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落第聖女は今日も出汁をひく

作者: MOKO773
掲載日:2026/10/13

「本日付けで貴女は満期退学です。今日中に荷物をまとめて、出て行くように」


帝国高等学校の聖女養成科1年の問題児がとうとう退学になり、学内がざわつく。

目下、当人のアンスリウムは気にしていない。友人から愛称でアンと呼ばれる落第しまくり聖女は、今の状況が嬉しくてたまらない。これでやっと、出汁を毎日好きなだけ取ることができる。


退学通知を受けた校長室を退出後、スキップと鼻歌を我慢しながらしずしず廊下を歩いていると、背後から呼び止められた。

「これから、どうするんだ」

イケボだが嫌な奴の声。振り返りたくない。アンは聞こえないふりをして、速度を早めて歩き続ける。

今日で最後の制服のスカートが揺れる。軽くうねる明るい黄緑色の髪が、中庭の陽射しできらめく。

「待て、出汁(だし)聖女」

ひどい呼び名だ。いつも彼は私を出涸らしみたいに呼ぶ。


「何でございましょう?」

昨年、短期留学中の隣国で、プロポーズを公衆の面前で失敗した玉砕王子こと帝国の第4王子ルイス。

護衛のカルロスを伴い、今は自国の帝国高等学校の経営科に通う。

相変わらず王子然とした物腰。この学校の制服を着こなし、淡い茶色の髪は艶やかで、手入れが行き届いている。


第4王子ルイスは小走りになるかならないかのぎりぎりの速度でアンに追いつき、彼女の前を塞ぐ。廊下は走ってはいけない。

「失礼ながら、どいてくださりませんか?殿下」

元婚約者のこの顔、見飽きた。イケメンも毎日観ていると飽きる。過去に散々、婚約者同士の交流を深める名目の茶会やら、ダンスレッスンやらで顔を合わせない日はなかった。

それが嫌で、アンは婚約を解消し、数年前に聖女養成科に入学した。出汁を取る時間がもっと欲しい。

「もう一度言います。どいてください。殿下」

アンは困って、ルイスの後ろに控える護衛のカルロスをちらりと見る。カルロスも困っているようだ。主人のルイスの斜め後ろで、『お力になれず申し訳ない』という表情をつくる。


「やだ」

駄々をこねる子供のようなルイスの回答に、アンは口をぽかんと開ける。一国の王子の振る舞いではない。

「私も嫌です」

出汁聖女アン、右に出る。アンに向かい合って立つ第4王子ルイス、左に動く。一緒に、ルイスの背後に控える護衛のカルロスも左へ移動。

アン、左に行くと見せかけて、思いっきり右に足を踏み出す。ルイスは、アンのフェイントを読んで、更に左へ。彼の方がアンよりも脚が長いので、歩幅対決では長身のルイスに軍配が上がる。

これ以上同じ方向に動いたら、三人ともレンガ造りの壁に激突するので、アンはルイスをかわすのを諦める。

埒があかないと思い、アンが大袈裟に大きなため息をつく。深い緑色のガラスのビー玉のような丸い目で、ルイスをきっと睨む。元婚約者のつぶらな瞳に見つめられ、ルイスの胸の奥がキュンとする。

背の高いルイスを見上げるために、アンは思いっきり首を上に傾ける。迫力を出すため、爪先立ちになる。アンの両脚が生まれたての子鹿の脚のようにプルプルする。王子の後ろで笑いを堪える護衛のカルロス。

