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短編

糸紡ぎの恋

作者: 椎名 悠宇

※この作品には性的表現を示す単語が含まれますのでご注意ください。

(直接的な性描写は一切ありません)

 ここは第三世界、俗称は転生の地という。全人類皆平等に死ぬとここに生まれ変わるらしく、住人は生まれたときから一世代前の前世の記憶を保持している。前世でやり残した願いを無事に叶えたらまた元の世界に戻って転生するんだそうだ。

 要するに、恨みつらみを残したまま転生すると性格が歪むからここで吐き出していけ、ってことなんだとか。

 かくいう私も前世の記憶がある。その時の名前はマエハシアカネという。生まれた国はニホンだ。

 私がまだアカネだったころに恋人がいた。名前はアキラという青年だ。ものすごい見た目の良い男で、平凡な自分となぜ付き合っているのか疑問だった。

 しかしアキラは不治の病を持っていた。もう、ここ思い出すだけで泣ける。最期の間際、彼と私は誓ったのだ。

 ――来世で幸せになろう、と。




 この世界に来て十八年目。絶対に会えるはずがないと思っていた男がそこにいた。

 私は一目で彼がアキラだと言う事が分かった。見た目はもちろん違うんだけれど、魂が彼をアキラだと叫んでいる。

 あちらも同じだった。私を見た瞬間凍りついたかと思うと、ぱあっと華やかな笑顔で駆け寄ってくる。

 ――いや、ちょっとまて。ありゃないわ。

 アキラは少し切れ長の瞳で、鼻筋が通ってて、口も薄くてイケメンだったはずだ。

「あんたなんてアキラなんかじゃない」

「ひどい、アカネ……折角会えたのに」

 名前を呼ばれて思わず唸る。

「アキラは、タータンチェックのシャツが似合う、丸メガネで、団子っ鼻ではなかったはずよ」

 良くて中の下、悪くて下の上。

「ええええ。アカネは僕の顔が好きで付き合ってたの……?」

 はい。

「……そういうわけじゃ、ないわよ」

 さすがにそこまで正直には言えず、もごもごと言い訳を考える。

 顔はもちろん大好物だった。でも、もちろんそれ以外にも好きなところはあった。儚げな雰囲気とか、すらりとした指とか、見上げるとベストポジションな身長とか……ってこれ全部見た目だわ。

「あーうん。やっぱ見た目が好きだったみたい」

 さようなら私の初恋。さようなら私のアキラ。

「というわけで、じゃ」

「ちょ、ちょっと待った!」

 アキラが私の服を引っ張る。やだ、伸びるじゃないの。

 嫌そうな私の顔を見てもアキラは必死だ。私もさすがに鬼じゃないので、仕方なくその場で足を止める。

「この世界の決まりは知ってるよね?」

「やり残したことを解決して、寿命を迎えたら次の世界に転生でしょう」

「そう! だから僕はアカネにまた好きになってもらわないと転生できないんだよ」

 全員にあてはまる「願いを叶えるまで転生できない」というルール。寿命を迎える前に果たさないと転生できずそこでジ・エンド。

「アキラがやり残したことってなんなのよ」

「僕は、その……アカネと、アレ……したいなって言うのが心残りで」

「アレ? ああ、セッ――」

「わあああ」

 慌てたアキラが私の口を両手でふさぐ。ぽっと頬を赤らめるアキラは正直気持ち悪い。

 私たちはプラトニックラブを貫いた、というか病弱のアキラには体力がなかったというべきか。

「アカネはどうなの……?」

「私はもうすぐ生まれるひ孫に会いたいなあって」

「ひ孫!?」

「残念ながら死んだ恋人を一生想うほど、センチメンタルな性格じゃないからね」

 そりゃしばらくは落ち込んだけれど、ある程度の歳になったら適当に結婚して子どもも生んだわけだ。もちろん夫も子どもも孫も愛していたさ。享年九十三歳、結構幸せな人生を過ごしてきたと思う。

「ひ孫に会うなら、ひ孫が死ぬのを待つってことでしょ? なにが悲しくて愛しいひ孫の死を願わなきゃいけないのよ」

「じゃあ、アカネはこのまま輪廻転生から外れるって事?」

「そうねえ」

 別に来世のことなんてしったこっちゃないし。どうせ来世ではアカネとしての記憶はなくなる。それなら別に転生する必要性なんて感じない。

「それよりアキラ、あんたなんで私よりも七十年も先に死んでおいて若い姿なのよ」

 明らかに時間軸がおかしい。もうずっと前に死んだはずのアキラなら、よぼよぼの爺さんのはずだ。どうせ若いなら転生前の姿でいてほしかったわよ!

