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つぐみヶ丘のホワイトデー

 竜にバレンタインのプレゼントを贈ってから、一ヶ月ちょっと。

 あれから、竜とは会っていない。丁寧なお礼の電話は貰ったけど。

 そして、今日が、あれ以来はじめてのデート。しかも、偶然、ホワイトデー当日。

 別にホワイトデーに合わせてデートを予定したわけじゃなく、たまたま竜の仕事の都合で前から決まってた日程なんだけど、普通、バレンタインにプレゼント貰ってたら、たとえ日程がホワイトデーに重なったのが偶然でも、それらしいことをしてくれようとするよね?

 でも、相手は竜だから、あんまり期待しないでおこう……。


 今日のデートは、また、あたしの部屋。

 竜が都内で仕事があって、その帰りに少しだけあたしの部屋に寄ってくれることになっていた。

 休みだったら頑張って手料理でもてなすんだけど、あたしも仕事だったから、外で落ち合ってファミレスで食事を済ませてから、あたしの部屋に移動した。

 それは別にいいの。別に高級レストラン予約してくれるとか期待してなかったし。竜、お金ないし。


 将来の新生活のことを考えたら無駄遣いは出来ないっていうのがあたしたちの合意事項で、だからあたしたちのデートが慎ましいのはいつものことで、あたしはそれが嫌じゃない。今、一回のお食事で何万円も使うようなお金があったら、そのお金で、新居に可愛いカフェカーテンが掛けられるもの。

 ボロ屋なんだから、せめてカーテンだのカーペットくらいは新しく自分好みのを買って可愛くコーディネートしたいじゃない。家があれだけ古いと、それはそれで、きちんと修繕さえすればかえってレトロな味が出て、カントリー調のインテリアなんかが意外とハマったりすると思うのよね。


 だから、ファミレスでパスタセットなのは、良かったの。

 それは良かったんだけど、プレゼントの一つも無しって……。

 ずっと、いつくれるか、いつくれるかと、だんだん不安になりながら待ってたのに。


 別に、物が欲しいわけじゃないのよ。だいたい、そのプレゼントを買うお金だって、つきつめて考えれば、二人の将来の新生活の費用から差し引かれることになるんだから。

 だから、500円とかの義理返し用キャンディ詰め合わせみたいなので十分だったのに。

 ほんとは、ほんのミニブーケでいいからお花なんかくれると嬉しいかもしれないけど、竜に花束買って来いだなんて無理は言わないわ。ものは何でもいいから、値段も安くて良いから、何かしてくれようっていう気持ちを見せてくれるだけで良かったのに。

 それこそ手書きの『肩たたき券』とか――別に肩なんか凝ってないけど――『何でもやります券五枚綴り』とか、道端で摘んだ雑草の花一輪だって、竜が何かくれれば、何だって嬉しかったのに……って、実際、竜に『肩たたき券』や『お手伝い券』を手渡されたら、それはそれでかなり微妙な気持ちだろうけど。竜に道端で花を摘まれるのも、それもまたかなり微妙だけど。


 何もくれないまま、ホワイトデーについては何も言わないまま、一緒に食後のお茶だけ飲んで、普通に挨拶してさっさと帰ろうとする竜。

 最後の最後まで、もしかすると帰り際にプレゼントを渡してくれるのかもしれないと思ってたけど、やっぱり、用意してなかったんだ……。

 そりゃあ、最悪の場合として、こういう事態も予測してなかったわけじゃないけど、まさかその予測が本当になるなんて……。


 玄関で、ドアを開けようとする竜の上着をつかんで引きとめた。


「待って、竜……」


 なんだ、という感じであたしを見る竜。たぶん、なんで引きとめられたか分かってない。


「竜、今日は何の日か知ってる?」

「えっ……?」

「もしかして、ホワイトデーって行事があるの、知らなかった?」

「……あ?」


 その時の竜の顔ったら……。

 竜って、あまり表情が大きく動かない人だから、一見無表情に見えるけど、見慣れてきたら、ほんの小さな動きで、ちゃんと表情の変化が分かるようになるの。目が、ほんのちょっと丸くなるとか、目線が一瞬泳ぐとか、眉がほんのちょっと上がるとか、きっと他の人は気づかないような、ほんのちょっと、ほんのちょっとだけの変化が、実はけっこう雄弁。


