船上の女神
こんな夢を見た。
私は一人の娘だった。
父は貿易商を営み、この英国で知らない人はいないほどだった。
私はよく父と一緒に船に乗った。
父は自分の目で見て商品を買う。
だから父が仕入れた商品は高く取引された。
私はそんな父を見ているのが好きだったので、よく共に旅に出た。
母は私が小さなときに亡くなった。
父は一年のほとんどを海で過ごす。
だから私を一緒に連れて行ってくれたのだ。
今回の仕事は少し長くなる、と父は言った。
私は別に構わなかった。
こうして父の傍で仕事を手伝う。
それだけで十分なのだから。
「次の港で人を乗せる。
彼は昔の知人の息子だ。
お前と歳は変わらない。
色々と教えてあげなさい」
父の言葉に私は頷いた。
船には大人ばかりだ。
少しでも年が近いと嬉しくなる。
仲良くしよう、私はそう思った。
そう、相手がそれをどう思うなど考えたこともなかったのだ。
嫌われるなど、思ってもみなかったことだった。
彼の名前はジョンと言った。
ジョンはとても大人しく、無口だった。
「ここから先はプライベートルームよ。
私たちの個別の部屋になっているわ。
ドアに名前があるの。
あなたの部屋はここよ」
船の部屋といっても豪華なのだろう、ジョンは部屋を見て驚いたようだ。
「しばらくはここで生活するのだから、快適にしないとね」
私はジョンに笑いかけた。
ジョンはだまって私を見ている。
何か?と私は首をかしげた。
ジョンは何でもない、と答えてそれきり何も言わなかった。
私は仕方なく仕事の説明に入ることにした。
「ここでの仕事は父の手伝いをしながら商売について学ぶことよ。
あなたの家も商売をしているのでしょう?
商品を見極め、取引することは重要よ」
ジョンは分かっている、と頷いた。
「質問には私が答えるわ。
ずっと父と共にこの船に乗っているの、だから大丈夫よ」
ジョンは不審な顔をしているが私はそれを無視することにした。
「これからよろしくね」
私はジョンに向かって手を差し出した。
握り返されたジョンの手は冷たかった。
「どうだい?仲良くなれそうかい?」
父の言葉に私は首をかしげた。
「分からない。
大人しい感じだし、感情がよく読めないわ」
父は面白そうな顔をした。
「お前でも読めないということがあるのか!
まあ、じっくり見ていて欲しい。
ただし、うちに害をなすようであれば、すぐに言うことだ」
はい、と私は頷いた。
「それより、この品はどうだ?
美しいガラスだろう?
これは売れると思うのだが」
父が差し出したのは小さな青いグラスだった。
私はそのグラスを受け取り、光にかざして見た。
キラキラと美しいガラスだ。
「…いいと思うわ。
これは売れるわね」
私の答えに父は満足して笑った。
「では、これを大量に仕入れるとしよう」
私には先を見る力がある。
予見の力が。
その力で父の商売は成功したのだ。
父が商品を見つけ、私が見る。
そうして売れる物だけを仕入れるのだ。
それは二人だけの秘密だ。
誰にも知られてはならない秘密。
私は父の部屋を後にした。
ジョンはよく働いてくれた。
物覚えもよく、疑問も的確な質問も多かった。
彼は日々様々なことを吸収していったのだった。
「ジョン、君がこの中から選びなさい」
父が三つの商品をジョンに見せた。
陶磁器のティーカップと繊細な模様の手鏡、華やかなデザインの小物入れ。
この中からジョンに選ばせ、仕入れる。
そうして売れ行きを見る。
売れるか売れないかはジョンの腕による。
ジョンはくまなく商品を確認した後、手鏡を選んだ。
「うん。私も手鏡がいいと思うわ。
とても綺麗な模様だし、大きさもちょうどいい。
これは売れるわよ」
ジョンは私を見たが何も言わなかった。
この頃にはもう慣れていた。
ジョンは言いたいことがあっても言わない。
長年そうしてきたのだろう。
その癖がぬけていないのだった。
私は気にすることなく、ジョンに笑いかけた。
ジョンには無視されたが。
ジョンが選んだ手鏡はとてもよく売れた。
父は喜んだ。
ジョンには才能がある、と。
無口で余計なことを言わないジョンを父は気に入ったのだった。
私たちは父の部屋を出た。
ジョンが部屋に来ないか?と言ったので私はついて行った。
「…なぜ、売れると言い切った?」
ジョンはずっと疑問に思っていたのだろう、部屋に入るなり私に聞いた。
「そう思ったからよ」
私はジョンを見て答えた。
ジョンは納得していないようだった。
「なぜ、いつもお前の意見を聞くのだ?