「僕今ここの管理人なんだよ。ちょうど転生したときに募集時期でさ。管理人になる代わりに時の流れが止まるっていうから、それだけ時間があればアカネに会えるかなーと思って立候補したんだ」

 なんという執念。そんなにヤリたいのか。いや、確かにそういうお年頃だったとは思うけど。

「だから僕こんな姿だけれど、中身は結構よぼよぼなんだよねえ」

 よぼよぼだけれど性欲はあるのか。外見と一緒で中も若いままなんだな。

「つまり年季の入った童貞なわけ?」

「ぎゃああ」

「ヤリたいの?」

「うわああ」

 うるさい男だ。アキラはもう少し大人だったはずだ。こんな風にぎゃあぎゃあ叫ばない。

 ……でもそれは私も一緒か。いくら前世があるとは言っても所詮は別人格。今私たちは普通にアキラ、アカネと呼び合っているがそれだって本当の名じゃない。ちゃんとこの世界での名前がある。

 お互いに知らないからそう呼ぶしかないんだけれど。

「僕も別に次の人生なんて本気でどうでも良いんだよ。ただアカネに会いたかったのに……」

 だああとアキラは涙を流す。

 周囲の目が何事かと私たちを見ていて気まずい。ちょっと勘弁してよ……。

「分かった、分かったからとりあえずここを離れよう」

「ううううう」



 とりあえず私の家に連れてくる。ちょうど今、両親は旅行中だ。ちなみにこの両親こそ、どこぞの国の戦争中に死に別れた恋人で、来世を誓い合った仲らしい。今でも新婚のような二人だ。

「アカネは結構冷たくなったね……。もっと大人しい性格だったはずなんだけど」

 たしかに前世ではどちらかというと地味なタイプだった。大人しくて、癒し系のアキラと波長があった。

 だが、残念ながら転生した私は真逆の性格になっている。

「じゃあ嫌いになったでしょ?」

 性格も顔も違う私は、すでにマエハシアカネという人物像とはかけ離れている。アキラの好きだった女はもうどこにもいない。

「ううん。僕はアカネならどんな姿でも、どんな性格でも愛してるよ」

 晴やかな笑みにたじろぐ。

 ……そういえば、アキラは一度たりとも私の見た目について何も触れなかった。今の私はどちらかというと派手な顔つきだ。第三世界には人種という概念がない。もし前世の言葉を借りるならイタリアっぽい顔。前世が地味だったせいで、今の顔はそこそこ気に入っているんだけれど。

