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呪われたJOKER  作者: 七氏
3/5

峰花探偵事務所

 標的を殺害するにあたっては、当たり前なのだが、標的に関する情報をできるだけ掻き集めることが大前提となる。性格、日課、交友関係、職場関係、勤め先、よく訪れる店。標的の行動パターンから、素早く殺せるタイミングを見計らう。

 白い封筒には現金二十五万ガルの他に、標的の顔写真とDNAデータ、それに指紋データが記載された紙が、ご丁寧にも三つ折りで同封されてあった。これらのデータに一致する人間を殺せという指示だ。あの金縁眼鏡の華地山が探偵でも雇って調べたものなのだろう。事前情報とは有り難い品である。

 指紋データによる捜査は、二〇六七年の現在になっても有力な身元の割り出し方として、根強く支持されていた。個体によって異なるその符号は、検出方法が手軽で、証拠能力にも圧倒的に優れているため、俺のような人間もよく利用することがあった。殺しの証明として用いるためだ。

 さて、今回の標的は沢田有介という男である。分かっているのは、「高観教の信者で、極秘研究グループの指揮を執っている」という情報だけだった。これでは駄目だ。やはりその道の人間に依頼して詳細を知る必要がある。俺は丁度、身近な探偵を一人知っていた。


 午前中の峰花探偵事務所には、淡い日光と部屋の陰影が溶け合ってグラデーションが作り出され、哀愁のようなものが漂っていた。客の来る頻度が少ないために、天井に設置されたLED照明は普段から出番がないらしい。依頼者が入ってきたら暗い事務所が広がっているというのもどうかと思うが、彼女は気にも留めていない。

 俺は彼女に、沢田についての情報を洗い出して欲しいと頼んだ。


「沢田有介?」

 峰花由美はピンク色のパイプ椅子に座って、コーヒーを啜りながら怪訝な顔をした。

「ちょっと身元とか経歴を洗ってほしんだが」

「何のために? 殺しの標的?」

 殺し屋に関することは伏せておこうと思ったのだが、すぐに見抜かれてしまった。ちなみに俺が殺し屋であることは、付き合っていた頃から彼女に把握されている。殺し屋と知って恋愛をするとは、彼女もとんだ物好きである。

 女の勘は侮れない。ここで嘘をついても怪しまれるだけなので、

「まあそんなところだ」と無難に返しておく。

「やっぱり。沢田さん殺されちゃうんだ」

「仕事なんだから仕方ないだろう」

「可哀想だなー。殺されて良い人間なんてこの世に居ないのに」

「ホントか?」

「ホントホント」彼女は至って真面目に頷いた。「だからアンタのやってることは果てしなく罪悪だよ。果てしなく反省しないと」

 彼女の唇はまたマグカップの縁に触れた。

 分かっている積もりであったが、正面から全否定されると流石にやるせなくなった。俺は決して快楽のために殺し屋をやっているわけではなかった。無性に言い返したくなって俺は口を開いた。

「シリアルキラーだったら殺されても良いんじゃないか」

「いや……それはアンタの主観じゃん」

「どういうことだ」

「殺されても良いんじゃなくて、殺して欲しいんでしょ」

「何が違う」

「分かってない」

 彼女は口に溜まったコーヒーを完全に飲み込むと、呆れたように首を横に振った。

「シリアルキラーは不遇の幼少期を過ごした人が多いんだって聞いたことない? 両親からの性的暴行とか、ネグレクトとか、もう目も覆いたくなるほどの虐待とかさ。それで脳の仕組みが変わっちゃったから、結局、内なる虚無感を一生抱えながら生活しなきゃならなくなるんだよ。彼らも必死だと思うよ? ザリガニが共食いするのと同じように。そういうの考えたことない?」

 ザリガニの共食い。例えが残酷で異様だ。それに、連続殺人犯を擁護するような趣旨の発言には、俺の理解が伴わなかった。彼女は普通の神経をした人間ではないのだろうかと疑いたくなる。まあ、殺し屋と付き合うくらいなのだから、それくらい最もなことかもしれない。

「共食いしちゃうような狂った人間が生み出されたんだよ。彼らは人間社会の失敗作だから、ヒューマンエラーならぬ『エラーヒューマン』だからさ、それがただ際限なく残念ってだけ」と由美は付け加えた。

「……失敗作だから何人もの命を奪って良いとでも?」

「そんなこと言ってない……ってかアンタも人のこと言えないじゃん」

 指摘されて気が付いた。俺も殺し屋だ。

「あのね、幾ら私でもシリアルキラーを正当化する積もりはないから。さっきも言ったでしょ、殺されて良い人間なんて居ないって。絶対的に許されることじゃないよ。シリアルキラーさんには遺族の無念や被害者の苦痛を背負い続けて欲しいと思う。死刑になるまでね」

