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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

ネストブレイカー 

掲載日:2019/07/05

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 うええ、こんなところにもクモの巣が……雨が降っていると、余計に目立つわね。雨粒がぽつぽつくっついて。これの美しさを盛り込んだ詩や歌はあるけれど、私は苦手だなあ。ずっと前、知らずにクモの巣に顔を突っ込んだこともあるし。

 昔から虫の類ってあまり好きじゃなかったけど、クモは上位に入るなあ。何が嫌いかっていわれると難しいけど、あの異様な足の長さと立体感、狭いところもスルスル潜り込んでいく隠密性って奴、かな? 

 こうね、どの家具を動かしたとしてもひょっこり現れて、「ササササッ」と視界を横切って、逃げていきそうな印象があるの。ゴキブリとかに似ているかな。

 その姿を見かけたらもう大変よ。私も逃げるか、手に持っているものがあれば、それで叩き殺そうとしてしまうか……。この時ばかりはたとえ何を握っていても、武器として使うことにためらわない自信があるわよ。脊髄反射の域だし。

 自分が不快に思うものって「どうしてこの世に存在するんだろう」とか、考えちゃうレベルじゃない? 私も以前は更にみっともなく取り乱したけれど、おばさんの話を聞いてからは少し考えるようになっちゃってね。

 その時の話、聞いてみないかしら。


 高校生になったおばさんが、一人暮らしをしていた時のこと。

 たまたま家に早く帰ることができた平日。朝から続いた雨は昼には上がり、今はすっかりいい天気になっていたわ。けれど、気に食わないものがひとつ。

 アパート外の植え込みの一角に、クモの巣が張っているのをおばさんは見たの。葉と葉の狭い間に何回も重ね合わせたことで、繭のような形状になった糸。中央にかけて軽く下へたわむ様子は、ハンモックを連想させる。実は午前中からあったことは、無数の水玉化粧が物語っていたの。

 認識するや、おばさんは手にしたビニール傘の先を、巣へ向けていたわ。見つけた以上は始末しなくちゃ気が済まなかった。

 

 まずはジャブとばかりに、おばさんは硬い石突の部分で巣を軽くタッチ。エサがかかったと思わせて、主を表に引きずり出すことを狙った、足掛かりの一手。

 糸は「ぱゆん」と揺れて、いくつかの雨粒が落ちたり、宙を舞ったり。でも「繭」の中で何かが動く気配はない。

 今度はもっと柔らかくタッチ。糸は軽く石突部分に絡んだけれど、主はやはり現れず。それから数回繰り返しても反応はなくて、おばさんの傘にくっついたのは犠牲者と思しき、小さな「吸い殻」だけ。

 業を煮やしたおばさんは、ついに傘で巣を壊しちゃったわ。力任せに断つんじゃなくて、納豆の糸を箸で巻き取るように、傘へ巣の糸を巻きつける方法。すっかり芸術品から廃棄物へと変わった代物を、ポケットティッシュで拭う。


 ――私のそばに、こいつらの存在なんか残さないんだから!


 鼻息荒く自室へ戻って、キッチン隅のゴミ箱に、さっきのティッシュを捨てるおばさん。お風呂を沸かして着替えようとした矢先、そいつを見つけてしまったの。


 寝室として扱っている六畳間。正面より向かって左上隅のコーナー。そこに巣が張られていたの。

 今度は主の姿がはっきりと見える。爪くらいの大きさで、二分割された頭と腹。そこを中心として生える肢が八本。間違いなくクモだ。

 ぐっと息を呑むおばさん。しばし固まった後で、台所下の棚の中にある殺虫剤を取るべく、そうっと後ずさり。先ほどまでの余裕を持ったいじり具合はどこへやら。その動きは、おっかなびっくりに終始したわ。

 

 戻ってきたおばさんは、液が届くか届かないかといった距離から、殺意のシャワーを浴びせる。

 クモは動かない。これまでの経験では突然の毒に慌てふためき、じたばたもがき続けた末、足を畳みつつボールのように丸くなって、絶命の意を見せるはず。それなのにこいつは、初めと同じ不動を保ったまま。

 おばさんはじりじりと間合いを詰め、浴びせる密度を増やす。けれど壁も柱も、畳さえもがぐっしょり濡れても、クモは全然反応を見せなかったの。


 ――実は自分が見た時には、すでに死んでいた、とか?

 

 すっかり軽くなった缶を置いて、今度は傘を握るおばさん。巣に背中を預け、今だ微動だにしないクモ。その真上に先端を据える。今度はもうジャブじゃない。渾身のストレート。

 巣は一気に壊された。ついに主は動き、畳に着地。近い窓ではなく、遠い玄関の方へかさこそと逃げていく。

 追い打ちでもう一撃。狙いが逸れて、傘の殴打が畳を汚す。揺れを受けて驚いたのか、クモは軽くぴょんとジャンプ。その動きを見て、一気におばさんは総毛立った。


「このっ! このおっ! 散れっ! 散れえっ!」


 怖さを打ち消そうと、おばさんはおめき叫びながら、次々に鉄槌を下す。

 叩いてはかわし、跳ねては叩く。命がけの追いかけっこ。それがいよいよ台所へ差し掛かろうという時、傘の軌道とクモの身体が重なった。「バシン」と音がして、それっきり。逃げ続けていたはずの影は見えない。

 打って変わって、おばさんは黙りこくる。部屋のボックスティッシュから何枚もティッシュを引き出すと、傘を持ち上げながら、その真下を何度も何度もティッシュごと掴み上げて、捨てた。先端にほど近い部分に、傘のものとは違う小さくて黒い染みがあったような気がしたの。

