことを行う必要はない。今置かれている現状の中からできることを探し、そこからスタートすればいい。そこで得た信頼が君たちを次のステップに引き上げてくれるから。今度はそういう視点でカーネギーの本を読み返すといいよ」
そうか、そうだった。頭ではわかっていたつもりでも行動には移していなかった。というよりも、それを拒否していた自分がいたことに気づいた。成功を手っ取り早く手にする事だけを考えていたからだ。
「羽賀さん、マスター、マイさん、ありがとうございます。おかげで成功がなんなのか、そして自分が何をやるべきなのかが見えてきました。ボクが目指していた成功は、収入や社会的地位といったものしか目に入っていなかったことに気づかされました。それも大事なことですが、それよりも自分が、そして周りの人たちが一緒になって幸せになる。これこそが成功なんですね」
「あぁ、だからこそわたしもこうやってカフェ・シェリーをやっていられるんだよ。みんながわたしの作ったコーヒーを飲んで幸せを感じてくれる。これがわたしの成功なんだ」
「わたしも同じよ。ここに来るみんなが幸せになることがわたしの幸せ」
マイさんも同じような意見だ。
「マスター、またここに遊びに来てもいいですか?」
「もちろんだとも。いつでも歓迎するよ」
マスターはにっこりと笑ってそう答えてくれた。ボクはカップに残ったシェリー・ブレンドを再び口に含んだ。みんなが興味深そうにボクを見ている。
「ヒッキー、どんな味がしたかな?」
ボクの答えは決まっていた。
「はい、成功の味がします」
「よし、オレも」
悟史もシェリー・ブレンドを口にした。
ボクは今日、成功へまた一歩近づいた気がした。
<成功の法則 完>