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私の弟なのに

掲載日:2026/03/31

「お姉ちゃーーーーん!」


 市場で買い物していると、必死な聞き覚えのある声が聞こえた。

 振り返ると、赤い髪の男性と手を繋いでいた隣の八百屋のティム坊が、自分目掛けて全力で走ってくる。慌てて買い物籠を置いて、(かが)んで受け止めた。


「うっ、うわぁぁぁん! お姉ちゃーーん」

 胸の中のティム坊をあやしていると、

「この子のお姉さんですか?」

と、一緒にいた男性から声を掛けられた。


 話を聞くと、調子に乗って遠出したティム坊が帰り道が分からなくなっていたのを見つけてくれたらしい。

「僕のお家は八百屋さんなの」

だけしか分からないので、とりあえず市場の八百屋を回るつもりだったそうだ。


「ありがとうございます。この子は、この先の商店街の八百屋の息子なんです。私は隣のパン屋の娘でマリーゼと言います」

 ティム坊のご両親もお礼を言いたいと思うのでと、その男性リート・カーライルさんも一緒にティム坊の家の八百屋に向かう。


 右手を私、左手をリートさんと繋いで八百屋に向かうティム坊はすっかりご機嫌だ。

 そして、ティム坊がリートさんに懐く以上に、私とリートさんは親しくなった。

 



 

 教会の夕方の鐘が鳴る。


「じやあ、今夜はリートさんと食事だからもう行くね」

 パン屋のエプロンを外して、そそくさと身支度を整える私に

「頑張ってらっしゃい」

と、母が返事した。


「そこは『遅くならないのよ』でしょう?」

「遅くなるような甲斐性があればね」

 ぷーっと膨れるが、妹は彼氏にプロポーズされて来年18歳になったら結婚が決まっているというのに、全然リートさんをモノにできない自分は甲斐性なしと言われても仕方ない。


 妹が嫁ぐ事が決まったので、私が婿を迎えるのを皆が期待している。付き合って半年も経つのに全然手を出してこないリートさんは、うちの家族からの信用は絶大だ。

 私だって彼を逃したくない。

 今夜こそいい雰囲気に持って行きたい! 

 下心満々でお店を出ると、おしゃれした私にリートさんとデートだと察したお隣のティム坊が「僕も! 僕も行く!」とまとわり付いて来た。

「子供は、夕方の鐘が鳴ったらお外に出ちゃダメよ。お昼なら一緒に遊んであげるからね」

と言い聞かせて八百屋に戻す。

 そうだ、よく三人でデートしてるからいい雰囲気にならないんだ。もっと計画を練らないと。


 途中、乾物屋の前を通ると、

「戻し汁を捨てちゃうんですか? もったいない」

という声が聞こえた。

 店員のミラさんが接客している。

 紺色の髪を後ろで一つにまとめただけの、地味で真面目な印象の彼女は、町の奥様たちから圧倒的に信頼されている。

「旦那が、あの匂いを嫌がるのよ」

「それなら生姜を少しすりおろして入れるといいですよ。美味しいスープになります」

 きっと旦那さんも喜んで食べますよ、というミラさんに 

「ミラちゃんもそろそろ旦那さんを見つけないとね」

「私はまず弟を一人前にしないとですから」

と答える声が遠ざかる私の耳に聞こえた。


 