 私と違って、やっぱりアキラは出来た男だ。

「私は好きでもない男とセックスできないわよ?」

「でも来世で幸せになろうって言ったよ……」

「付き合おうとも結婚しようともセックスしようとも言ってないし」

 幸せは自分で見つけるものだ。人に幸せにしてもらおうなんて甘い。

「僕さ、もうすぐ管理人の任が解かれるんだ」

 唐突な言葉に私は黙る。

「さすがに寿命を抑えるのも限界に来ててね。管理人じゃなくなった途端、僕は一気に寿命を迎える」

「……つまり、アキラの寿命はもうすぐ終わるってこと?」

 アキラが悲しそうに笑う。

 なんだそれ。それじゃああの時と一緒じゃないか。最期、アキラを看取ったときの日の記憶がフラッシュバックする。

「別に僕を無理やり好きになれとは言わない。だけどチャンスだけくれないか。僕を、好きにさせて見せるから」

「……精々頑張ってよ」



 オタクっぽい見た目にそぐわずアキラはアウトドア派だった。今日もアキラに連れ出され、私たちは近場の川まで遊びに来ている。

「ねえねえアカネ。見てよ、いっぱい釣れたよ」

 丸メガネをずらしながらアキラが言って、私は呆れながらメガネを直してやる。

「ありがとう」

 そのすぐに照れる癖は止めて欲しい。

「ほらアカネも釣りしてみない? 結構楽しいよ」

「私は良いわよ」

 前世も現世も私はインドア派だ。家で映画を見てるか本を読んでるかの方が楽しい。けど、病気がちだったアキラが楽しそうに外で遊んでいるのを見ると帰ろうとは言い辛い。

「ねえアカネ。前世ではどんな人と結婚したの?」

 私は隣で本を読む手を休めてまじまじとアキラを見る。

 釣りを楽しんでいるように見せかけているけど、顔が強張っているぞ。

「イケメンの金持ち」

「……そっか」

「嘘よ。……元気で、私より先に死ななそうな丈夫な人を選んだのよ」

 別にイケメンでもなんでもなかった。親に引き摺られてお見合いに行って、この人なら良い結婚ができそうだなあと思ったのだ。

 お陰さまでその願いは叶った。九十五を超えても酒を嗜み、自転車にも乗っていた夫はさすがに死んだろうか。いや、もしかしたら日本一の長寿になっているかもしれない。

「それは、僕のせい?」

「元夫に失礼なこと言わないでよ。それじゃあ結婚中まで私がアキラのことを引き摺ってたみたいじゃない」

 そりゃ選んだ理由はそれもあるけど、元夫を愛したからこそ結婚したんだ。失礼なことを言うな。

「ごめん。そんなつもりじゃなかったんだ」

 しょげるアキラに、さすがに言い過ぎたと思いつつも意地を張って謝ることができない。

 これが昔なら、可愛く「ごめんねアキラ」って泣きついたところなんだろうけどな。どうやら現世では意地っ張りになってしまったらしい。

「それで、子どももいたんだよね? アカネの子なら可愛いだろうなあ」

「あいにくと男が二人よ。どっちも父親に似たマッチョになったわ」

 筋肉馬鹿三人のお陰で我が家のエンゲル係数は異常だ。

「そうかあ。男の子も良いな楽しそうで。……ちょっと妬けるよ」

「自分から聞いておいて」

「うん、本当だよね。僕の知らないアカネを聞きたかったんだけど、失敗したな」

 くるくるしたアーモンドみたいな瞳が揺れる。

 ……若くして死んだアキラは、結局自分の家族を持てなかった。それがきっと寂しいのかもしれない。

「ねえアキラ、散歩しようよ」

「え?」

「昔だったら外を出歩くのも一時間が限界だったでしょ? 今ならどれくらい歩けるか試してみよう」

 無理やりアキラを引っ張りあげる。

 並んで歩くと、背丈は昔とあんまり変わらないというのが分かった。横を向くと、ちょうど肩くらいの位置。キスをするときに少しだけつま先を上げる程度の距離感が私は好きだった。

「町並みはニホンと全然違うわよね」

 第三世界は一つの大陸で出来ている。一つの大陸、人種や国という概念がない、全員が前世の記憶をもつ、という三つの事情以外は私たちが生きていた世界となんら変わらなく生活している。

 町並みは恐らくヨーロッパのどこかを模倣しているのだと思う。電柱がたくさんある世界の記憶を持つ私からすると、どこか奇妙に感じるけれど。

「管理人って言ってたけどアキラはどんなことしてるの?」

「第三世界で生まれる予定の人の記憶の整理、かな。前世がどんな人だったのか、どんな願いを持って転生したのか確認して、その人にあった場所をピックアップするんだ。最終的な決定権は僕にないけど」

「……ん? ってことは、アキラは私が転生してきたことに気付いてたの?」

「うん。最近は面倒でパソコンの自動設定使ってたけど、アカネの名前がヒットしたらアラームが鳴るように設定したんだ」

 なんだそのデジタル管理は。それで良いのか?

