2 魔法使いは助っ人する。
★杖術・短杖術の性能や戦闘方法、本作品に於けるものです。
★騎士団配置についての備考は、資料に移しました。
どんどんどん!と、扉が強い力で叩かれた。
「おぅい! ユエールは居るかあ!?」
声だけで誰が訪ねて来たか悟り、ユエールは鍵を外し、扉を開いてやった。
〈魔法屋〉の入口ではなく、住居側の扉の前に立つのは、精悍な顔付きをした男だ。紺に染められた襟の詰まった制服は、国家に仕える役人・衛士の証である。
腰のベルトに下がっているのは、頑丈そうな短杖と捕縛用の縄だ。戦闘専門職の騎士と異なり、衛士は殺傷能力の高い武器を所持しない。
「居ますよ、ライカットさん」
長い銀色の髪を後ろで括った青年が姿を見せると、ライカットと呼ばれた男はあからさまに安堵の表情を浮かべた。
〈魔法屋〉という商売をしながら、ユエールは薬草などの採取のため留守にしていることが多い。今回も駄目元を覚悟していただけに、予想外の在宅に多少浮かれたとしても仕方がないだろう。
「悪いが、ちょっと手伝ってくれないか?
結界を壊して、魔獣が何頭か入って来てるんだ」
「そうそう簡単に壊れるような結界じゃないんですけどね……。誰か、馬鹿をやりましたか?」
「その辺は、まあ追い追いにな。
先に魔獣を追い払わないと。
ユエールが居なけりゃ、隣町まで騎士団を呼びに行くところだったんだ」
「ライカットさんには、世話になってますからね。魔獣退治くらいは手伝いますよ」
「恩に着る!」
村に派遣されている衛士は、ふたり。普段は酔漢や盗賊などを取り締まるのが業務なのだが、野生の獣や魔獣の襲撃を受けた場合の一次対応も行う。ただし、前述したように、衛士の戦闘能力は高くない。猪の一頭二頭に手間取ることはないが、流石に魔獣を相手にするには力不足だ。
衛士だけで対応出来ない事態が生じた場合は、近隣の騎士団に応援を求めることが認められている。騎士団と言っても、町に駐屯しているのは一個小隊(騎士十五名)程度だ。街規模になれば二個小隊、街境領主が治める地方都市ならば一個中隊から二個中隊が標準的な編成である。
ユエールたちが暮らすワムズ村は、西二十四街境の中でも、特に辺鄙な場所に位置している。領主が治める都からは遠く、周囲には似たような規模の村があるだけだ。騎士団が駐屯する町までは、早馬を飛ばしても半日近く掛かる。
どのみち村人に騎士を呼びに行かせるにしろ、応援が来るまでは衛士ふたりと村の猟師や自警団だけで防衛しなくてはならない。
ユエールは訳あって自警団の一員ではないが、ライカットからの依頼があった場合のみ助っ人として参加する。実のところ、村で一番戦闘能力が高いのが、魔法使いであるこの優男なのだ。
素材の採取で頻繁に森や山へ入る魔法使いは、熊の一頭二頭くらいなら単独で倒してしまう。冗談のような強さだが、ライカットやもうひとりの衛士ソテイ、自警団の面々は何度も現場に立ち会ってその実力を肌で思い知っている。
出奔したという、前の〈魔法屋〉の店主も化け物じみた強さを誇っていたらしい。弟子が弟子なら、師匠も師匠ということなのだろう。
「すぐ出られるか?」
返答はわかっていたが、一応尋ねておく。がさつに見えて、細かい気配りが出来るのが〈村の兄貴分〉と慕われるライカットなのである。
「いつでも出られますよ」
気負うことなく、ユエールも応じる。
青年は、普段通りの装いだ。つまり、簡素な長衣と深緑色の膝裏丈の外套、猟師が好んで履くような皮製の半長靴に、白木作りの握りの細い短杖、帯に提げている複数の腰袋である。常在戦場を師から叩き込まれているユエールは、山野に居ようが自宅で寛いでいようが、準備を怠らない。他者から見れば到底戦いに臨むような出で立ちでなくても、彼にとっては戦闘に最適化した装備なのだ。
予想通りの答えに、ライカットは頷き、村の門を目指して走りだした。
すでに騒ぎは村内に拡がっているようで、男衆は門に向かったらしい。時刻は夕方に近く、ほとんどの村人が仕事を終えて戻ってきているのは幸いだった。人を集める時間が短縮出来るだけで、被害が随分と減るはずだ。集まった人員に対し現場で指揮をしているのは、若い方の衛士・ソテイだろう。平素はやる気の欠片もないだらけた雰囲気を振りまく青年だが、難関の国家資格を突破してきただけあり、緊急時の対応力はかなり高い。
女子供、老人は、ライカットに併走するユエールの姿を見つけ、ほっとした表情を覗かせた。師匠に押し付けられた店を継いでからまだ二年にも満たないが、変り者の若い魔法使いの実力は村人たちに知れ渡っている。
どことなく面映ゆい気持ちになりながら、青年はライカットに質問を投げた。現地に着くまでの僅かな時間とはいえ、無駄にしたくない。
「敵の種類、個体数、その他特徴はわかりますか?」
「四つ脚型の魔獣で、数は五。おそらくだが、黒爪狼だろうな」
「珍しいですね……。黒爪狼は、森の深い場所に棲息しているはずですが」
そもそも、魔獣が村を襲うことが滅多にない。野生の通常の獣のほうが、よほど頻度が高いものである。
「やっぱりユエールも変だと思うか?」
「現場を見てみないと確実なことは言えませんけどね」
魔獣の体を構成する素材は、薬や魔法媒体に使えるものが多い。そのため魔法使いであるユエールは、衛士であるライカットやソテイ、野生の獣を相手にする猟師たちよりも、魔獣の生態に詳しかった。
農地まで含めればそれなりの広さを持つ村だが、人々が暮らす居住区は端から端まで走っても大して時間がかからない。
獣が放つ獰猛な唸り声が聞こえた瞬間、ユエールは地面を大きく蹴った。
まごついていた村の男たちの隙間を縫い、門の近くへと躍り出る。
「ユエール!」
「ソテイ、自警団の人達を下げてください!」
獣たちと対峙していた若い男に、テキパキと指示を与える。国の役人である衛士を顎で使うなど越権行為も甚だしいが、この村ではよくある光景だ。
「ライカットさんは、怪我人が居ないか確認を!
