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『悩み事の末路』

作者: 緑松 ヒロ

「それじゃ、いってきます」


玄関で靴を鳴らしながら、誰にともなく言った。

おそらくガラス戸の向こう、リビングでは母さんがみんなの朝の支度を終え、ようやく朝食を食べているんだろう。

返事はないが、戸の向こうからテレビの音が漏れ聴こえてくる。

いつも通りの朝だ。


私は、靴棚に置いてある鏡で簡単に身支度を整える。

前髪、制服の襟、スカートの裾。

ん、大丈夫。いつも通り。


床に置いていた鞄を肩に掛け、頭の中で持ち物のチェックもする。

忘れ物、なし。

宿題、やった。

携帯、はブレザーの胸ポケット。

学生証、写真が不細工だから捨てたい。

お財布、中身がちょっと少ない。


お財布…。

と、ポケットから財布を取りだし、中から行きつけのカフェのポイントカードをつまみだす。

昨日の事が思い出されて、ふと心が重くなった気がした。

ここだけ、ちょっと、いつも通りじゃない。



学校の帰り道。

通学路の途中にある本屋で文庫本を買い、最寄り駅に併設されかカフェで読みながら門限ぎりぎりまで過ごす。

私の数少ない、ささやかな幸せの一時。


でも、昨日は様子が変わってしまった。

昨日は、好きな作家さんの新刊を手に入れ、注文したカフェラテに一口もつけることなく、わくわくしながら包みを破いていた。

すると、私に気付いたグループがこちらへ来て声を掛けてきた。

やたらと棘を感じる、突っ掛かってくる声だ。

振り返って見てみれば、同じクラスの目立つグループの子たちだった。

明るく染めた髪に、軽い化粧、ちんまりとしたアクセサリー、制服も軽く着崩した、今時の女子高生。って感じだろうか。

名前は覚えていない。クラスが同じなのをかろうじて覚えている、そんな程度の認識と付き合いでしかない。

そんな彼女らから声を掛けられる覚えは全くないのだが。


ネチネチとした、要領を得づらい話を聞いていると、どうやら私が彼女らの中の一人、リョーコちゃんとやらの意中の人に言い寄っているのが気に入らない、という話のようだ。


……全く覚えがない。


私のそんな態度に業を煮やしたのか、彼女らはどんどんエキサイトしていき、ご丁寧に説明までしてくれた。

委員会の仕事をしているときに、何かと気に掛けて手伝ってくれていた男子生徒がいたことを思い出す。

その人が、どうやら件の意中の人らしい。

委員会の仕事でたまに一緒になる現場を見て、リョーコちゃんとやらが勘違いしたんだろう。

こっちとしては、言い寄った記憶もなければ、つもりもない。そんな特別な感情を抱いてないどころか、さっきまで思い当たることもなかった程度だ。


そういったことも含めてすげなく返していると、相手はますますヒートアップして私を罵倒し始めた。

「冷血女」だの。

「ボッチ」だの。


自慢じゃないが、友達は少ない。

小学校の頃から人付き合いは苦手だし、生来の面倒くさがりで自発的にそれを直そうと思ったこともない。

別に、それで今まで困ったこともない。

今こうして絡まれる状況も、少しは慣れている。

そんな性分で昔から周りの雰囲気に合わせることもしない。それがしばし周りの反感を買うことだってある。


いい加減煩く感じた私は、ついきつく言葉を返してしまった。

普段であれば、やり過ごし、波風を立てず、事を荒立てずが信条のはずなのに。

理由はたぶん、早く本が読みたいとか、そんな軽い何か。

でも返した言葉は、かなりきつかった気がする。

彼女たちはたじろいでいたし、リョーコちゃんにいたっては泣き出しさえしていた。


何を言ったのかは、正直思い出せない。

でも、酷いことを言ったのは容易に想像できた。

相手に言葉を浴びせたときの、あの黒い心情が。

気付いたときに残った、あの虚しさが。

昨日から、小さくない重りになって、胸につかえたままだった。



わからないんだ。彼女たちの言う「好き」というのが。

私にだって、少ないが友達はいる。いるつもりだ。

男子も女子も。何をもって「友達」とカテゴライズするかは解らないが、親しく感じる人間はいる。


でも、好きという感情は何なのか。

友達に感じるもの、親兄弟に感じるもの、可愛いアクセサリーやキャラクターに感じるソレとは、違うものというのは解る。


「好き」という感情が解らなくて。

彼女たちが何に憤って、何に泣いているのか解らなくて。