「いや、知っているが……今日がそうだったのか?」


 恐る恐る尋ねる竜。


「今日がそうだって忘れてただけで、一応、知ってたんだ? じゃあ、何をする日か知ってた?」

「あ……。もしかすると、俺は、君に何かプレゼントを買わなくてはいけなかったんだろうか?」


 が~んっていう擬音が聞こえそうな、呆然とした竜の表情。

 日にちを忘れてただけじゃなくて、あたしに何かしてくれる必要があるってこと自体、頭に無かったんだ?

 思わず、ちょっと口調が尖る。


「ううん、別にいいのよ。法律で決まってるわけじゃないから。それに、別に、モノが欲しいわけじゃないし」


 自分でも思いも寄らなかったほどつんけんした声が出た。

 竜、たじろいでる。口を開きかけて、また閉じて、目を泳がせて立ちすくんでる。

 いい気味。


「ただ、品物を買って欲しかったわけじゃないけど、でも、やっぱり、何かしら気持ちを示して欲しかったかな……なんて」


 きつい口調で続けたつもりだったけど、つい、語尾が震えた。

 やだ、なんで……?

 そんな……、こんなことくらいで、あたし……泣く?


 ……まずい、と思った時には、もう遅かった。ふいに湧き上がった涙が、ぽろりと零れ落ちた。

 自分でも呆然とした。

 あたし、こんなに泣き虫じゃないはずなのに……。


 あたしも呆然としたけど、竜もぎょっとした。目を丸くして固まってる。

 あわててフォローしようとした。


「ご、ごめ……、な、泣くつもりなんか、なかったんだけど……。なんでこんなことで……へ、ヘンだよね、あはは……」


 笑おうとしたけど上手くいかなくて、涙をぬぐう。ダメだ、よけいドツボだよ……。


「里菜……。すまない!」


 おろおろする竜。


「明日、プレゼントを買って、速達小包で送る。何が欲しい? 何でも欲しいものを言ってくれ。その……ものすごく高いものでさえなければ……」


 だから、そういう問題じゃないんだってば……。


「何もいらないよ……。怒ってそう言うんじゃなくて、本当に、別に欲しいものがあるわけじゃないの。あたしがそんな、竜に高いものなんか頼むわけないでしょ。泣くほど欲しいものがあれば自分で買うよ。ただ、竜に、今日、何か気持ちを示して欲しかったの……」


 竜は自分がとんでもない大失敗をしたのに気が付いて愕然としているっぽい。さすがにかわいそう。ここまで追い詰める気なんか、なかったんだよ? ただ、一言くらい、ちくりと言っておきたかっただけで。そのくらいの権利はあると思ったし、黙って我慢してると、後にしこりがのこるじゃない。

 なのに、なんでこんなことになっちゃったんだろう。

 ……あたしが泣くのが悪いよね。


 あたし、こんなに泣き虫じゃなかったはずなのに。

 前の彼と別れた時も、泣かなかったよ。いろんな局面で、いろいろと、こういう時に泣ければ男の人には効果あるんだろうけど……と思うような時でも、あたしはいつも泣かなかった。

 後で一人でなら泣いたけど、その時、その場で、相手の目の前では泣けなかった。涙を武器にするなんていやだったし。


 それが、こんなばかばかしいことで泣くなんて!

 こんなことで泣くなんて、竜じゃなくてもびっくりするよね。

 竜と会ってから、あたし、おかしいよ。この前のデートの時もちょっと泣いたし。

 竜の前では、なんでこんなにすぐ泣いちゃうんだろう。


「……ごめんね、竜。そんな、泣くほどのことじゃないのは分かってるの。そんなに悲しいわけじゃないの。ただ、なんだか涙が出ちゃっただけだから、気にしないで。プレゼントは、今回はいいよ。これから、いくらでも、いろんな時にもらえるんだから。その代わり、次の機会には二回分合わせて高いものを頼むから、覚悟しといてね」


