第六章 小さな仕立て屋と、広がる世界
第27話 看板のない仕立て屋
仕立て屋は、公爵家の敷地の外れに建てられた。
通りに面してはいるが、派手な看板はない。
白木の扉に、小さく刺繍された布が一枚、吊るされているだけ。
――宝石の形をした、控えめな刺繍。
「最初は、これでいいんです」
そう言うと、公爵夫人は満足そうに頷いた。
「ええ。わかる人だけが、辿り着けばいい」
店内は、作業場と応接を兼ねた小さな空間。
窓際には布見本、壁際には糸と針。
そして、棚の一角には――
小さな、ぬいぐるみたち。
「……ここが、私のお店」
胸が、じんわりと熱くなった。
名前は、まだない。
けれど、確かにここは――私の居場所だった。
第28話 信頼できる人たち
開店にあたって、私は一つだけお願いをした。
「……以前の家で、一緒に働いていた人たちを、雇いたいんです」
公爵夫人は、すぐに察した。
「信頼できる方たちですね」
男爵家で、私に端切れを分けてくれたメイド。
夜中の作業を黙って見守ってくれた年配の使用人。
彼女たちは、突然の話に驚きながらも、
私の顔を見ると、すぐに理解してくれた。
「……お嬢様、でしたよね」
「今は、仕立て屋の主です」
そう言って笑うと、
彼女たちも、少しだけ泣きそうな顔で笑った。
こうして、
仕立て屋は“一人”ではなくなった。
第29話 売るもの、売らないもの
仕立て屋で扱うものは、はっきりと分けた。
昼の茶会用のドレス。
散策や普段着に向いた、軽やかな服。
そして――
布で作ったおもちゃや、ぬいぐるみ。
「夜会用のドレスは?」
そう聞かれて、私は首を振った。
「それは、作りません」
正確には、
公爵家のためだけに作る。
公爵夫人は、その判断を尊重してくれた。
「希少性も、大切ですものね」
平民向けには、丈夫で安全な布おもちゃ。
装飾は控えめでも、色合わせと形で可愛らしく。
それらは、以前ハンカチを卸していた雑貨屋を通して販売した。
――少しずつ、街に広がっていく。
第30話 ぬいぐるみは、安心のかたち
仕立て屋の棚に並んだぬいぐるみは、
どれも、派手ではない。
けれど、抱きしめやすい形。
口に入れても危なくない素材。
母親たちは、すぐに気づいた。
「……このぬいぐるみ、安心ですね」
「縫い目が、内側に……」
評判は、静かに、確実に広がった。
エレノア様は、時々店に来ては、
新しい子を棚に並べるのを手伝ってくれる。
「……この子、ここ」
そう言って置く場所を決める姿は、
もうすっかり、子どもらしかった。
私は、その様子を見ながら、針を進める。
――ものを作ることは、
安心を形にすることなのだと、改めて思う。
第31話 名前を呼ばれる日
ある日、仕立て屋に一通の手紙が届いた。
差出人は、貴族の夫人。
『ジュエルシリーズの一着を、ぜひ拝見したい』
私は、静かに息を吐いた。
もう、隠れる必要はない。
「……大丈夫」
そう、自分に言い聞かせる。
あの男爵家の北棟で、
目立たないように縫っていた少女は、もういない。
針と糸で、
自分の居場所を作ったのだから。
――そして。
この仕立て屋が、
嵐を呼ぶことになるのを、
まだ誰も知らない。




