4話「お風呂場でばったり」
この時代の一般家庭に浴槽なんてものはないようで、みな公衆浴場に通っている。
俺は普段夜に入るのだが、こっちの世界の人々は朝に入る人がほとんどのようで、いつも広い浴場を独り占めだ。
ただし、電球なんてものがないこの世界じゃ明かりは月の光だけだが。
いつものように脱衣所で服を脱ぎ浴場への扉を開けると……そこにはナギサがいた。
「エイトさん!? なんで!? あっ、清掃中の掛札忘れてました!!」
「ごめん! 掃除しているなんて気付かなくて! すぐ出てくよ!」
「いえ、私の方こそうっかりしててごめんなさい!」
「ごめん。とりあえず出るよ」
「あっ、待ってください! あの……このまま入っていってください。お背中流ししますから」
そう言われると入らないわけにはいかない。
椅子に腰掛けナギサに流してもらう。丁寧のゴシゴシと洗ってくれる。実に気持ちがいい。
「ところで、ナギサはなぜ男湯の掃除を?」
「浴場は私の父が管理してるんですよ。今日は私が掃除の当番だったので」
「ああ、それでか。中にナギサがいるもんだから間違えて女湯に入ったのかと持ったよ」
「この時間だと多分誰もいないですけどね。エイトさんはよく夜に入られてますよね」
「ああ、なんというか習慣でね。一日の疲れをさっぱりさせるんだ」
「へー。そういう考え方もあるんですね」
ナギサの手がしばらく俺の背中から離れる。後ろでなにかしているようだ。
「知ってますか? 魔力って体を接触ささせることでちょっと相手にあげたり出来るんですよ」
そんなこともあるのか。そういえばブラストと契約した時もそんな感じだったな、なんて思っていると。
ムニュ。背中に柔らかいものが当たる。いや明らかに当ててきている。
それにこの感触は明らかに素肌だ。
「あのナギサさん……? 一体何を? それにさっきまで服を着てたと思うんだけど」
「エイトさんの魔力をちょっと受け取って魔法を使えるようにならないかなって。体も洗えて一石二鳥ですよね」
いろいろとおかしい。
「でも別に全身でくっつく必要はないんじゃないかな! ほら手を合わせるとか」
「手だけじゃ駄目です。接触する面積が大きければ大きいほどいいって本に書いてありました。でも裸で抱き合うなんてさすがに恥ずかしいので……」
この状況が恥ずかしくないというのか。
「あ! こっちは見ないでくださいね」
ナギサが全身と使って俺の背中をくまなく洗っている。それを感触だけでなく、目で捉えてしまったらおそらく自制心なんてものは吹き飛んでしまうだろう。
平常心。それだけを意識して耐え続ける。
死んだ魚のような目をしていた仕事をしていた時のことを思い出せ。
今背中のどこに当たっているかなんて考えちゃいけない。
だが、そんなことができるはずもない。
泡立ちの悪い石鹸のおかげで余計に俺の背中を刺激する。今どこに触れているのかそれが直に感じられてしまう。
上、下、上、下。ナギサがリズム良く動く。時にはゆっくりと時には激しく。少しでも接触面積を増やしてより多くの魔力を受け取れるように体全体を押し付けてくる。
そしてまた力強く上下運動を繰り返す。
きっと本人は、卑猥なことなど一切考えず、俺の背中を全身を使って洗うことを考えているだけなのだろう。
だが、それが逆に俺の意識を刺激する。
やばい。限界が近づきつつある。
「ふう。じゃあ流しますね」
5分経っただろうか、もしかしたら1時間経ったかもしれない。ナギサが桶に汲んだお湯を俺にかける。
こうしてこの永遠にも思える地獄のような天国を耐え抜いた。
ナギサが出ていった後、俺はゆっくりと湯船に浸かっている。不覚にもたまにナギサの柔らかい感触を思い出したりしながらも、人生の意味とか宇宙の真理とかそういうことを考えて少しずつ冷静さを取り戻していく。
いや無理だ。あの柔らかさを忘れるのは無理。
このままでは永遠に湯船に浸かっていることになりそうなので、のぼせないうちに出ることにした。服を着て脱衣所から屋外に出る。
そこにはナギサがいた。
「もしかして俺が出てくるのを待っていてくれたのか?」
「もうちょっとお話がしたくて」
「そのーなんだ、ああいうことはもうちょっと親密な仲になってからの方がいいんじゃないかな」
ナギサの顔がゆでダコのように真っ赤になる。
「私も、あれは反省してます……。昔からちょっとやりすぎちゃうところがあって……」
ナギサは少し思い込みが激しいところがあるらしい。それはひたむきと言い換えてもいいだろう。たとえ魔法が使えるようにならなくても諦めずに本を1冊丸暗記してしまうほどだ。だが、下手をしたら誰かに利用されかねない。
誰か正しい方向に導いてやる存在が必要だ。誰か……、いや俺が。
「お互いのために、忘れようか」
「そうですね! ぜひそうしてもらえると助かります!」
なんとなく気まずい雰囲気になって会話が続かない。
しばらくしてナギサが口を開いた。
「エイトさんは、魔法学校に行く気はないんですか?」
「魔法学校?」
「王都にある魔道士育成のための学校です」
ちゃんとそういう学校があるんだな。しかし、王都か。かなり遠いということだけは聞いているが、実際にどれだけの距離か見当もつかない。
正直、俺としてはこのままここでナギサと楽しく暮らせたらそれで満足ではあるのだが、どうやらナギサはそうではないらしい。
「ナギサは行きたいのか? いいんじゃないか。応援するよ」
「私は魔法学校でこの村の皆のために便利な魔法をいっぱい覚えてきたいんです。でも入学するには魔法を使えないと駄目で……。それにやっぱり一人っていうのも心細いですし……」
「そうか、じゃあ、明日からも魔法の練習頑張らないとな。ナギサが魔法学校に行くなら、せっかくだし俺も一緒に行くことにするよ」
「はい! ありがとうございます!」
ナギサが満面の笑みで俺に感謝してくれている。
ナギサのためだ。明日からの魔法の特訓も一層気を引き締めて取り組まないと。
ブラック企業で働いていた頃には考えられない、とんでもなく充実した毎日だ。