軌跡の重力
小説を書くとき、私はいつもまっすぐ進もうとしている。
物語の骨格となる構造を考え、登場人物の性格や背景を設定し、世界観を丁寧に作り込む。どこへ向かうのかを決めてから、キーボードを打っている。いわば地図を手に持って旅に出るようなものだ。
しかし、それだけ準備をしても、書き終えてから振り返ると、その軌跡はぐねぐねと曲がっている。
意図していなかった方向へ進み、気づけば最初に思い描いていた場所とはまるで違うところに辿り着いている。
不思議なのは、書いている最中にはその感覚がまったくないことだ。
マイルストーンを設定し、キャラクターの動機を細かく決め、世界のルールまで考えておく。
それだけの準備があれば、物語は計画通りに進むはずだと思っていた。ところがキーボードを打っている瞬間、登場人物が突然、想定外の言葉を口にする。
場面がある方向へ自然に流れ始める。それを止めることが、どうしてもできない。止めると、文章が死んでしまう感覚があるからだ。結果として、地図とはまったく異なる道を歩いていることに、書き終えてから初めて気づく。
その引力の正体が何なのか、私にはまだわからない。
自分でも気づいていない感情なのか、無意識のうちに抱えているテーマなのか、それとも言葉そのものが持つ重力なのか。一つの言葉を選んだ瞬間、次に来る言葉の候補が絞られる。
一つの場面を書いた瞬間、物語の重心がどこかへ移動する。書き手である私が物語を動かしているのか、物語が私を動かしているのか、境界線が曖昧になる瞬間がある。
まっすぐ進もうとして、左右に揺れる。
その揺れ自体が、実は物語の呼吸なのかもしれない。完全にまっすぐな軌跡で書かれた小説があるとしたら、それはどこか機械的で、息をしていないように感じるだろう。
ぐねぐねと曲がりながら進むからこそ、そこに生きた何かが宿るのではないかと、今は思い始めている。
書くという行為は、自分を知ることに似ている。
どれだけ準備をしても、書き終えてから振り返った軌跡の中に、自分でも気づいていなかった重力の方向が見える。
それは怖くもあり、面白くもある。
次に書くときも私はまたまっすぐ進もうとするだろう。そしてきっとまた、どこかへ引っ張られていく。




