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3.体に良いけど普通に吐くよ

 小学一年生の夏休み、私が勉強したのは格差社会だった。

 綺麗なワンピースを着せられて座る私が乗っていたタクシーの窓を、子供がノックした。母親も兄も運転手もそれをまるで聞こえなかった様に無視をする。


 窓の外にいる子供と目があった。

 車同士はぶつかりそうな距離間で走っていて、この国に来てから初めて見る信号で止まっていたタクシーを、遠くに見える歩道から車の間を縫って歩き、窓をノックした子供と、目があった。


 学校の背の順で一番先頭の私よりも、小さな女の子は私と目が会うと直ぐに逸らして隣に座っていた母親に何かを話しかける。

 母親は何も答えず、信号は青になった。少女だけを取り残してゆっくり動き出す窓の外の景色よりも、あの目が忘れられない。


 今でも記憶にこびりついたあの目は、今も私を見ている。








 視線を感じて振り返る。孤児院の入り口の方から感じたが、そこには誰もいない。ここ数日、こういうことが良くある、自意識過剰だろうか?


 この孤児院に住むようになってから三週間が経った。退屈なくらい平穏に日々はすぎる。相変わらず言語の習得には苦労していた。


「リリス!□□□、かみ□□□□」


 子供に名前を呼ばれる、同室のでこっぱち少女であるユリアがつけた名前だ。名前を名乗らなかった私は、この孤児院の面々に“リリス”と呼ばれていた。

 どう見ても日本人の私には派手すぎる名前のような気がして、呼ばれるたびに少し恥ずかしくなる。


 遊んでいるうちに乱れたのか、頭ををこちらに向けるユリアに従って髪の毛を結び直す。あらわれたユリアのうなじをみながら、ここにきて一週間ほど経った頃の出来事を思い出した。





 季節は初夏と言っていいほど暖かく、私は髪の毛を高い位置で結んでいた。それを見た、同室のユリア、コゼット、ディシュリーの姦しい3人組が一様に騒ぎ出す。

 トイレの鏡の前につれていかれ、ユリアが持った手鏡と合わせ鏡にし、指摘された首の後ろを見る。そこには直径五センチの花の模様のようなものがあった。


 どこかで見覚えがあり、記憶を辿るとここに来た初日に脳内彼氏の背中で見たタトゥーと雰囲気が似ていた。

 しかし、脳内彼氏と決定的に違うのはその色。瘡蓋のような暗い赤色は、遠目で見るとまるで怪我をしている様に見えた。


 騒いだ割にすぐに飽きた3人はいつものように遊びだした、説明を頼んでも3人は一気に早口で喋るのでうまく聞き取れない。ここは先生に聞くしかない。


 勉強の時間に聞けば、また一冊の教本を渡された。先生の所有している本の種類の幅広さに驚く。結構若く見えるのに、この孤児院の院長もしているし、本当に謎が多い人物だ。

 私の“設定”は主に家族関係や性格を細かく設定しているもので、この世界での立ち位置や役職などは全くわからない状態だ。


 教本には同じ模様を持った一組の男女がいた。……これは番?


 先生の説明を聞くと、こうだ。

大昔、二百年ほど前はこの同じ紋様を持った者同士でしか結婚が許されない制度があった。

 しかし同じ紋様を持つ者と出会える確率があまりにも低く、人口が減少しはじめたところで、この紋様による結婚の制度は廃止された。別に同じ紋様でなくても子供はできるらしく、なんの弊害もなく人々は結ばれる。