「殿下は何がしたいのですか?」

怒りで大声にならないように、声を抑えてアンが訊ねる。ここは淑女らしく、お淑やかな聖女らしく。聖女の慈愛を声に込められないのは許して欲しい。

「復縁したい」

真剣な眼差しで、元婚約者のアンをルイスが見つめる。

「!?・・・アホか、この王子!!」

心の中で呟いたはずの不敬な言葉が、大声でアンの口から飛び出す。紳士淑女の集う帝国高等学校の廊下に響く。


***


出汁聖女アンスリウムは、物心ついた時から鰹節と昆布で出汁を取ることが好きだった。

彼女の出汁は人を癒す。癒す力が半端ないので、王子の婚約者に選ばれ、聖女養成科にも合格した。

「私は、ただ出汁を取り続けたいだけなのに……」

自ら急遽手配した民間の馬車の中で、アンはぼやく。

帝国高等学校を去る前、寮室の荷物を取り纏め、友人達に別れを告げた。友人とは今後、たまに会う約束をしたので、そこまで寂しくない。

問題はいま隣に第4王子ルイスが座っていることである。彼の向かいには、護衛のカルロスが同席する。カルロスはこの微妙な空気感の中、外を観ながら寛いでいる。

「どこに向かっている?」

ルイスがアンに聞く。答えるわけがない。無視。

「アンスリウム・・・」

「もう婚約者ではないので、名前呼びはお控えください」

「アン」

「愛称で呼ぶのは論外です」

「・・・出汁聖女」

「一番、嫌です!」

「では、なんと呼べばいい」

「呼ぶなと言うことです、殿下」

「!」

ルイス、黙って俯く。撃沈の主人に我関せずのカルロスは、ガタガタと揺れる馬車の外を流れる街の景色を目で追う。


*


どうしてこうなったのだろうと、考えを巡らす帝国の第4王子ルイス。

普段乗る王室の馬車よりも揺れるこの民間の馬車は、がたがたと揺れて尻が痛くなる。

「行く当てがないのなら、王宮に来ないか?」

今日一番の優しい口調で、元婚約者アンに語りかける。

アンはルイスの好みのど真ん中。婚約者になった時は、飛び跳ねて喜んだ。王命致し方なしと隣国の王妃候補にプロポーズをした際は、アンを想いルイスの心が痛んだ。だからもう一度、彼女とやり直したい。

隣国でのプロポーズの時は、『可愛いよりも美人なお姉さんが好みである』と虚勢を張ったが、アンが世界一可愛い。

「好きなんだ。とても」

ぼそっと呟くルイス。今はかっこつけていられない。

「好きすぎて、どうにかなりそうなんだ」

馬車の外を観ていたアンがルイスに振り向く。ルイスからの始めての告白である。

「愛している」

アンが真剣な王子の目を見る。ふざけていないことを確認する。

「ずっと一緒に居たい。離れたくない」

膝の上で握りしめているルイスの両手が小刻みに震える。せっかくの王子顔が崩れ、涙目である。


沈黙。


こくんと出汁聖女アンスリウムが頷く。ルイスの告白を受け入れる、アンの精一杯の回答である。

ルイスはそっとアンの手を握り、彼女の額にキスをした。


護衛のカルロスは聞こえないふりをして、街の景色を見続ける。

「もっと早くから素直になっていればいいものを」

二人に聞こえない呟きを、ルイスの幼馴染であるカルロスが馬車の窓の外に向かって吐く。

夕暮れどきの鮮やかな朱色の空は、刻一刻と変化し続ける。


***


「王宮に第4王子ルイスの婚約者アンスリウム様がお戻りだそうだ」

王宮庭園の植栽を剪定しながら、職人同士が噂をする。

「ということは、あの、うんまいスープをまた食べられるってことか」

「ああ。何でも今回はアンスリウム様専用の厨房を兼ねたアトリエを建設したらしい」

「あのこぢんまりとした小屋か?」

アンのアトリエはそこそこの邸宅規模だが、王宮では小屋に見える。

「出汁巻玉子ってのもまた食べたいね。わしは腰痛が治った」

最年長のベテラン職人が勢いよく腰を伸ばす。グキっと音がする。そのまま前に崩れ落ちる。

「あ、今、腰が悪くなった。早く出汁茶漬けでも良いから欲しい」

ベテラン職人、芝生に座り込む。

「俺は四十肩が治った」

中堅の職人が肩をぐるぐると回す。

「僕は彼女と仲直りできた」

目を輝かせて、最年少の若者が先輩の職人達に言う。

「坊や、それは関係ないと思うぞ」

職人長が若者を残念そうに諭す。

聖女の作る食べ物は何でも改善できる。病はもちろん、心、人間関係、揉め事など、その人が抱える憂いを祓う。

「それにしても、アンスリウム様にぞっこんの王子様は良かったな」

がははははと、職人達は笑った。


*


ゆらゆらと大鍋の湯が沸く。昆布に気泡が付き、無数の小さな泡が立ち始める。浮いてくる灰汁(あく)を取るアン。

この時間が大好き。静かな時間が過ぎる。


王宮の一角の出汁聖女専用アトリエは、今日も芳(かぐ)わしい出汁の香に満たされる。


「一番出汁は美味しいですよお」

「知っている」

ルイスはあの熱烈な告白の後、翌日には素っ気ない態度に戻ってしまった。照れ隠しである。

「一番出汁の後、二番出汁を取ります。その後、今日は友人宅に行きます」

鼻歌を歌いながら、灰汁を取るアン。今は帝国の第4王子ルイスの婚約者である。

「知人が昆布と鰹節をお土産に持ってくるかも知れないので」

「そうか」

「夕方には帰ります」

ルイスは立ち上がり、アンの後ろから彼女をそっと包むように抱きしめる。

「早く帰ってきて」


今日も出汁をひく聖女アンスリウムは、カツオと昆布の出汁に癒し効果を染み込ませる。

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