嫌いになりたい
「マコこそ、俺なんて消えてくれっておもってるんじゃないかな」
「マコはそんなこと、おもわないよ」
「──断言?」
「できるよ。だって、マコだもん。マコは、そんなことおもわない。だから、優児のことも何度だって叱るの。マコは、ぜったいに見捨てたりしないよ。いつだって、誰のことももっと好きになりたいっておもってるし、誰もがもっとうまく行くようにって、そればかり考えてるひとだもの」
「……そうだね」
ただし、誰のことも、なのだ。
赤間ひとりをとくべつに想ってくれることはない。
とくべつに、想わせてはいけない。
だから、江野のいない世界に行きたかった。
江野と、赤間は、永遠に相容れない、重ならない、交わらない、らせんの関係にある。
それならば、離れるなど、無意味だ。
そう、離れることはできないし、遠ざけることも、またできない。
そういう相手なのだと、心のどこかで、赤間は痛いほど直感していた。
そしてまた、江野自身も、赤間を自分の中から閉め出すことは決してないという──
だからこそ、ふたりはらせんなのかもしれなかった。
ぜったいに見捨てない──それもまた、他人のありのままを受け入れるひとつの形なのかもしれない、とおもう。
ただ、江野は、現状維持を認めないというだけで。
誰でももっと良くなると、頑固に、それを信じつづけている人間。
自分がどこから来たかも、忘れてしまっているくせに。
自分が何のために生まれてきたかなんて、考えもしないくせに。
それでも、赤間とはまったくちがう凡人の視点で、おなじ真理を、どこまでもどこまでも追い求めるのが、江野誠という人間──
彼だけが、赤間と対極を行くことができる。
もっとも自分を知り、自分を優先する赤間と、みごとなほどに対極をなす人間が江野誠だった。
彼の頑固さだけが、真理を知る赤間には選ぶよしもない道を行き、交わることなく二重らせんを描くことができるのだ。
そんな相手が、欲しかった。
どこまでも、追う価値のある相手がいれば、人生はきっとおもしろく、生きる甲斐があるはずだ、と。
江野に出会うまでの赤間の人生は、つまらないゲームの中にいるようなものだったから。
なにもかも、うまくいく。
なにもかも、おもいのまま。
だから、そうではないものが欲しかった。
そうではないものがひとつでもあれば、ここにわざわざ生まれてきた意味もわかる、そうおもった。
けれど──
まったくの想定外だ。
赤間優児という、完璧だった人間の中に、こんな想いが植えつけられてしまうだなんて。
マコが、好き────
マコが好き。
百万回くり返したって、言い尽くせなくて、胸を掻きむしりたくなるほどに。
誰かに許しを乞う気はないので、許されようが許されまいが、そんなことは構わない。
伝える気もないから、江野が許してくれなくたって、構わないのだ。
でも、自分が許せないのは、どうすればいいのだろう。
許してやれば楽になれるとわかっている。
なのに、江野に気づかれるならいっそ死んだほうがましだとおもうほど、自分で自分が許せない。
こんな浅ましく汚らわしい想いを、江野に悟らせるわけにはいかない。
嫌な顔をされたら、きっと、生まれてきたことさえ後悔する。
一生、追いつづける相手に、疎まれ、憎まれ、嫌われて、それでも追わずにはいられないなんて、そんなのは地獄だ。
いっそ、嫌いになりたい。
嫌いに、なりたい。
そうすれば、楽になれる。
わかっている。
わかっているのに──
自分の心が、ままならない。
できることは、笑顔をつくって、ひとを欺くことだけ。