「じゃあ、俺も背負い続けるべきってことか?」

 彼女は少し首を傾けた後、急に毅然とした態度で、

「それはもう背負ってる」

 その通りであった。

 俺はシリアルキラーとは根本的に質が異なっていた。何の恨み辛みもない人間を、人から頼まれて理性的に処理しているだけだ。しかも殺害方法は小型ピストルで一発。死体は放置。屍姦とかカニバリズムとか、死体をバラバラに切り分けて冷凍保存しておくとか、そんな趣味は断じて持っていない。

 それでも俺は、言い訳できないという状況を痛烈に重く感じていた。彼女はそれを全て悟った上で物を言っている。鋭敏な感覚の持ち主だと思った。彼女は昔からこうだった。

「で、何だっけ、沢田有介?」峰花火は唐突に話を元に戻した。

「おう」

「良いよ、調査してみる」彼女は案外簡単に了承してくれた。

「良いのか」

「但し借用証書にサインお願いね。ホントなら調査費支払って貰いたいんだけど、どうせ一文なしでしょ」

「いや、百万ガルある」

 俺がそう否定すると、彼女は目を見開いて驚いた。

「あ? いつの間に何でそんな稼いでんの? まさか腎臓売った?」

「そんなわけあるか。殺しの依頼の前金だろ」

「あーね。んじゃ普通に取るよ」

「何ガルくらいだ?」

「一時間四千ガルになります。何調べれば良いんだっけ?」

「沢田の身元とか身辺、経歴をできるだけ詳しく掘り下げて欲しい」

「曖昧だなー。まあ取り敢えず前払い二万ガルで。余分になったら返すから。オーケー?」

 意外と値が張るなと思ったが、二ヶ月程前の極貧生活で金銭感覚が狂っているから、そう感じてしまうのかもしれないと思い直した。俺は自分のコートのポケットから白い封筒を取り出し、紙幣を二枚掴んで素直に彼女に差し出した。二万ガルを受け取った彼女は「契約成立ですねえ」と言って、至極ご満悦といった表情を浮かべた。

「いやあ、この瞬間のために働いているようなもんよ」

 客に向かってよくそんなことを言えるなと、別の意味で感心した。

「ちなみに事前情報だが、沢田は高観教の信者で、極秘研究に携わっているということだ」

 極秘研究に……の辺りで、生き生きしていた彼女の目が更に輝き始めた。峰花の特徴の一つとして、彼女は浪漫の絡んだ事物に弱かった。SFやオカルト、幽霊等の不可思議な現象に牽引されるような心を持っていたのである。

「……極秘研究!?」

 希望の光が射し込んできたような声だった。

「細かいことは分からないが、研究グループの指揮を執っている人物だと依頼者は言っていた」

「え、ちょっと待って! ヤバイ! めっちゃテンション上がる! 何その現実離れした感じ!」

「おい、期待を膨らませるのは程々にしておけ」

「いや、分かってるけどさ……。これで何日もの張り込みにやっとやり甲斐を見出だせるって思うと……」

 彼女はまた頬杖をついて、今度は眠そうな目でうっとりしたような表情を見せた。つくづくコイツは変わっていると思う。

「……極秘研究は良いとして、宗教絡みなのは厄介だろうな」と俺は意図的に話頭を逸らした。

「それは私も思った。高観教の信者かあ。何の得があるんだか」

「天界から事物を見下ろすような観念が、人生の幸福を生むんだとよ」

「……なんじゃそりゃ」

「高観教の教義だそうだ」

「何か、全部分かってるようで結局分かってないような教えだね」

 どういう教えなんだと問いたくなったが、適格な表現ではあると感じた。

「あんな宗教で、本当に人生が幸福になるのか甚だ疑問だ」

「……まあ、宗教を盲信することによる幸福感は否定できないけどね」

 彼女は顔をしかめながら、自分の髪の枝毛を両手でちまちまと直し始めた。

「よく言われるけど、『信じる者は救われる』って言葉は確かに事実じゃん。だって、どんなに高いお布施を取られても、信じる限りは心の拠り所があるからさ。まあ個人的には、宗教団体なんて大嫌いだけどね。一部の信者が騙されてて可哀想だし、そもそも殆どの宗教団体は神に寄り掛かる生き方が良いとか言ってるけど、寄り掛かってたら自分が成長できないし」

 俺は黙然と耳を傾けた。彼女には、ある事柄に関して長々と持論を語る癖があった。

「それに比べたらブッタさんは凄いよ。無の境地を悟ったのはかなり大きくて。最近は瞑想が脳科学的にも良いって論文があるくらいだからね。マインドフルネスって言うんだけど、頭の中を空っぽにするだけで脳の無意識的な活動が…………ああ、喋り過ぎた?」

「いや、今日はまだ短い方だった」

 彼女は社交辞令や過剰な気遣いを好む質ではなかったので、これくらい言う方が丁度良いと俺は判断した。

 彼女は自嘲気味に微笑したが、それがもっと発展して、からからという笑いになった。

「はい、やめよう。沢田有介ね。手を尽くしてみます」

「そうしてくれ」

 俺がそう言うと、彼女は「任せろ」と言ってゆっくりと頷いた。

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