「じゃあなんでさっさと現れなかったのよ」

 生まれてから十八年も経ってるじゃないか。赤ん坊のころからアキラには居場所がばれていたわけだろうに。

「いや、その……僕の願い的に、アカネがある程度大きくなってから会わないと色々と不味いかと思って」

 恥ずかしそうに顔を伏せられる。

 言われてみれば、私が生まれた頃にはすでに青年と呼べる姿のアキラが、幼女の周りをウロウロしてたら通報されるに違いない。

「懸命な判断ね」

 アキラの願いを思い出して頷く。

 この世界にも法律と呼べるものはある。ちなみにロリに手を出したら死刑だ。

「ねえアキラ。あんたずっと私のこと好きだったわけ?」

「……僕にはアカネだけだよ」

 付き合ってから死ぬまで。死んで転生してから今日まで。百年以上も私は愛されているのか。

「やっぱり今からでも他に良い人見つけなさいよ。たしかにあんたはイケメンじゃないけど、お見合いでもすれば私みたいに結婚できるわよ?」

「嫌だ。アカネ以外はいらない。それにもうすぐ死ぬ僕が今更家族を作っても残されるほうはどうなるの?」

「……なら、私がもう一度あの時と同じ苦しみを味わっても良いわけ?」

 愛した人を失った苦しみをアキラは知らない。だって残して逝ってしまったほうだもの。私がどれだけ悲しかったと思っているのだ。

「ごめんアカネ。僕の我がままなのは分かってるんだ。でも……どうしてもアカネに触れたかったんだ」

 そっと、ためらう様に指が触れる。私が拒否しないことをいいことに、アキラはそのまま指を絡めてくる。

「……アカネの指だ。いつぶりだろう」

「身体はアカネのものじゃないわよ」

 前世の私はもう少し色黒で、指も太かった。それなのにアキラは嬉しそうで、その指がどうしても振り払えなかった。



「ほら見てアカネ。どう!?」

 唐突なアキラの言葉にうろん気にそちらを見る。

 ……なにが「どう!?」なんだ?

「え、ほら何か変わったとかない?」

「…………ああメガネ」

 現世での特徴である丸メガネがアキラの顔から無くなっていた。

「コンタクトにしたんだ。ちょっとでもアカネが気に入るかと思って」

「いや、そもそも私が好きなのはアキラの切れ長の瞳。そのアーモンド目じゃ何したって変わらないわよ」

「えええ」

 まるで犬のような瞳はペット的な感覚で可愛いと思うが、私の好みじゃない。けれど、アキラが私のためにやってくれたという事実は……正直、嬉しいのかもしれない。

 しょんぼりするアキラが不要となったはずの丸メガネを拭く。

 ふと、違和感を感じ――理由に気付き思わずその手を取る。

「なななに!?」

「アキラ、この手なに」

 つい先日手を繋いだときにはなにも感じなかった手には、明らかに皺が増えていた。よく見れば、黒々としていた頭髪には白髪が見える。顔にそこまで大きな変化が見られないのは童顔だからなのか――。