黒爪狼の毒を受けていたら、早急に処置が必要ですッ」
「任せろ!」
唸り声だけで魔獣の種類を判別したユエールに、衛士歴十年になる男は内心で舌を巻いた。
門を固めていた男たちは、衛士ふたりの先導によりユエールから距離を取る。
最後まで撤退を渋っていた自警団のひとりで農家の三男坊は、細い背中に声援を送った。
「ユエール、がんばれよっ!」
届けられた声に、振り返りもせず青年は唇の端を上げた。
「誰に言っているんです?
本当に、ニルケは馬鹿ですよね」
酷い言い草だが、日頃から言われ慣れているせいか、ニルケも苦笑いするだけだ。同性かつ同年代ということで、ユエールとニルケは割合に仲の良い友人関係を築いている。そのため、青年の毒舌に晒される機会も他人より多いのだった。
自分の周囲から衛士を含んだ全員が退避したことを確認し、ユエールは腰帯に差している短杖を抜いた。長さは約一メートル。衛士たちが捕縛に用いる短杖よりも短かめで、握りも細い。
身体から余分な力の一切を省き、青年は一気に魔獣たちとの距離を詰める。
狼系の特長を持つ黒爪狼は、集団行動が得意だ。
ユエールは、まずリーダー格と思しき一番大きな個体の眉間に杖の先端を突き出した。たかが細い棒切れで突いたくらいで、獣……それも魔獣にダメージを与えられるはずがない。そう、普通ならば。だが、ユエールが持つのは特殊な仕込み杖で並の強度ではない。さらにいえば、使い手の技量も、神業的な領域にある。
杖の先端が顔面にめり込み、体格の大きな魔獣は「ぎゃうん!」と悲鳴を上げ、もんどりを打った。そして、そのまま息絶える。
残りの四体がなにごとかと訝しんでいる間に、ユエールは再び動く。滑らかな足運びは、戦闘というよりも、なにか舞踏でも行っているような美しさだ。
短杖は得物が短い分、取り回しがしやすいが、敵の懐深くに潜り込む必要性がある。ユエールは足音もなく接敵し、次々と急所を狙い打ちしていった。突いた頭蓋骨は粉砕し、強かに打った脇腹は表面上に傷はつかなくとも内臓が破裂する。
異様な相手の出現に、黒爪狼の残り二頭は慎重に距離を開け始めた。そして十分に離れた場所から、彼らの名称の起源になっている黒い爪を伸ばし、ユエールに飛びかかる。爪には強力な即効性の毒が仕込まれており、掠めただけでも敵を弱体化する威力があった。
圧倒的な膂力で振り下ろされた前肢を、杖の両端を持つことで支える。杖術には、槍や棍のほか剣術の要素も含まれており、一本の棒切れで攻防どちらもの動作を担うのだ。
必殺の攻撃を受けられたことで、黒爪狼の体勢が俄かに崩れる。その隙を逃さず、ユエールは杖を持つ部分を変え、攻撃に転じた。
リーダーを含む三頭をあっという間に倒したせいか、かなり警戒をされているらしい。
ちらりと〈魔法〉を使うことも考えたが、まだ時期尚早だろう。
一撃で撃破することに拘るのは捨て、手数で相手を追い詰める。人間と違って、野生の獣も魔獣も防具を纏っていないので、ユエールにしてみれば攻撃し放題だ。
骨を砕くほどの力は込められていなくても、四肢や身体の柔らかい部分を相当な威力で攻撃され、黒爪狼たちにはダメージが蓄積されていく。戦いが長引くほどに、彼らの動きは鈍くなっていった。
「そろそろ、終わりにしましょうか」
反対に、全ての攻撃を躱し、受け流したユエールは涼しい表情を湛えたままだ。彼の衣服には、一度たりとも攻撃が当たっていない。
不穏な気配を悟ったのか、二頭が低い唸りをあげる。野生の獣と異なり魔獣には多少の知能があるはずだが、すっかり頭に血が上っているのか尻尾を巻いて逃げ出すことはなかった。
ユエールは姿勢を低くし人間離れした速度で敵に近寄ると、杖の長さを目一杯に使い、左右に激しく打擲する。細い棒切れで打たれたとは到底思えない威力で、狼よりも大きな身体が二つとも吹き飛んだ。二体はしばらく痙攣したのち、やがて動かなくなる。
握っていた短杖を元通り腰帯に差すと、青年は背後を振り返った。
「戦闘終了、です」
一瞬の静寂ののち、門の周辺は歓声に包まれた。
〈続く〉
いまだに、〈魔法〉を使わない魔法使いの主人公……。