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川上 淳

 穏やかな夏の風がそっと川上淳(かわかみじゅん)の前髪を揺らす。


 この風を知っている、ふと彼はそんなふうに感じた。


 頭上に広がる空は、気持ちのいいほど蒼色で、小さな雲たちがゆっくりと流れていた。


 夏休みの小学校に上手く侵入した淳は、屋上から街を一望しながら悦に入る。 


 小学校の屋上、彼はこの場所が大好きだった。


 空に浮かぶ雲をぼんやり眺めているうちに、あの日のことを思い出していた。




「明仁! お金持ってきたか?」


 村上明仁むらかみあきひとが屋上へ上がって来ると、石川周いしかわしゅうは開口一番にそう言い放った。


「あ、え、いや。その……」


 明仁はどもる。


「約束したよな、明仁? 今日お金持ってくるって。あ? おい?」


 周は明仁の制服の襟口を掴み締め上げる。


「あ、うん。でも……」


「あ? 何言ってるか分かんねえんだよ!」


 周は襟口をさらに強く締め上げる。


 二人のやり取りを淳は複雑な気持ちで見ていた。 


 淳の知っている以前の明仁は、少しトロイところはあったが、こんな風にどもったりはしていなかった。


 そして元々、明仁と周は幼馴染で仲が良かったことを彼は知っていた。


 周は勉強を教えてくれる明仁と、いつもゲームの話とかで盛り上がり、明仁の方も周のことを慕っていた。


 淳は五年生の頃から、二人と同じクラスなので、そのことをよく知っていた。

それがほんの数ヶ月前のことで、なぜこんな風になってしまったのか、淳にはよく理解出来ていなかった。

正確に言えば、淳は初めから何一つ理解していなかった。


 最初に明仁に声をかけたのは京一の方だった。素直な明仁は京一に教科書を見せてやってたりした。

京一は初めから明仁の従順さと家が金持ちだというところに目をつけていたのだろう。気が付けば、京一の傍にはいつも明仁がいた。それは友だちとしてではなく、主人に仕える召使いとして。


 淳は、屋上の手すりに背を持たせながらタバコを吹かしている京一に視線を移した。


 今年の四月に北海道から転校してきた、「北海の荒熊」こと神辺京一しんべきょういち

背が高く、眼鏡をかけた色白の優男の彼は、一週間もしないうちに、クラスの「暴れ馬」石川周の手綱を握った。


 二人の間に実際何があったのか、淳は詳細を知らない。

しかし、京一が周を掌握しクラスの中心となってから、何かが急激に変わっていった。


 それを淳は『オレたちはもうガキじゃない、大人への階段を上っているんだ』と、勝手に思っていた。


「明仁、おまえ約束破ると、どうなるか知ってるよな?」


 京一はタバコを咥えたまま、明仁の方へゆっくりと近づいていく。


「明仁、タバコと拳どっちがいい?」


 そう質問すると、京一は耳に手を当てて、明仁の答えを待つ振りをする。


「あ、いや、あ……」


 明仁は恐怖で震え、またどもってしまう。


「あ? 何だって? 両方? 欲張りですねぇ明仁くんは。なぁ周?」


「ははは! 本当、明仁欲張りすぎるぜ」


 周は京一に調子を合わせて、わざとらしく笑ってみせる。


「仕方ねぇな。今日は特別サービスだ。両方くれてやるよ」


 言い終わると同時に、京一は明仁の鳩尾辺りに重い下突きを入れた。


「あ……う……」


 明仁はその場に膝を落とし、腹を両手で抑えながら正面に倒れ込んだ。


「明仁くん? まだ終わっていませんよ」


 京一は素早く明仁の背後に回り込み、制服のズボンを引きずり下ろすと、白い肌にタバコを押し付けた。


「ひゃあああああぁ!!!!」


 明仁は熱さに身体を海老のように大きく反らせる。そしてそのまま仰向けにぶっ倒れた。


「うひゃひゃひゃひゃひゃっっっ!! ひゃああっだてよ? 明仁はやっぱおもしれーな!」


 京一は満足そうに目を細めて笑いながら、尻を押さえながらのたうち回る明仁を楽しんでいる。


「周、おめーもやりてーか? でも顔面はやめとけよ。先公にばれっからな」


 新しいタバコに火を点けながら、京一は周を見遣る。


「いや、オレは今日はいいや」


 周は少し興ざめしたような表情だ。


「そっか。おめーはどーよ、淳?」


 もう十分だと思っていた淳は、本心とは全く逆のことを口にした。


「何で金持ってこなかったんだよ? 約束したよな? あ?」


 淳は起き上がろうとする明仁の背中に膝を落とした。


「ぐああああああっ!!!」


 悲鳴を上げながら、明仁はうつ伏せに突っ伏した。


「うひゃひゃひゃひゃっっっ!! 淳! おめー鬼だな!! うひゃひゃっ!!」


 京一は狂ったように大笑いしている。


「おい明仁? 本当に金持ってくるの忘れたのか? 本当は持ってきてるんじゃねえか? あ?」


 淳は明仁のズボンの後ろポケットを探り、財布を見つけると京一の方に投げた。

京一は受け取った財布の中身を見て目を丸くした。


「うひゃー! おめーお金持ってきてるじゃん。なんで最初っから言わねーの? 脳みそ腐ってんじゃねー?」


 京一は中から札束を全部抜き取ると、空の財布を動かない明仁の上にポトリと落とした。


「じゃあねー。明仁くん。また来週!! さあ、皆さん帰りましょう。最終下校時刻になりますよー」


 京一は澄ました顔でそう言うと、札束をズボンの後ろポケットに強引に捻じ込むと、階段の方へ向かって歩き出した。


 しかし、彼はすぐに立ち止まると、背を向けたまま顔だけ明仁の方に向けるとこう言い放った。


「そうそう明仁。いつも通りこのこと誰にもゆーなよ。ゆったらおめーとおめーの家族……死ぬぜ。うひゃひゃひゃっ!!」


「じゃあな明仁!」


「楽しい夏休みをな!」


 屋上の扉を閉め、うずくまっている明仁をその場に残すと、淳たちは帰途へと着いたのだ。



 

 確か、あれは七月二十二日、最後の登校日で、明日からの夏休み、何をして遊ぼうかと、淳は考えていたのを覚えている。


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