1話「星の降る丘で竜と会う」
この光景を生涯忘れることはないだろう。
空一面の流星群。それが異世界に来た俺が最初に見た光景だった。
俺の名前はエイト。本当は須藤瑛人という本名があったのだが、元の世界への未練を断ち切るため、名字も名前の漢字も捨てることにした。
なぜこんなことになったのかと言うと、元々ブラック企業で働いていた俺は……
いや、この話は愚痴が多くなるから後にしよう。ともかく俺は、異世界に来た。
俺が元の世界で死んだ時、正確には死の直前だが、女神に救われこっちの世界に飛ばされた。圧倒的な魔法の才を与えられて。
コンクリートに囲まれた世界の濁った空とは全く違う。
本物がここにある。
さた、初めて見る異世界の景色をひとりしきり堪能した。確かに綺麗。綺麗だ。
だが、あまりにも何もない。あたりはどこまで見渡しても草原しかない。
どうしろと。せめて人のいる場所の近くに転移させて欲しかったと思ってしまうのは贅沢なんだろうか。
女神に対する信仰心が低下していくのを感じながら、行く宛もなく歩き始めた。
どのくらい経ったただろうか。元の36歳の身体では辛かろうと、十代の肉体に戻してもらってはいるが、長時間歩いているのは流石に堪える。というか死ぬ。
それに、魔法の才は与えられたが、肝心の魔法の使い方を教えてもらってない。MPはカンストしているが、魔法を1つ覚えていない魔法使い――それが今の俺だ。
もはや、ここで死んだらまた女神が助けに来てくれるかな、なんてこともまで考え始めてしまっている。結局俺は何をやってもダメなのか。
そんな絶望感に支配されかけていたころ、空から何かが地上に落ちてくるのを目撃した。落下してきたそれは、地面に衝突し大きな音を響かせる。隕石だろうか。
もしかしたら、誰かがこの落下物を確認しに来るかもしれない。そんな根拠のない淡い期待にすがるように、それが落下していった方角へ走り出した。
空から落ちてきたのは、ボロボロの黒い鎧だった。なぜ? という問が頭の中を駆け巡る。周りの地面が大きく割れている。これが落下物の正体であることには違いないだろう。せめてもう少し詳しく観察しようと、その鎧に近づいた。
「よう」
その声は明らかに鎧から発せられたものであった。鎧は続ける。
「見た所かなりの使い手のようだな」
「お前は一体何なんだ!? 空から落ちてきたみたいだが、大丈夫なのか?」
「オマエにはこれが大丈夫に見えるのか? そこで相談だ。オレと契約する気はないか?」
契約。元の世界ならともかく異世界でのこの言葉には心惹かれるものがある。
だが、相手は得体のしれない存在だ。おいそれと契約を結ぶ気にはなれない。
「契約するとどうなる?」
「オマエの魔力がオレに供給されるようになる。そのかわりオマエはオレの魔法が使えるようになるだろう。人間基準で考えればかなり上位の魔法のはずだ」
聞いている限りだとそう悪い話でもなさそうだ。あとは、自分の目でこいつの実力を確認して決めようか。
「わかった。だが、見せてくれお前の力を。それで契約するかどうか決めさせてくれ」
「出来れば体力は消耗したくないんだがな」
そう言いながら、鎧はゆっくりと立ち上がり、手を前に差し出す。
次の瞬間、一瞬風が吹いたかと思うと、眼の前を覆い尽くすほどの巨大な竜巻が発生していた。
それを目にして直感する。この世界のことは何も知らないが、明らかにこいつは規格外だ。
こんなのが何体もいたらとっくに世界は滅びている。
「契約成立だな。どうすればいい?」
「どこでもいい。オレに触れろ」
どこでもいいと言われても、こいつは俺の倍近い身長がある。足くれいしか触れる場所がなかった。まあ、そんなことはどうでもいい。
さあ契約だ、そう思った瞬間、周囲が光りに包まれた。そして、脳に言葉が流れ込んできた。
わかる。これは呪文だ。魔法を発動するための。
契約はつつがなく終了した。なんとなく力がみなぎってきている気がしないでもない。
「そういえばまだ名乗ってなかったな。俺の名前はエイトだ。お前は?」
「名前? そんなものはない」
「名前がないと不便だな……。じゃあ、お前は『ブラスト』だ。意味は突風」
「好きに呼べ。オレたち竜にはどうでもいいことだ」
どうやら気にいってもらえたようだ。
ん?
「お前竜だったのか?」
「見てわかるだろう」
「普通の人間よりもはるかにでかいことはわかるけど、それ以外のことは鎧に覆われて何もわからないんだが……。せめて鎧の中を見せてくれないか?」
「中? これがオレ自身だ。中にはなにもない」
そんな馬鹿な。屈んでもらい隅々まで確認する。どこにも継ぎ目がない。
試しに体を叩いてみたところ、コーンと中の空気を震わせる音がした。
どうやら本当に鎧自体が本体のようだ。
しかし、こうなると竜要素がほとんどない。広げてないときにマントのように見える翼以外はどことなく顔が竜っぽい気がする程度だ。
「この世界の竜はみんなこうなのか?」
「まさかオマエ竜を見たことがないのか? てっきり上級魔道士かと思っていたが……。その様子だと竜について何も知らないようだな」
「ああ知らないよ。だから、教えてくれ」
「大半の竜は姿も行動も今いる動物とそう大きくは変わらない。オレのような竜はほとんどいないはずだ。そして、竜とそれ以外が一線を画するのが竜は姿かたちを変えて転生するということだ」
「転生? 死んだら異世界にってことか?」
「? 何を言ってるんだ? 異世界なんてあるわけがないだろう。死んだ竜はいずれその場所で生まれ変わる。転生するたびさらに強くなってな」
そういえば、詳しいことは忘れたが、ベニクラゲという不老不死のクラゲがいるなんて話を聞いたことがある。この世界の竜もその類なんだろうか。
しかし、転生する度に強くなるって、下手したら無限に強くなれるんじゃないか?
「食われたらどうなるんだ? 転生できるのか?」
「何の影響もないな。死んだ後に食われようが、どこかに運ばれて厳重に管理されてようが、必ず死んだその場所で転生する」
「ちなみに転生までかかる時間は?」
「さあな。はっきりしたことはわからん。だが、大陸が変わるほどの時間がかかったことはないな」
転生までに大陸が変わるほどの長い時間がかかったことはない、それはつまりそのくらいの時間を生きていたということを意味している。
「お前一体いつから生きてるんだ……?」
「昔のことはもう忘れた。だが、少なくとも人類が誕生するずっと前からこの姿だ」
スケールが違いすぎる。ここまでくると、むしろ誰にやられて空から落ちてきたんだろうか。
「相当長生きなんだな……。ところでなぜ傷だらけだったんだ?」
「ああ、オレが宇宙で寝てたら、いきなり大量の岩が押し寄せてきてな。捌き切れなかった」
宇宙。しかも隕石群に巻き込まれて、地上まで叩き落とされても、致命傷にはならないときた。化物と言うほかない。
「もういいか。オレはそろそろ帰るぞ。地上は狭苦しくて性に合わん。それと、何かあったらオレを呼べ。オマエとオレはもう一心同体だ。死なれては困る」
「ああわかった。もしもの時はそうさせてもらう。あ、そうだ、最後に、この近くに人がいそうな場所があったら教えてくれないか?」
「……。人間のことは知らん」
そう言い残して、翼を広げ飛び去っていった。
……。
こうして俺は竜と契約を交わした。