「あなた老けてきたの?」

「ひどいなあ」

「茶化さないで」

 たった数日でこんなに老化するなんてありえない。それは、明らかにアキラの時が動き出した証拠だった。

「若さだけが取り柄なのに、思った以上に早くおじいちゃんになっちゃいそうだ」

「そんな」

 再会してたった数日、それなのにすでに終わりが見えるなんてあんまりじゃないか。

「……なんでそんな状態で私に会いに来たのよ」

 会わなければ、こんな思いしなくて済んだ。全部アキラのわがままのせいで。

「ごめん」

 アキラに抱き寄せられる。前世の記憶よりも高い体温に包み込まれる。それなのに、なぜあの時よりも死の香りがするんだろう……。



 私たちは黒いセダンに乗ってドライブをしていた。この世界は左ハンドルが主流なので、昔の記憶とは違う。とはいっても、あの時は私が運転席でアキラが助手席だったのだが。

「今日は海に行こう」

 そういうアキラの顔は、やはり先日会った時よりも老けていた。頬にも皺が刻まれ、幼い印象だった男があっという間に三十代に見える。下手すれば、若い父と娘のようだ。

「この寒い時期に?」

 遊泳期間はとっくに過ぎている。こんな中で海に行くなんて自殺行為だ。

「前世では出来なかったことをアカネとしたいんだ。いっぱいありすぎて困るけれど」

 見た目と同じく、声色もやや渋くなっていた。

「セックスも含めて?」

「ははは。そうだね、それも含めてかな」

 からかいを込めていうが、前のようにうろたえる事はない。性格まで時を刻むように成長するのだろうか。

 車が海沿いを走り、私は窓を開ける。冷たい潮風が車の中に吹き込み思わず震える。

「アカネ寒いだろう?」

「いいじゃない。少し頭を冷やしたい気分なの」

 鼻につんとくる香りを嗅ぎながらアキラをまじまじと見る。

 白髪染めをしたと思われる髪の毛は、今日は黒々としている。

「あんまり髪は見ないで欲しいな」

「うん、前頭部ちょっとキテるね」

「……嘘だろ?」

 片手をハンドルから離し、隠すように額を触るアキラに思わず吹き出す。

「嘘よ。一応まだ大丈夫……かな?」

「家系的にそっちは平気だと思ったんだけどなあ」

 いまだ気にしている様子でチラチラとルームミラーを見ている。

「……そういえばアキラの家族ってどうしているの?」

 私たちは第三世界で普通に子どもを産む。アキラにも親がいるはずだった。

「もうだいぶ前に死んだよ。管理人になる条件が、第三世界における自分という存在を他者の記憶から消去することだったからね。死に目にも会えなかった」

 息を呑んだ。

 周りの記憶や両親よりも私を取ったというのか。会えるかどうかも分からない、賭けをして。

「じゃあ今アキラを知っている人間は、私に一人だけってこと?」

「前世の記憶までは弄られないしね。昔は何人か知り合いにも会ったけれど」

 最近は前世の知り合いも来ないからなあ、と呟かれる。

「はい着いたよ」

 海岸は季節のせいで誰一人いなかった。

 私たちは車から降りて浜辺を歩く。しゃりしゃりと砂が音を立てる。

「寒いでしょ」

 ふわりと後ろから抱きしめられる。この間も感じた高い体温が背中をじんわりと暖める。顔が見られないように、マフラーに顔をうずめると気付いたように頭上で苦笑される。

「恥ずかしがり屋なのは変わらないよね」

 別に、恥ずかしくて顔を埋めているわけじゃない。ただ――泣きそうになっただけだ。

「キスしよう、アカネ」

 なんてことない提案のようにアキラが言う。

「……後ろを向いてちゃ出来ないわよ」

 それもそうだ、と腕を離される。私はくるりと反転され、今度は胸の中に包まれた。

「身長は前と同じね」

「そうだね。キスするのに丁度良い高さだって前に言ってたから、お互い変わりがなくて嬉しいよ」

 アキラの顔が少しだけ降りる。

 踵をあげて、触れ合う高さ。私のベストポジション。

 ――久しぶりの口付けが塩辛いのは、きっと磯の香りのせいだ。



「セックスしようアキラ」

 ぽかんと口を開いた腑抜けた顔が徐々に赤くなる。

「いや、ちょっと。いきなり何を言うのかな」

「なにって、したいって言ったのはアキラでしょうが」

 海に行ったときよりも皺の増えた手を取る。誤魔化しきれないほどの老化がアキラを襲っている。

「なんかもう、そういうことしなくても満足になったというか」

「……このままいったら、性欲まで老化しそうね」

 いつものように私の部屋にあがったアキラが悪いという事にしよう。

 アキラの肩を押さえこみ、ベッドに押し倒し馬乗りになる。

「いやいやいや女の子がそんなことしちゃ駄目でしょう」

「なに言ってるのよ童貞が。こちとら前世じゃ子どもまで産んでるのよ?」

 この身体自身はそういったことには全くもって縁がないが、知識だけなら記憶として残っている。問題ない。

「とりあえず落ち着こうアカネ!」

 がばりと無理やり身体を起こされ、腕の中で抱きしめられる。子どものようにアキラの膝の上に乗せられ、腕を回されてしまい身動きが取れなくなる。