 冗談っぽく笑い飛ばそうとしたけど、無理だった。たぶん、情けない泣き笑いになっちゃってる。


 竜が、荷物をドスッと足元に落として、あたしを抱きしめた。片方の腕を背中に回して、片方の手を頭に置いて、髪を撫でながら。


「本当にすまなかった……。その……、ホワイトデーというものがあるのは知っていたが、それが自分に関係があるということに気がつかなかったんだ。バレンタインデーもそうだったんだが、あまりに長年、ずっと自分とは関係なかったから……」


 正直な言い訳に、思わず噴き出してしまった。


「そっか。竜、彼女いない歴32年だったんだもんね」


 今泣いた反動で、今度はくすくす笑いが止らない。


「そんなに笑わないでくれ」


 困ったようにそう言いながらも、竜は、あたしが笑ったからほっとしたみたいだった。

 その手は、宥めるように、あたしの髪を繰り返し優しく撫でてくれている。

 大きな掌の優しさに、急に勇気が沸いてきた。


「竜。今からでも出来る、お金もかからないプレゼント、頼んでもいい?」

「あ、ああ、もちろん……」

「じゃあ、キスして?」


 竜の動きがぴたりと止った。ぴきーん、って音がしそうな硬直。

 なに、その反応……。失礼ね! 勇気を振り絞って言ったのに……。

 この間はあんなに情熱的に押し倒しておいて、そのくせ、なんで、キスくらいで、そんなすごい勢いで固まるの?

 あたし、結局、まだ一度も竜にキスしてもらったことないよ? それってヘンじゃない?


「……だめなの? なんで?」

「い、いや、その……」

「嫌なの?」

「まさか!」

「じゃあ、なんで一度もキスしてくれないの?」

「この間、しようとした。君がストップかけたんじゃないか」

 ちょっと不貞腐れたような口調。

 もしかして、竜、実はあの時のこと、ちょっと根に持ってる?

「だって、竜、あの時はそれだけのつもりじゃなかったでしょ? その先まで一気に突き進む気だったでしょう!」

「あー……ああ、まあ……」

 ばつが悪そうに口ごもる竜。

「キスだけなら別に良かったのに」

「いや、君は良くても俺が良くない」

「えっ?」

「いや……」


 ああ、もう……なんて煮え切らないの!


「なに、それ。わかった。もういいよ! じゃあ、またね!」


 あたしはちょっと切れた。せっかく恥ずかしい思いして、思い切って切り出したのに!

 女の子の方からここまで言ってるのにグズグズしてるって、どういうダメダメ男?


 ぷんぷんしながら竜に背を向けてさっさと部屋に戻ろうとしたら、今度は竜があたしの肩を掴んで引きとめた。

「里菜……」

 振り向いたあたしを、竜が引き寄せる。

 竜は玄関のたたきに、あたしは上がり框に立ってるから、いつもより少し身長差が縮まっているけれど、まだ竜のほうがうんと背が高い。

 見上げると、竜があたしの上に身を屈めた。すっと、顔が近づく。

 どきまぎして、慌てて目を閉じた。

 おでこに、そっと唇が触れて、すぐ離れた。


 ……えっ、これだけ?


 真っ赤な顔で竜を仰ぎ見た。

「……これだけ?」

「ああ、今は。それ以上は、俺が歯止めが利かなくなるから」


 ……え? どういう意味?


 一瞬、反応を躊躇っている間に、竜は、「じゃあ、お休み」と言い残して、逃げるようにそそくさと玄関を出て行った。

 あたしはしばらく、その場にぼーっと突っ立っていた。

 少し遅れて、じわじわと、嬉しさがこみ上げてくる。今さらながら、苦しいくらい胸が高鳴って。


 竜に初めてキスして貰っちゃった……。おでこにだけど。でも、嬉しい……。


 いつのまにか、一人でにまにま笑っちゃてる。

 大声を上げてそこらじゅうを走り回りたいような気分。

 玄関に飾った小さなお花さえ、さっきまでよりきれいに見える気がして、今、あたしの世界はバラ色!



……『つぐみヶ丘のホワイトデー』完……

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