 “生まれつき、ちょっとおしゃれな痣がある”くらいの認識のようだ。


――異世界でのお約束で言ったら、番同士は引き寄せられたり、一目見て運命の人だとわかるものだけど、変なところで現実的だな。



 そしてちょうどその日、一週間経つ頃に勉強会には脳内彼氏が加わるようになった。


「こんにちは」


 私の方から挨拶をすると、お互いに自己紹介が始まる。


「僕は、ユリウス・ノーマーです」


 まぁ、名乗られなくても知っている。私がつけた名前だ。

 どこかでがっかりしながらその名前を頭の中で反復した。

 私の頭の中に住んでいた人物を二人も目の前にする状況に、今もまだ納得はしていないが、受け入れつつはあった。半ばやけくそだ。

 設定は完璧なくせに私に執着する気配もない二人に、やっぱりどこか現実的だな、と考える。


――結局、私はどんな場所でも人に好かれることはない。


「ユリウスさん、わたしはリリスです」


 ユリア少女につけられたこの名前を名乗ることにイリー先生はいい顔をしない。







 ユリウスは、魔術について教えてくれた。先日私に貼り付けたお札を取り出し目の前に置き、そこで“呪符”の説明が始まる。


 この何も書かれていないお札には、空間が圧縮されて閉じ込められている。このままではただの空気の塊だが、そこに意味を持った印を書くことで効果が現れる。

 閉じ込められた空気の中にも漂う魔力の素、“魔素”にその印が干渉して、特別な効果を持った空間が出来上がる。

 それを呪符といい、貼られた場所から限られた空間に展開されて、人はその特別な魔素を皮膚から吸収する。これは主に医療として使われているそうだ。


――じゃあ、私に貼った呪符も何かを治そうと?


どこか怪我をしているように見えたのだろうか、と疑問に思うとユリウスが話しかけてきた。


「□□□□□□□□□□□□?」


 言葉がわからなくても、発音の雰囲気でこの国の言葉ではない事が分かる。


「それ、わからない、です」


 片言で答えれば、考え込んだユリウスにイリー先生が何か声をかけた。それに頷いた後、懐から一枚の呪符を取り出した。


「リリス。これは、体にいい呪符です。でも、君は□□□□、□□□。気持ち悪く□□□□……なるかも□□□□。□□□□□□□□、貼って□□□□□ますか?」


 虫食いのようにわからない単語があったが、ユリウスの身振り手振りでなんとなく意味を理解する。


 だけど初日のことを思い出して、胃の中のものを吐くジェスチャーをした。吐いてもいいのか?と問うとユリウスは椅子の下に置いてあったカバンから、桶のような器を取り出した。


 なぜ、私に呪符が効くかを調べたいんだろう?吐いても良いように準備までしてきている。


「ダメ□□□□…?」


 眉の下がった困り顔で尋ねられれば、つい頷いてしまった。しまった、顔だけはタイプである。


 イリー先生を見ればこちらも困った顔で私を見ていた。二人とも、良い大人の男の癖して困り顔が似合う。完全に私の趣味だ、我ながら気持ち悪い。


 仕方ない、貼ってみるか……と気乗りしないまま手の甲に大きめの付箋のようなサイズの呪符を貼りつける。








 私はあの後普通に吐き、そのまま勉強会はお開きとなった。私はイケメンの前で吐瀉物を披露しなければいけない縛りでもあるのかな?と疑問に思いながら遊ぶユリアとコレット、ディシュリーを眺めていた。


――そういえば、あの時の吐瀉物、どう処理したんだろう。……まさか器ごとユリウスが持って帰ったりしてないよね?

――いや、……まさかね、それはないでしょ、……まさかね……


「あ!もう!コレットのヘタクソ!」

「なによ!ユリアの□□□□□□□□、ボールが□□□□!」

「どっちもへただよ!」


――あぁ……また喧嘩だ


 今日は珍しく室内での遊びではなく外でボール遊びをしだしたと思えばすぐこれだ。この三人は一日に五回は言い争いをしている、五回仲直りをしてまた次の日に喧嘩をする。それの繰り返し、羨ましいくらいの仲良しだ。


 庭から敷地の外に出たボールは、馬車がよく通る道に転がっていた。三人はまだ喧嘩をしているし、馬に蹴られるより先に取ってこよう。

 孤児院の門を潜り、道に出ようと右に曲がった瞬間、人にぶつかった。


「ご、ごめんなさい!」


――こんなところに、なんで突っ立ってるんだろう。


 ぶつかった相手の顔を見た瞬間体が硬直する。――デジャビュ



 目の前にいる男は頭の上でピクピクと動く“設定”にはない“猫耳”を震わせながらこちらを凝視していた。そして次の瞬間こちらの思いもよらない言葉を口にする。


「――あの、僕と結婚しない?」



「キャーーー!リリス!やるわね!」


 何故か後方から庭で喧嘩をしていたはずの三人の悲鳴が聞こえる。





 ――とんでもない『三人目』がやって来てしまった……。





 



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