私は、もしかしたら怯えていたのかもしれない。

よく解らないものを押し付けられて、きっと怯えて、あんな強い言葉が出てしまったのだろう。

強い言葉を吐いた後には、虚しさしか残っていなかった。



カフェのポイントカードを摘まむ指に力が入り、あのときの色々な感情を思い出し、呑み込みながら。

別に理解をするつもりはなかった。

今時の女子高生とはいえ、誰も彼もが恋愛しなきゃいけない訳じゃないし。

今のところの私には必要ない。

そりゃ、読む本の中には恋愛小説だってあるし、それに感動したことだって少なくない。

でも、あれってフィクションだし。

そうそう、あんな甘酸っぱかったりほろ苦かったりするようなものがあるわけないだろうし。

かといって、リョーコちゃんとやらのようにみっともなくなるのも願い下げだし。


むしろ、昨日の今日で学校に行くことの方が私には問題だ。

どうせ彼女らのグループは、私を悪者に仕立てあげてクラスで昨日の事を言って回っていることだろう。

女の子の恋愛沙汰への恨みはひどい。より面倒なことになると思うと気が滅入る。

さらにそれで、友人や知らない誰かの要らぬ同情票を集めてしまうのも嫌だった。

今さらながらに、やり過ぎたなぁと思いつつ、信条に反した昨日の自分を叱りつけたい。



ため息をついたのと、母さんが声を掛けてくるのは同時だった。

「アンタ、何してんのそんなところで。遅刻するわよ」

ハッとして見れば、ずいぶんと時間が経ってしまっていた。

母さんは朝食を終え、洗濯でもするのかカゴを抱えている。

「ため息なんて、どうしたのよ。学校で何かあったの?」

ありがたくも、母さんは気を遣ってくれた。

別に私には本当に大した話でもなかったし、今は遅刻しそうになっていることの方がまずい。

何でもないよ、と慌てて鞄をかけ直し、玄関を開ける。

すると、母さんが思い出したようにまた声を掛けてくる。

「あ、そうそう。今日は夕方からおばあちゃんが来るから、用事がなければ、なるべく早く帰ってきてね」

そういえば、そんな予定もあった。

祖母もまだまだ元気で、住んでいる場所も比較的近所ということもあり、二月に一回くらいはうちに来て一緒に晩御飯をたべることがある。

「おばあちゃんの肉じゃが、アンタ好きだったでしょう?寄り道はほどほどにしておきなさいね」

母さんのその話に返事をしつつ、扉を閉めて通学路へ駆け出す。



道すがら、思わず吹き出してしまった。

さっきまで悩んでいたあれこれも、面倒くさかった今日の通学も、気落ちしてしまう昨日のことも。

特に考えることもなく駆け出して、しばらくして全部忘れそうになっている自分がおかしかった。


でも、もしかしたらそういうものなのかもしれない。

解らないことだらけだから、本を読むのかもしれないし、誰かとぶつかるのかもしれないし、そのすべてが面倒に感じるのかもしれない。

そんな感情も、次の瞬間にはなくなって、また新しい何かをきっかけにして動き出すんだろう。


そうやって、解っていくのかなぁ、とぼんやり考える。


……じゃあ手始めに。

晩御飯に出るであろう、おばあちゃんの肉じゃがのために、今日を過ごしてみるとしよう。


考えて、悩んで、でも忘れてしまう私の今は。

そんな簡単な動機で回るくらいがちょうどいい。

今はそれでいいと思えて、自然と笑えてしまうのだった。







読んでいただいて、ありがとうございました。


三題噺、二回目の挑戦です。いかがでしたでしょうか。

前回以上には、キーワードをキーワードとしてでなく、お話の中にもう少し落とし込む意識で書いてみました。

文章の構成とかはもちろんそうなんですが、時々句読点の打ち方に戸惑ってしまうこともあって、アップした今でも少し自信がありません。

不勉強っぷりが身に染みます…。


書いてる僕自身は男だし、別に実体験を元にしたってわけでもないです。

でも、学生時代。

やっぱり恋愛沙汰に真剣なのも、人間関係に過敏なのも女子の方で。

人間関係とか苦手でうわべだけの付き合いがなかなか出来ない自分が、女子の友人の方が多かったのは、何となくそれもあるのかな。とか思ったり。

男子は、ほら、バカやってばかりだったから。(笑)


何となく、恋愛をキーワードにした学生ものが続いたので、次はまたちょっと変えてみたいなと思います。




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