今までずっと聞かないで商品を買うことはなかった。
どうしてだ?
父親でさえもお前の意見を聞いた。
なぜだ?」
「幼いころからそういう習慣だったからよ。
そんなに気にすることではないわ」
「これが習慣で済まされると思うのか?
事業だ。大事な商売だ。
それなのに小娘のいう事をいちいち気にする。
お前は一体何なんだ?」
「…私の秘密を知ってどうするの?
言ったところであなたには関係ないことだわ」
私は近づいてきたジョンから目をそらした。
先見の力があると言うわけにはいかなかった。
「答えろ。お前はなぜ、そこまで大事にされている?」
ジョンは私のあごをとらえ、顔を向かせた。
その瞬間、私には見えてしまった。
自分の未来が。
この船の未来が。
私は静かに目を伏せた。
そうしないと話すことは出来ない、そう思ったからだ。
「…私は先を見る力があるの。
微かだけれど、見えるのよ。
だから売れるか売れないか分かるの。
もう、いいでしょう?」
私はジョンの手を払いのけようとした。
でもその手はつかまれた。
「…お前を手に入れたなら、俺は全てを手に入れることが出来るのか?」
「…無理よ。全てを手に入れることは出来ないわ」
私の言葉に怒り、ジョンは私の唇を塞いだ。
そうしてベッドに放り投げられた。
ジョンに組み伏せられながら、私はまた未来を見た。
沈み行く、この船の未来を。
あれからジョンは私には一度も触れなかった。
それどころが話そうともしない。
「喧嘩でもしたのか?」
父は心配そうにしている。
私は何でもない、と首を横に振った。
ふと部屋の外が騒がしいことに気付いた。
船員の一人が慌てた様子で入ってきた。
「大変です!海賊が現れました。
すでに攻撃を受け、船は浸水し始めています。
危険ですので脱出を!」
海賊?
ここの海域で出るとは聞いたことがなかったのに。
私は父を見た。
父も驚いた顔をしている。
慌てて立ち上がり、言い放つ。
「商品よりも人命だ!
早く脱出を開始しろ!」
父の言葉に船員は返事をし、身を翻した。
「お前も早く逃げろ。危険だ!」
私は頷き、父と共に部屋を出た。
部屋の外は混乱する船員が逃げ惑っていた。
その船員たちに父は声をあげる。
「脱出の準備をしろ!
ボートを浮かべて逃げるんだ!
怪我人がいたら優先しろ!」
私はボートの場所へ走った。
多くの船員たちがボートを下ろす準備をしている。
「お嬢様、こちらへ」
手を差し出されたが、私は首を横に振った。
「ジョンを見なかった?」
「いいえ、見ておりませんが」
その答えに私は慌ててジョンの部屋に向かった。
遠くで船員が私を呼んでいる。
でも今はそれどころではないのだ。
ジョンと私の未来。
変えることは出来るのだろうか?
私はジョンの部屋のドアを開けた。
ジョンはベッドに座っている。
「何しているの?!
早く逃げるのよ!
船が沈むわ!」
私の声にジョンは驚いた顔をした。
「お前こそ、なぜ早く逃げない!
俺のことはほっといてくれ!」
私はその言葉にカチンときた。
「死ぬのは勝手よ!
でも残された者のことを考えなさい!
私はどうすればいいの?
一人になった私はどうすればいいのよ!」
「…忘れればいい。
俺のことも、あのことも」
「バカなこと言わないで…!
一緒に生きてよ!」
私が見た二人の未来。
それを私は変えたかった。
二人一緒に生きたかった。
私はジョンの腕を引っ張った。
ジョンは動かない。
それでも私は引っ張り続けた。
「私はこの船の女神なの!
未来を予言する女神なの!
誰一人として死なせはしないわ!」
ジョンは数回瞬きをして私を見た。
そうして苦笑した。
敵わない、と。
ジョンの体が動き出す。
私たちはボートの場所へ向かった。
「お嬢様!」
船員たちが待っている。
父が待っている。
私は急いで向かった。
船が傾ぐ。
また攻撃を受けたようだった。
私はバランスを崩し、船から放り出された。
皆が私を呼ぶ声が聞こえた。
でも私には空しか見えなかった。
未来を変えることは出来ないのか。
私はそのことを少し悲しく思った。
ジョンと一緒に生きたかった。
これからもずっと。
誰かが私の腕をつかんで抱き寄せた。
ジョン、と私は名前を呼んだ。
ジョンは強く私を抱きしめてくれた。
それから間もなく、衝撃を感じた。
そうして冷たい水が周りを満たした。
そこで私の意識は途切れたのだった。