 

 けれど、脅威は止まなかった。おばさんの部屋には、頻繁にクモの巣が姿を現すようになったの。先日、駆除したポイントはもちろん、他の部屋の隅。窓のすき間やカーテンレールの間さえも。

 クモは同じ場所へ、何度も巣を張る習性があると聞いたことがあったわ。「あの時、仕留めたはずのクモが生きていたのか」と、おばさんは傘以外に柄の長いほうきも使って、糸を駆除していく。想像よりもずっと粘り気があって、下手に絡め取ると、おばさんの力と拮抗するほどに、引っかかってしまうこともしばしば。

 その事態にいらだつばかりのおばさんは、ひたすら巣を根絶やしにすることしか頭になかったとか。


 そうして夏休み間近のある日。帰宅したおばさんは戸を開けて愕然とする。

 自室はクモの巣だらけになっていたの。これにほこりをたっぷりまぶしたならば、幽霊屋敷の一角かと見まごうくらい、見事にね。

 おばさんはため息をつきつつ、玄関わきに立てかけたビニール傘を手に取った。増し続ける糸の頑丈さは、身をもって知っている。初めから全力、と両手で握った傘を、目の前の巣へ勢いよく突き出したの。

 糸は十分に切れなかった。それどころか傘の先をいったん受け入れてへこんだ巣は、傘の石突のみ通るのを許すと、残りの糸が解き放たれた弾力のまま、パチンコのゴムのような動きで、おばさんに飛びかかってきたの。

 かわせず、顔面で受け止めてしまうおばさん。首を振ってもほどける様子は見えず、傘を放した両手でかきむしるしかない。それでもねばつく糸は指そのものにも張り付いて簡単には取れず、おばさんはもがき出したの。

 

 その背後。部屋のドアのすぐ真上で「かさり」と大きな音が鳴った。おばさんが見上げるよりも早く、目の前が真っ暗になる。暗闇の中で、荒く生臭い息がつむじから浴びせられ、頭蓋から頬にかけて、何本も極太の針を刺されたかのような痛みが走った。

 叫ぼうにもくぐもった声しか出せず、床についていたはずの足が、身体ごと浮き上がってしまう。自分の意思とは関係なく。


 ――私、咥えられている! とてつもなく大きい何かに、咥えられている……!

 

 感覚からして、まだ首の一帯までしかかじられていない。足を必死にばたつかせ、空いている手で顔の目の前を覆うものを叩いて抵抗するけど、振動が内側に伝わる様子がない。

 殴打するたび、手にはちくちくとしたとげの感触。相手は剛毛と厚い皮膚を持っているようだった。怒りを買ったらしく、食い込む痛みが一層激しくなり、おばさんは悲鳴をあげたつもりだったけど、実際にはどれだけ響いたか分からない。

 痛みのもとを引きはがそうと、首から手を差し入れようとしても、すき間がない。塞いでいるものを掴んで引きはがそうにもびくともしなかったの。

 臭気はなおも漂ったまま、頭から降りて顔を覆っていく。毒でもあるのか、四肢がしびれて力が入らなくなってくるのを、おばさんは感じたわ。

 

 ――このままじゃ食べられちゃう。もがかなきゃ! 暴れなきゃ!

 

 残った力でじたばたしたつもりだけど、もう手足が何メートルも先にあるみたいで、感覚が鈍い。それでも、あの時に逃げおおせたクモのように力を絞らないと……。

 

 そこでおばさんははっとしたわ。

 植え込みの巣を壊した時、自分はまず軽く巣に触れ、あたかも獲物がかかったように装った。主の姿を引っ張り出すために、何度も糸を揺らし、場合によってはちぎってしまったかもしれない。

 でも、部屋の中ではどうだろう。自分は糸を片っ端から壊し続けた。道具を使って何度も何度も。てっきりクモの巣を駆除したものだと思っていたけど、もしも全然違う手合いだったなら? それが今、自分に襲い掛かっているものだとしたら、糸の一部を壊し揺らし続けていたのは? 

 そしてあのクモがいくら殺虫剤を浴びせられても、動こうとしなかったのは?

 

 ――私の望み通りだったんだ。巣を揺らし続けて、主を呼び出したのは。

 

 更にぐっと針が突き立つ感覚がして、おばさんは一瞬の激痛の果てに、意識を手放してしまったわ。

 

 次に気が付いた時、おばさんは病院にいたわ。心配そうにのぞき込む家族に聞くと、部屋の戸を開けたまま玄関で気を失っていた自分を、通りかかった人が見つけて連絡してくれたとか。

 顔にはミイラになったかのように、包帯が巻かれていた。それを取り換える時、おばさんは両目をまたぐように走った二筋の赤い線と、その線上を頬から額にかけて、ぽつぽつと赤い穴が開いているのを、確認したらしいわ。数十年が経った今はもう、にきびを潰した跡と区別がつかなくなっているけど。

 例の部屋は早急に引き払ったけど、あの糸たちはもう一本も見かけることはなかったとか。

 


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気に入っていただけたら、他の短編もたくさんございますので、こちらからどうぞ!                                                                                                  近野物語 第三巻
― 新着の感想 ―
[一言] ひぇっ、卒倒しそうでした……。 あまり執念を燃やし過ぎてもいけないのかもしれませんね……。 吸い殻までにはならなかったみたいで、良かったです。
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