表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
呪われたJOKER  作者: 七氏
2/5

殺し屋<JOKER>

 派手なペルシャ絨毯が敷かれて、古色を帯びた机と椅子が置かれた部屋で、俺は一人の男に招かれていた。窓一面が光を放っていて、眩い昼下がりであった。

「こんにちは」と男が言った。

「どうも」と俺は挨拶する。

 金縁眼鏡に整った顔。鼠色のスーツを着込んでいる。一見上品そうな三十代くらいの男だ。差し出してきた名刺を見ると、「新春月(しんしゅんげつ)悟観師(ごかんし)華地山(かじやま)索孫(さくそん)」とあった。大変分かりにくい名前である。

 新春月教。二〇三〇年頃から現在まで続いている大きな宗教法人だ。俺は名刺に印刷されたその文字を見て、少なからず驚いた。一緒に記載されている「悟観師」とはどういう身分なのか分からないが、きっと幹部クラスの人間なのだろう。富裕な空気の滲み出る風貌からしても、下っ端の人間とは思えない。多額の報酬が期待できるのではないかと思った。

 胸のつかえが下りたような気がした。

 やっとだ。やっとまともな仕事が回ってきた。



✳ ✳ ✳



 俺は二ヶ月前くらいから、食うものにも困るくらいの絶望的な生活を送っていた。衛生状態の悪そうな安アパートで暮らし、そこら辺をブラブラ徘徊して胃の膜が地の底につくほどの空腹を何とか紛らし、高級住宅街のゴミ箱を漁って高そうな廃棄物を売り飛ばし、回らない首をどうにか回してきた。スチール缶や、無傷の有機ELモニターや、昭和六十二年の五十円玉硬貨を血眼になって探してきた。安アパートが潰れたら、公園での野宿は当たり前になった。生きるために、殺し屋としてのプライドはドブに捨てた。

 他のまともな仕事に就くことはできなかった。俺が殺し屋をしていた数年間は、空白の期間と偽らなくてはならないため、面接で落ちる可能性が格段に高いのだ。仮に入社できても、どす黒い経歴を見破られて解雇される。従って日雇いバイトが精一杯であった。世間から信用を失った俺に足を洗うチャンスはない。最初から覚悟していたこととはいえ、他の仕事で稼げないのは骨身に応えた。生活保護も必要最低限かそれ以下の額まで削られていて、税金の無駄遣いどころか、駄菓子さえ易々と買うこともできない。最近の行政は辛辣だ。近年の不況で炊き出しにもありつけない。

 おかしいと思った。一年前程の俺なんか、そこそこ有名な暗殺者として知られていた筈だ。それがどうしてだろう。不遇な運命を呪ってやりたかった。

 原因は仲間割れだった。暗殺の報酬金を巡って争い、俺を含む四人の殺し屋グループがバラバラになった。一人でできることには限りがあり、複数の人間が連携しないと暗殺の成功率は大きく下がる。無理に一人で活動するにしても、正直警察組織の存在が怖かった。そこで俺は新しい仲間を探そうとしたが、容易に見つからずに半年が過ぎた。グループを解散する前までは、海外サーバーの複数経由で殺し屋の存在を宣伝する役割の人間が居たのだが、独りになった俺はどうやって顧客を獲得すれば良いか分からなかった。かと言って、暴力団と関わって暗殺をこなす気にもなれなかった。俺の殺し屋稼業は幕を閉じたとしか思われなかった。今思えば、殺し屋という職業からひたすら逃げたかったのかもしれない。

 やがて、俺の生命も幕を閉じようというところまで来た。ボロボロの衣服。力の入らない痩せた筋肉。霞む視界。生きるあてもないギリギリの生活が一ヶ月程続いた。


 栄養失調気味になって気付いたら、俺はズタズタの身体を引き摺りながら、大勢の人間で賑わう繁華街を放浪していた。隣で自信満々な光を放つ高級料理屋や腕時計屋を見た。空に聳える大企業のビルやモノレールの駅を見た。俺とは一生縁のない世界なのかもしれない、何故かそう思った。