 自警団の事務所前では、既にリートさんが待っていた。

「ごめんなさい、待った?」

 あわてて駆け寄る私に、

「俺が待ちきれなかったんだ」

と、照れるリートさんにキュンとくる。


 リートさんは町の自警団で働いている。

 仕事で町のパトロールをするので、ティム坊が迷子になった時、お休みで町にいたリートさんは様子がおかしい子がいると気づいたそうだ。


「今日はどこに行く?」

「食後に甘い物が欲しいから月の庭亭!」

「よし、じゃ」

「リート!」

 行こうとしたら声がかかった。

 この声は……。


「ジンジャークッキーを作ってきたわ。リートは甘い物が好きじゃないでしょう?」

と、両手で箱を差し出すミラさん。どれだけ作ったんだ。

 リートさんの姉、ミラ・カーライル。

 ついさっき乾物屋にいたのに、どうやって追いついたの? 私が出掛けるのを見かけて、走って追って来たの? どん引いてしまう。


「要らないよ。もう子供じゃないんだから、ミラも余計な事をするな」

 リートさんはお姉さんを「ミラ」と呼ぶ。兄弟が多いからだそうだ。

「弟がお世話になっているんですもの、これは自警団の皆さんへの差し入れよ。じゃあ、事務所に届けておくわ」

 無視して行こうとするリートさん。


「そうそう、洗濯物をためているんじゃない? 後で寮に寄って預かってあげるから」

 リートさんたちは、田舎の村出身だそうだ。

「余計な事をするなよ! 勝手に部屋に入るな!」

「ちゃんと寮監さんに断って入るわよ。大きくなっても、リートは私の弟なのよ。ちゃんとしていないと、姉の私が恥をかくんですからね」

 ……ミラさんはかなりのブラコンだ。


「いいから。絶対に入るなよ」

 そしてリートさんも、いまいちミラさんに厳しく出来ない。


 今度こそ私を連れて行こうとするリートさんに

「あら、シャツの袖口のボタン! 自分で付けたんでしょう。引きつっているわ」

と、声が掛かる。

 うっ! ……それ、私が付けたボタンです。

「ほっといてくれ」

 リートさんとその場を離れる。


 ……私はミラさんが苦手だ。

 悪気は無いのだろうが、どうにも乙女心が傷つく……。ミラさんが出来過ぎなんだろうけど。



 月の庭亭は、いつも通り美味しかった。おすすめのサバの煮付けが最高だったけど、リートさんは注文しなかった。

「リートさんは煮魚、嫌いなんだね」

「うーん……。嫌いと言うか、村では貧乏だったから、たくさん魚が釣れるとそれを煮付けて何日も食べさせられたからもういいって言うか……」

 「リートは煮魚が嫌い」ってのは、この前ミラさんが言ってた。今日、甘い物が嫌いだって知った。

 はあ、私、全然リートさんを知らないんだな。

「マリーゼ、桃のコンポートは注文しないの?」

「う……うん。私だけじゃ悪いし」

「全然悪くないよ。じゃあ、俺も食う」

 やっぱりリートさん、好き。




 リートさんにパン屋の前まで送ってもらう。ううっ、不本意ながら今日も健全なデートだった。

 自宅のドアは、パン屋と八百屋との間の狭い空間の奥まった所にある。暗いし足元も悪いので、いつもリートさんに送ってもらったお礼を言ってお店の前で別れていた。

 

 本日のデートの反省点など考えながら暗い中を歩いていると、暗闇の中で人影がうごめいた。

「ひいっ!」

「静かに。私よ、ミラ」

「ミ、ミラさ? な、へ?」

 名乗られたって全然安心できない。ガクガクする足をゆっくりとバックさせる。


「すぐに済ませるわ」

と言ってミラさんはキラリと光る刃物を出した。

「な、な、に」

「命を取ったりしないわ。あなたの顔にいくつか傷を付けるだけよ。二目と見られない程度に」

 ひぃぃぃ! 必死に後ずさる。


「だってあなた、いつまでもリートから離れないんですもの。リートは私の弟なのに。リートには私がいればいいのよ」

 ナイフを光らせて、じわじわと距離を詰めてくるミラさん。

「そ、そんな事したら自警団に捕まりますよ!」

「望むところよ。捕まっても、あなたに軽い怪我をさせただけよ、大した罪にならないわ。あなたは人目を恐れて家に閉じこもり、リートは自警団を辞める事になって私の所に帰って来る。完璧だわ」

 無駄に頭がいい!