「一体なにがどうなってそういう思考にたどり着いたんだよ……」

 大きなため息が私の髪の毛を揺らす。

「別に深い意味なんてないわよ」

 ふんと顔を横に向けると、クイッと顎を持ち上げられる。無理やりアキラのほうを向かされ、痛む首に文句を言う前にキスが落とされる。

 この間の触れ合うだけのキスとは違って、濃厚なそれに酸素を求めるように口を開く。逃がすまいとさらにキスが深くなる。

 ――くらくらする。 

 唇が離れ、思わず肩で呼吸をすると苦笑しながら髪を梳かれる。

「あんまり煽るようなことしないで欲しいよ」

「据え膳食わぬは男の恥、って言葉覚えてないの?」

「いや……なんていうか、この見た目で十八歳に手を出したらやっぱり犯罪みたいじゃないか」

 たしかに今の見た目で二人で歩けば、まず親子、ひどければ祖父と孫になるかもしれない。

「大丈夫よ。私が死ぬ直前は歳の差婚も流行ってたし」

 芸能人が数十歳年下の女性と結婚するニュースは頻繁に流れていた。

「その前に聞きたいんだけど。アカネは僕のことを好きになってくれたと思って良いのかな? 好きじゃなければ性行為はしないって言ってたでしょう」

「……そんなの、今更でしょ」

 この身体には、アカネの記憶が詰まっている。本気で愛して最期を看取った男を、嫌いになれるわけがなかったのだ。最早それは本能だ。

「やっぱりアカネは意地っ張りだな」

 表情は見えないけれど、その声はとても嬉しそうだ。抱きしめる力が再度強くなる。

「……ねえアキラ、やっぱりセックスしよう?」

「それは――」

「私アキラの子どもが産みたい」

 私の言葉にアキラが固まるのが分かった。けれど私は続ける。

「前世での願いじゃなくて、現世での私の願いよ。駄目?」

「駄目なんて、僕が言えると思うかい?」

 その問いの返事を待つ前にキスが落とされ私は静かに目を閉じた。




「こら。危ないでしょう?」

 元気に走り回る子を抱える。アーモンド形の目が、抱っこをされて嬉しそうに細まる。

「アキヒコ、ちゃんとお父さんに挨拶しなさい」

 写真の中にいる父親の姿を見て、子どもが「パーパ」と呼びかける。


 ――アキラは気づけばこの世から消えていた。いつものように抱き合って眠り、朝を迎えた隣にはどこにも姿がなかった。

 寿命が来たんだ、とすんなりと納得する。

 前世のときのような寂しさはあまり感じなかった。その代わりに、私のお腹には新しい命が宿っていたから。

 季節がなんども巡りすくすくと成長する我が子は愛しい。特に目元がアキラとそっくりだ。

「前世でも現世でも幸せになっちゃったなあ」

 私の前世での願いは叶っていない。だからきっと、私の輪廻はここで終わりだ。

 来世のことより今は、自分の子どもで手一杯だ。この子はどんな前世を送り、どんな願いを求めて第三世界に転生したのだろうか。

 それを母が聞くのはきっと野暮なことだろう。自分の願いは自分で叶えないと。




 すいません、そこのお嬢さん。

 ああ、そんな怪しい目で見ないでください。ちょっとだけ話を……ナンパ!? いえナンパとかじゃ、いや、でもそうなるのか?

 待って、待ってください! あの、あなた前世とか信じますか……て途中で行かないでお願いだから!

 え? なんでそんなに笑っているんです?

 はあ、僕、面白いですか? そうですか。

 えっ、話を聞いてくれる?

 はい前世です。そうですよね、こんな話信じて――え!? 信じてくれる?

 ははは。いや、まさかそんなすぐに信じて貰えるとは思っていなくてですね。

 前世の記憶を保持したまま生まれてくる第三世界というのがありまして、僕はそこの管理人を一時期していたんです。これが結構面倒な役割で、いやこの辺は詰まらないから割愛します。

 その面倒な管理人になると、特典が三つ付いてくるんです。一つは、一時的に身体の成長を止めて第三世界に長く留まることが出来ること。二つ目が、さらに二代前までの記憶を受け継いだままこの世界に転生できること、です。

 何が言いたいかというと――あ、もうお分かりですよね。僕、前世の記憶があるんです。第三世界にいたときと、さらに前の記憶が。

 いや、本当こんな眉唾な話を信じてくれるなんて運命なのかな。

 それで、あと三つ目の特典の話ですよね。……たった一人だけ輪廻から外れた人間を戻すことができるんです。いやこれは僕も、こっちに転生するときに聞かされた話で全くの寝耳に水で。

 僕は一人、どうしても一緒にいたいと思った人がいて……ただ輪に戻すだけで、どこの国にいるのかも、性別すら分からない状態で本当どうしようかと。

 ただやっぱり魂が惹かれあうからすぐに分かるんです。

 だから、本当に――君みたいな美人に転生しているなんて僕はラッキーだなあ……ってナンパじゃないんです本当に。

 ――また僕を好きにさせてみせますから、一度だけチャンスをくれませんか。

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