天才と凡人
赤間優児:元FF所属のサッカー選手。ユース出身。天才。妹と江野と曽根兄弟しか愛していない。
天才とは、なんなのか。
そう問われたら、赤間優児はやんわり笑って、こう答えるだろう。
──自分が、どこから来たかのか知っているやつだよ。
でもほんとうは、すこしちがう。
正確に言えば、三歳を過ぎても、五歳を過ぎても、自分がどこから来たのかを覚えているやつ、という方が正しい。
たとえば、赤ん坊には誰にも、庇護を手に入れるためのプログラムが入っている。
笑うことと、泣くこと、たったそのふたつの使い分けで、自分の望むものを手に入れるためのプログラムが。
でも、ことばを解するようになると、庇護者がどんなに悪意に満ちているかに気づく。
子どもを、お荷物だとおもっていたり、欲求を満たす道具だとおもっていたり、いつも疑心のまなざしで誰かと比較していることに。
そこで見捨てられる恐怖を抱いた人間は、子どもという名の人形に成り下がる。
そして、凡人という名の人生が幕を開けるのだ。
自分がどこから来たのかを、おもいだすまで、ずっと。
それは大抵、肉体が死んで、この世を去るときだったりするのだろう。
ごくひとにぎりの人間は、悪意よりも身近にある善意に守られ、ひととは少しばかりちがう人生を歩いていく。
それが、世に言う、ナニソレの天才、というやつ。
彼らも、自分がどこから来たのかは忘れてしまっていることに、変わりはない。
ただ、自分を見捨てない人間がいることを、知っているというだけ。
たったそれだけの差なのだ。
赤間優児は、どちらでもない。
自分がどこから来たのか、生まれてからこの方、忘れたことは一度もなかった。
だから、他の人間の思惑になど、一切、惑わされない。
幼児のころから、赤間優児には世の中の作為が見えていた。
ことばを知らなくても、相手のきもちは伝わるものだ。
けれど、それに恐怖したことがないというだけ。
他の赤ん坊がただプログラムに従って泣き、笑うなら、赤間優児は自分の意志で泣き、笑い、自分の願いを叶えていた。
自分が笑えば目の前の人間の反応がどう変わるか、知っていて笑っていた。
笑えば、自分の望みが叶うことを、知っていたのだ。
なぜ、そうだったのかはわからない。
ただ、自分がどこから来たのかを知っていた、というだけ。
他人に、自分は殺せないことを、赤間優児は生まれながらに知っていた。
他人に、自分をコントロールする権利がないことも、赤間優児は知っていた。
自分のコントローラーを持っているのは、『自分』なのだと。
だから、なにも怖くなかった。
未知のものも、未知の人間も、なにも脅威にはならなかった。
子どもにとってぜったいの尺度となり、コントローラーを譲り渡すことさえある親という存在も、ただの他人でしかない。
ただ、自分がいちばん笑いかけている存在だというだけ。
だから、自分にもっとも多くの愛情を注いでいる──ただそれだけの、存在だった。