その5 「隠密活動失敗」
・・・一瞬で見つかってしまった。
俺の気配の消し方は一級品だと思っていた。
現役のころは学校でも街中でも、誰にも声をかけてもらえなかった・・・、いや、声をかけられずに済んでいたから、自分には気付かれない妙な才能があるという自負もあったのに。
不法入国を誰にも気付かれないために、俺は周囲の雰囲気にあわせようとこっそり辺りを伺いながら歩いていた。ここまでは完璧だっただろう。
しかし、失念していた。俺は上にトレーナー、下にジャージというほぼ部屋着みたいな格好でここに連れてこられたのだ。そりゃ周りの雰囲気から浮きもする。
そうして俺は、外国人に目を付けた売り子に目をつけられてしまった。
声をかけてきたのは、どうやら果物屋の娘らしい。
ショートヘアのその少女は手に洋梨のようなものを持って、おそらくセールストークを繰り広げていたのだろう。今思うと結構可愛らしかった。
しかし案の定さっぱり理解できない俺は、それどころではないパニックに陥った。
気前よく商品を買えばこの娘は満足して去っていくのだろう。
しかし、俺はここで使える貨幣も持っていなければ、それを説明する語学力も持っていないのだ。
なんとかジェスチャーで断りをいれようとした俺だが、少女はそんなことおかまいなしに話しかけてくる。
このまま道のまん中で問答をしていれば、周りの人間も俺に話しかけてくるかも知れない。
そのまま目立ち続ければ、警察か何かが俺を不審者として取り締まるかも知れない。
そうなったら俺は身分証明をせまられるだろうが、当然証明できるものなど持ち合わせていない俺はそのまま・・・。
・・・まずい。
まずい。
このままではまずい!
緊張がピークに達した時、とある光景が頭をよぎった。
暗闇を歩く自分と、その背後に出現し続ける壁のようなものだ。それは以前、ここに来る前の俺がよく夢に見ていたものだった。
精神的に参ってくると頭をよぎるので、今回も「またか」程度に思っていた。
少女は依然話し掛けてくる。
俺もジェスチャーと通じないと分かっているうろ覚えの英語で対応を試みる。
そのたびに頭の中の俺が前に進み、壁が一枚、また一枚と増えていく。
「今はそんなことを考えている場合じゃない」と、少女にどうにかお引き取りいただくことに集中しようとしたその時、頭のなかに、バタバタバタと何かが倒れるような音が鳴り響く。
それは初めての感覚だった。
なんだこの音・・・?
今までに頭の中でこんな音が聞こえたことは無い。俺は平常心のつもりだったが、動揺が態度にも出てしまっていたらしく、少女は首をかしげている。
バタバタバタバタバタ!
音がどんどん近付いてくる。
どこから聞こえるんだこの音は。そう言いたげな頭の中の俺が後ろを振り返った瞬間、気配だけ感じていた壁がこちらの倒れてきていた。
直感的にもう逃げられないと分かった。
意識の中の俺が歩いた跡に立っていた壁は全て倒れ、その様はきっとドミノ倒しのようだったのだろう。
自分の真後ろ、一番新しい壁が妄想の俺を押しつぶしたと同時に現実の俺も気を失って卒倒したので、ここから先は推測になるが、
きっと俺が親や先生に言われるがまま現代日本で築いてきた物事や、あるいは俺自身は、このとき全てが倒れて崩れ去ってしまったのだろう。
新しい自分が再スタートした瞬間だった。
やっとヒロイン登場だけど、見た目も名前も分からないっていう・・・。