その2 「歪み、くすんで」
確かにその時俺が、もしかしたらこれがトラック転生というやつか?という期待を持っていたことは認めよう。
しかし、俺が望んだのは、優しい女神さまから授かったチート能力を使って異世界で美少女と楽しく冒険したりする、そんな転生モノのストーリーであって、間違っても得体の知れないおっさんに、右も左も分からないところに吹きとばされるような展開ではない。
人間は死に際の時間がゆっくりと流れていくのを感じて走馬灯を見ると言うが、そんな感覚だっただろうか。
俺は"なにか"に轢かれて顔面から着地するまでの間の数秒間が、数十分、いや数時間にも引き延ばされたような錯覚を起こした。
しかし俺に見えていたのは、楽しかった幼いころの思い出だとかくすんだ色の思春期の記憶の走馬灯ではなく、まっすぐだったはずの国道をはじめ、俺に見えている建物が、壁が、空が、少しずつ歪んでいく様だった。
まるで絵具を拡げたパレットに水をかけたように世界の色彩が溶けていき、次第に鮮やかさが失われてゆく。
「そうか、俺は死ぬのか。これが人の死というものか。」
あの時俺は確かにそう実感していた。不思議と穏やかに死の感覚を受け入れることが出来た。
「・・・どうせ死ぬなら、家族に一言謝りたかったな。」
同時にこうも思い立った。
幸いにも俺に流れる時間はいつもの何倍もゆっくりだ。誰かが俺の声を聞いていることを願いながら、最期の言葉を口に出そうとした。
しかし。
「・・・・・・ッァ!」
声が出ない。
体感的には全力で走りきった後のようであり、俺の喉はカラカラという擬音を発するばかりで
一滴の声も絞り出すことも許さなかった。
残念に思うが、出ないものは仕方が無い。俺は家族への不孝を詫びながら、徐々に暗くなっていく空間に身を委ねた。
やはり穏やかな気持ちだ。もしかしたら死というものは決して忌むべきではないのかも知れないとさえ思える程の強烈な安心感につつまれながら、俺の意識は闇へと消えた。