 ミラさんがナイフを振り上げた時、表の通りに出た。

 身を(ひるがえ)して逃げようとしたら、後ろから誰かに拘束される。

 悲鳴を上げそうになった私の耳元で「大丈夫だ」とリートさんの声がした。


 リートさんに包まれて安心で腰が抜けそうな私を、優しく抱きしめてくれる。

 頭の上で、リートさんが声を出した。

「どういうつもりだ、ミラ」


「私の弟なのに、他の人に心を奪われているからよ」

 冷静な声のミラさんが怖い。

「ねえ、前のように姉弟一緒に暮らしましょう。昔のように仲良く。姉の私がいれば十分でしょう?」

「姉じゃないだろ? 俺たちは、たまたま同じ場所で育っただけの赤の他人だ!」

「一緒に育ったのだから、あなたは私の大切な弟よ」

「そんなら他の弟の世話もしてやれよ! 弟ならあと五人、妹だって三人いるだろう!」


 話の内容が衝撃的過ぎて口を挟めない。


 私が戸惑っている事にリートさんが気づいた。

「マリーゼ。……俺たちの苗字の『カーライル』は、俺たちが育った孤児院の院長の苗字なんだ。捨て子や身元がわからない子供には、院長のカーライルって苗字をつけられる。俺とミラは、本当は赤の他人なんだ」

 呆然とする私の両手をぎゅっと握って、リートさんはミラさんに向かってきっぱりと言った。


「ずっと『弟』『弟』と俺にばかり執着しているが、俺には、ミラを姉だと、家族だと、思えないんだ」


 息を呑んだミラさんは、ナイフを放り投げると黙って(きびす)を返して去って行った。


 足音が遠ざかり、やっと安堵のため息を()く。


「ごめん。怖い思いをさせて」

「ううん、リートさんのおかげで助かったもの。今日はどうして戻って来てくれたの?」

「その……。いつも帰ったふりをしてたんだ。ちゃんと家に入るまで、隠れてこっそり見てた」


 リートは私の両手を握ったまま(うつむ)いて言った。

「ずっと隠していてごめん……。俺が本当は身元も分からない孤児院育ちだなんて、言えなくて」

 手が震えている。

 もしかして、私がリートさんを嫌いになったと思ってる?

「俺、普通の家庭がどんななのか知らないから、ミラのやる事がおかしいと思っていても『もしかしたら、おかしいのは自分の方かも』と思って強く言えなくて……。マリーゼに嫌な思いをさせてごめん……」


 俯いたままのリートさんに、

「もう! 普通が分からないなら、うちを『普通』に決めます!」

と断言する。

「は?」


「うちは婿入りしてパン屋を継ぐ人を募集しています。婿入りに文句を言う人のいない孤児なんて大歓迎。うちの三代目となるのですから、父さんに厳しく指導されます。体力のある自警団の人なら大歓迎。母さんは優しいですが、時々とんでもないオリジナル料理を作ります。妹はもうじき嫁ぐ予定ですが、恋バナ好きなので色々聞かれますよ。跡取り娘はあなたを愛しています。でも裁縫は下手です」

「…………」

「これが『普通』でいいですか?」

「……最高だ」

 リートさんの目から涙が溢れ出て、私はどうしたらいいか分からなくてあたふたするしかなかった。




 ミラさんは姿を消した。

 「田舎に帰って弟の世話をする」と言ってお店を辞めたそうだ。本当に田舎に帰って新たな「弟」の世話をしているのか、ただの理由付けなのか、確認する気は無い。

 赤の他人なのだから。



 数日後、リートさんはかしこまってうちに挨拶に来て、皆の大歓迎で婿入りが決まった。

 ただ、

「ちゃんと散髪したのに、何で私がボタンを付けたシャツで来るの!」

「せっかくマリーゼがボタンを付けてくれたシャツなのに」

と、初ケンカになった。






「最近、パン屋によくリートさんがいるな」

「マリーゼちゃんとの結婚が本決まりだそうよ。婿入りしてパン屋を継ぐんですって」


「……僕のお姉ちゃんなのに……」


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― 新着の感想 ―
自称姉を名乗る不審者だ・・・怖い。 そして最後、なにか目覚めてる奴がいる・・・怖い。 ホラーじゃないですかやだー!!
ミラ、恋愛感情からのヤンデレとかならまだ分かりやすかったのにそうじゃなくて、求めてるのは本当に「弟」だったとは……逆に怖い…。 どうか新たな地で他の被害者を出していないことを祈ってます。 そして最後…
最後……!! ストーカーの始まりを見たみたいなラストがまたこう…いいですね!! 今日ガチのストーカー加害した人の話を聞いたばかりだったので…… なんかやべーなーと思ってたミラ、まさかの他人とは…姉とし…
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