その4 「隠密活動開始」
精神的な余裕を失った俺はまたもや暗闇に投げ出されたような気がした。
しかし、国道で"なにか"に弾き飛ばされた直後のように視界が暗くなっていった訳ではない。むしろ俺の目は周囲の状況を正確に捉えていた。
だからこそより焦る。
もともと俺は頭が良い方ではなかったので、ふと湧いた根拠の無い不安を頭の中だけですぐに拭い去ることができず、それなのに俺の視覚は脳内に新しい情報をどんどん送ってくる。
例えば露店の一つには奇妙な魚の干物のようなものがぶら下がっているし、道行く人の中には帯剣している人もいる。
大道芸師は火の玉でジャグリングをしているし、少年が二足歩行のトカゲを散歩させていた。
この訳の分からない状況から抜け出す為に何かしなくてはと必死に考えようとしたが、目を向けた先には必ず初めて見るものがあり、それらはマイナスの妄想に拍車をかけた。
日本にいた当時は、俺も主人公が異世界に行って活躍するアニメやライトノベルを読んでいたし、多少なりの憧れはあった。
しかし、実際にファンタジー世界のようなものを目の当たりにした俺の脳内からは、『異世界転生』という概念がすっぽりと抜け落ち、実際に自分がそんなものに巻き込まれているとは考えもしなかった。
日常ではありえない現状がかえって俺の思考を縛りつけていたらしく、完全に国外に誘拐されたのだと思い込んでいた。
自分は部屋にこもりきりだから海外の様子が分からないだけなんだ、目の前の光景は海外では普通のことなんだ、と。
そう信じることで自分を保っていたのかも知れない。
「ここどこの国だよ・・・。パスポート持って無いのがばれたらやばいよなぁ・・・。
こういう場合ってどうすりゃいいんだ?・・・大使館とかあるかなぁ。」
そんな俺でも、身分証明を持たずに国外に出るのはヤバいということくらいは知っていたので、なんとか日本大使館などの施設に辿りつかねばと考えた。
右も左も分からなかったが、とりあえずどこかに向かわないといけない。しかしこの街の人に自分が不法入国者だとばれてもいけない。
だから俺は、極力誰の気にもとまらないようにこそこそと歩き出した。
俺は空気なんだと自分に言い聞かせ。
学生のころ学校でやっていたように。
ニートになってからも街中でやっていたように。
誰にも声をかけられないように、ひっそりと。