 そこで、チラリと道路の反対側を見たときだった。ある人影が俺の目に留まった。女性の姿だ。こっちを向いている。俺はその顔に見覚えがあった。八年前に別れた彼女の目鼻に酷似しているのであった。

 考えるより先に行動しているとは、こういうことなんだろう。気づけば俺は、慌てて勢い良く人混みを掻き分けていた。ここで彼女を見失ったら、もう二度と会えなくなるのだという強烈な直感が働いたように思われた。それから緑の光がチカチカと明滅して、今まさに通行の機会を締め切りそうな横断歩道を、全速力で駆け抜けようとした。それが災難だった。

 右から大きな大型トラックが轟音とともに飛び込んできた。多分信号が赤になっていたから、俺に非があるように思う。当然逃げようとしたが、急に目が眩んだかと思ったら、燃料切れみたいに膝に力が入らなくなった。そのまま俺は体勢を崩して転倒した。無理もなかった。今日までの四日間、俺は何にも口にしていなかったのだから。トラックの強烈なヘッドライトに照らされた刹那、自分自身がグチャグチャの轢死体になるという想像図が脳全体を駆け巡った。一瞬、まあいいかと思った。このまま死んだ方が楽に相違ないであろう。

 突然、誰かに身体を思い切り掴まれて、その場から強力なエネルギーで引き摺り出された。

 我に返って歩道へ逃げ延びた俺は、そばに立っていた人の顔を見た。命の恩人は先程の、八年前に別れた彼女だった。名前を峰花(みねはな)由美(ゆみ)と言った。背後に繁華街の眩い光源を受けて、暗くなった彼女の物凄い形相を、俺は畏敬の念とともに眺めた。


 初めて俺の姿を見た元カノの峰花由美は、骨と皮だけの痩せこけた顔と、酷く衰弱した意識を持ち合わせた俺を見て、息を呑んだ。第一声は、「何、どうしちゃったのアンタ」だった。人違いだと言われないだけマシだと思いたい。

 その彼女の家のリビングで、俺は、由美が個人で探偵事務所を営んでいることを知った。

「探偵か。お前らしいな」

 俺は峰花が料理したスパゲティの旨味を噛み締めながら、ひたすら有り難いと心の中で繰り返しながら、彼女との会話を楽しんだ。

「まあ夢だったから」

「どうだ、推理小説みたいな経験はできたか」

「いや普通に無理だって。不倫調査とか素行調査とか、つまんない仕事が殆どだし、疲れるだけ。金のためだけに働いてるって感じですかね」

 客に対して流石に失礼ではないかと思ったが、口には出さない。

「同じだな。俺も金のためだけにスチール缶拾ってたよ」

「……アンタホントに墜ちたね。大丈夫?」

「大丈夫なわけがない……」

「何であんなとこで倒れたの」

「鬱っぽくてな。四日くらい何も食えなくて、吐いて……栄養失調気味というか」

「うわ……」

 部屋の空気が悪くなった。嘲笑されたほうがまだ幸せだったと本気で感じた。

「笑ってくれよ」

「いや、流石に笑えないって」彼女はいかにも深刻そうな声色で言った。


 俺が由美の家に転がり込んだのは、その一日だけであった。次の日からは「元殺し屋と一緒にいるのが不安過ぎる」という由美の一方的な主張と、寝られる場所が欲しいという俺の必死の懇願によって、俺は、彼女の持つ事務所『峰花探偵事務所』に寝泊まりすることになった。

 間もなく俺は由美に頼み込んで、殺し屋の個人サイトを開設して貰った。決めるのに唯一長時間を要したのはユーザー名だ。峰花探偵事務所のデスクに向かって一日中考え込んだのだが、中々良いものが閃かなかった。そこでふとデスクの隅に目をやると、プラスチックのパッケージに収められたトランプが無造作に置かれてあった。そうだ、と思って空欄に<JOKER>と打ち込んだ。後で聞くとそのトランプは、由美が独りで七並べをやるために使うものだということが判明した。あまりに物淋しい遊戯だ。

