第8話「ノーベル賞とハンバーグ」
秋のストックホルム。
雪混じりの風が頬を刺す。
僕は重いコートの襟を立てながら、ため息をついた。
「……ほんとに、来ちゃったんだなぁ。」
目の前の建物には、金の文字でこう書かれている。
“THE NOBEL INSTITUTE”
――そう。
僕は、ノーベル平和賞候補になっていた。
理由はもちろん、「昼食同盟」。
『成瀬ユウ大統領。昼食を通じて国際協調を促進した功績。』
いや、あれ、冗談のつもりだったんですけど。
* * *
控室。
各国首脳や受賞者候補たちが談笑している。
隣に座ったノルウェー首相が話しかけてきた。
「ユウ大統領、あなたの政策は素晴らしい。
我々の国でも“スープ休憩条例”を導入しました。」
「え、それ国法になってるんですか!?」
「もちろん。」
世界、食べ物で動いてるなぁ……。
そこへリアンさんが入ってきた。
「大統領、スピーチ原稿できました。」
「ありがとう。えっと……“世界はひとつの食卓”……か。ちょっとクサくない?」
「でも、あなたが言うと本気に聞こえますよ。」
リアンさんが微笑んだ。
その笑顔に、少しだけ緊張が解けた。
* * *
授賞式が始まる。
照明がまぶしく、拍手が響く。
そして、壇上の司会者が発表した。
『――今年のノーベル平和賞は、
ノースユニオン共和国大統領・成瀬ユウ氏に贈られます!』
会場が揺れるような歓声に包まれた。
リアンさんが小声で「おめでとうございます」と言った。
僕はフラフラしながら壇上へ上がり、マイクの前に立った。
世界中のテレビが見ている。
心臓がバクバクする。
「……あの、ありがとうございます。
でも僕は、立派なことをしたわけじゃありません。
お腹が減った人がいたら、一緒にご飯を食べたかっただけです。」
拍手。
誰かが「いただきます!」と叫び、笑いが広がった。
そのとき、司会者が言った。
「では、大統領。
恒例の“平和のランチ”をどうぞ。」
係員が銀の蓋を開けた。
中には、見慣れた――ハンバーグ。
「……これ、うちの国の給食メニューじゃん。」
リアンさんが小声で言う。
「ええ、ノースユニオン共和国伝統の“庶民ハンバーグ”として再現されたそうです。」
「伝統って、昨日の給食で出たやつだよ!?」
だが会場は感動の渦に包まれていた。
「庶民の象徴だ……!」
「平和の味だ!」
「国境を超える香り!」
……なんかもう、みんな勝手に感動してる。
* * *
昼食会が終わるころ、米国大統領が笑いながら寄ってきた。
「ユウ、ハンバーグ同盟も結ぼうじゃないか。」
「いや、もういいです……!」
リアンさんが笑いながら、僕のネクタイを直した。
「でも、良かったですね。
世界が、あなたの“お昼”で笑ってくれて。」
「うん。
でも……本当にそれでいいのかな。
僕は、政治なんて何もわかってないのに。」
リアンさんは、少し考えてから言った。
「“わかってない人”が真ん中にいる方が、
世界って優しくなるのかもしれませんよ。」
――その言葉に、少しだけ救われた気がした。
* * *
その夜、ニュースが流れた。
『ノーベル平和賞受賞・成瀬ユウ大統領、受賞スピーチで“お腹が減った人とご飯を食べたい”と発言。
世界中で“#一緒にランチしよう”運動が拡散中。』
街のカフェでは、知らない人同士がテーブルを囲み、
「ユウ大統領ごっこ」と称して一緒にご飯を食べていた。
――僕はその映像を見ながら、ふと笑ってしまった。
勘違いから始まったはずのこの政治。
それでも、人が笑っているなら、
もしかして、間違いじゃなかったのかもしれない。