 そうして俺は、暗殺者としての生活を再開した。

 当然俺は、財産的にも、肩書き的にも、由美に文句を言う権利を有していなかった。水道代、光熱費、食費、全部由美の金だ。俺は立派なヒモになったのだ。俺の健康で文化的な最低限度の生活は、あの日から、彼女の信頼の上に成り立っていた。この借りは何が何でも返さねばならない。由美の家で、彼女と俺の間に無言のうちに交わされた約束を、無事に履行せねばならなかった。

「儲けなければ由美に顔が立たない」

 ただその思いだけが先行していた俺にとって、その男の登場は大いなる朗報であった。



✳ ✳ ✳



「ある人物を殺して貰いたいのですよ」

 その男は、狡猾そうな視線を俺に向けてきた。そう来なくてはならない。

「手短に頼む」と俺は言った。

沢田(さわだ)有介(ありすけ)という高観(たかみ)教の信者なんですけれどね」

 「高観教」という名前には聞き覚えがあった。集中豪雨で毎年甚大な被害を被り続けている北関東の人々の不安感を貪りながら、その勢力を拡大し続けている新興宗教のことだ。避難所に駐在していた復興ボランティアが「天界から事物を見下ろすような観念が、人生の幸福を生む」という教えを説いたことから始まった。後に教祖になったボランティア活動員は、被災者だけでは飽きたらず、付近の大学からも信者を大量に呼び込み、信者一人一人から高額の「お布施」を搾取して私腹を肥やしている。高観教の関係者でも何でもない俺は、ただ胸糞が悪いばかりだった。

 殺す人間の情報が気になった。

「顔写真は」

 華地山は懐から一枚のカラー写真を取り出して、俺に渡した。そこには太い眉に角張った顔の中年の男が写っていた。肌の色が白いな、という印象を受けた。

「彼はただの信者ではないんですよ。高観教にね、極秘研究施設があるのをご存知ですか?」

「……何だそれは」

「内部関係者からの垂れ込みがあったんです。彼は今、高観教が所有している尚川町のC棟という建物で、極秘研究グループの指揮を執っているらしいのです。若手の信者を集めて危ない研究をやらせているといいます」

 彼は目を伏せながらそう述べた。その説明に、俺は思い当たることがあった。高観教は、高学歴の連中ばかりを誘いたがっていることで有名だ。そのやり方は巧妙で、予備校を装って体験授業を組んだり、大学に宗教サークルを作って大学生の信者に勧誘させたりして、周りからじわじわと洗脳していくのである。そうして獲得した信者の中から頭の良い奴だけを引き抜いて、別の施設に飛ばしているという話は、俺も何となく噂で聞いていた。

 ただ、研究施設云々については初耳だった。俺は正直その話に確証が持てなかった。最悪、この男の妄言ということも有り得る。

「C棟の場所は?」

「大分田舎の方で愛沢図書館という建物から西に行ったところにあります。高い塀が築かれているので、行ってみれば一目で分かると思いますよ」

「そうか」

「前金で百万ガルです」

 華地山はそう言うと、持っていた鞄から白い封筒を取り出した。百万ガル。二ヶ月前まで粗大ゴミで糊口を凌いでいた俺にとっては、あまりの大金だった。思わず口元が緩みそうになるが、何とか平静を装う。

「そうか、有り難い」

 礼を言って封筒を受け取ろうとすると、突然彼の手が止まった。

「お願いできますね、<JOKER>さん」

 彼は封筒の一端を握ったまま、鋭い視線を俺に向けてきた。俺はしばらく目を合わせる。この期を逃してはならなかった。

「約束は守る」俺は声を低くしてそう言った。

「分かりました」

 白い封筒が即座に俺の手に渡った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